ハックルベリーに会いに行く
世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その10(2,173字)
第二次大戦が終わったとき、日本は貧困のどん底に喘いでいた。しかし、そこからたった二〇年ほどで、驚くほどの復興を遂げる。
その背景には何があったのか?
それを、日本の輸出産業の変遷から繙いてみたい。
戦争直後、日本の輸出産業では玩具が大きく伸張した。
その理由としては、当時日本の労働力が安かったことと、もう一つは日本の高い技術力が欧米のメーカーを凌駕していたことが挙げられる。
なぜ日本の技術力が高かったかといえば、この頃の玩具製造はまだ手工業が主だったので、それに携わる職人の質と量で欧米を大きく上回っていたからだ。日本人には手先の器用な人間が多かったのである。
これもやはり、日本独特の美的感覚によるものだ。日本は、美的感覚の優れた人間が多いため、手先の器用な人間を安価で多数確保しやすい。
このおもちゃ産業を筆頭に、日本はさまざまな分野において手先の器用さ――つまり「技術」においてその存在感を
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