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 どうも、更新が滞っています。
 「これからは時事ネタメイン」みたいなことを言ったとたん、これですが、ここ一月ばかりとにかく忙しくて、全く時間が取れない状態にありました。
 いえ、今も相変わらず忙しいのですが、この話題をスルーするわけにもいかず、まあ、ちょっと時機を逸してしまいましたが、更新することにしました。

 さて、というわけで京都アニメーション放火事件です。
 旬の話題には、動物の腐乱死体を見つけた時のハイエナのように飛びつくのが正しい態度なのでしょうが、ヒマが取れなかったことに加え、事件の背景がわからないままにエラそうなことを書くのもためらわれ、またどのような切り口で語るべきかという戸惑いもあったわけです。そんなこんなで、なかなか採り挙げることのしにくかった話題なのですが、ちょっと、面白い切り口を見つけました。
 大阪芸術大学の純丘曜彰教授による、「終わりなき日常の終わり:京アニ放火事件の土壌」という記事*1です。ここで純丘師匠は京アニを「麻薬の売人以下」などと、舌鋒極めて罵っておりました(突っ込みたい方もいらっしゃいましょうが、後に述べます)。
 師匠は今回の事件を痛ましいことではあったが、予兆はあったとして、16年に起きたアイドルのストーカー事件を例に挙げます。また、『ミザリー』などに言及、いわゆるスターストーカーについてのウンチクも語られるのですが、言うまでもなく、そんなのは昭和の時代からあった普遍的なこと。どちらかといえば、師匠の舌鋒は「今日日的、オタクコンテンツ」に向いているように思われます。

アニメには、砂絵からストップモーションまで、いろいろな手法があり、(中略)『ベルサイユのばら』『セーラームーン』のような少女マンガ系、『風の谷のナウシカ』や『AKIRA』のようなディストピアSF、さらにはもっとタイトな大人向けのものもある。

 にもかかわらず、京アニは、一貫して主力作品は学園物なのだ。それも、『ビューティフル・ドリーマー』の終わりなき日常というモティーフは、さまざまな作品に反復して登場する。


 アニメといった時、ぼくたちはセルアニメを想起するけれども、それは表現手法としてのアニメのワンオブゼムだぞ。また近年のアニメは学園ものばかりだが、SFなど多様なテーマがあるぞ。
 何というか、「ああ、そうですか」という感想しか浮かんできませんね。
 こういうの、特撮や漫画に置き換えてもよくあるパターンですよね。ぼくたちは「主人公がヒーローに変身して、怪獣をやっつける作品」をして「特撮」と定義しているけれども、表現手法としての特撮はもっと幅広いものであり、云々。そりゃお堅い文芸作品で、テーマを表現するために特撮を使った優れた作品もあろうし、それを否定する気もないけれども、ぼくたちが『仮面ライダー』を観ている時にそれを持ち出されたって、そんなツッコミは余計なお世話としか。
 師匠はいわゆるオタクコンテンツが「学園もの」ばかりであることを嘆きますが、そうした作品よりもなろう的な転生物が流行している現状を考えると、この指摘自体がもはや周回遅れなものでしょう。
 ただ、ここで重要なのは師匠が「終わりなき日常というモティーフ(に対するdisり)」に拘泥している点。上にある『ビューティフル・ドリーマー』(以降『BD』)が、ここでは極めて重要なキーワードとなっています。これは『うる星やつら』の劇場作品で、押井守監督の作家性が極めて強く出た作。原作者があまり好んでない作としても、知られます。内容はラムの「いつまでもこの日常が続いて欲しい」という願いが現実化して、キャラクター一同が永遠の「文化祭前夜」の時間の中に取り込まれるというお話。80年代当時のモラトリアムな雰囲気を表していたとも言えますし、評論などでは「オタクの在り方への風刺だ」といった語られ方をすることが多い作品です。
 その代表は宇野常寛で、本作を(に限らず『うる星』やKEY作品を、大幅に事実を捻じ曲げて)持ち出し、オタクへ酸鼻を極める罵倒を繰り返しておりました*2。しかし遡って言えば、この論調は一種の「サブカルしぐさ」、即ち『エヴァ』の頃にオタクからコンテンツを剥奪せんと目論むサブカル君たちが、オタクを貶めるために持ち出したのが元祖であったように思います。
 そう、元はサブカル君が言い出したことを宇野がパクり、さらに純丘師匠がそれをパクった。師匠の物言いに、オリジナルの部分はまるでないのです。
 ……あ、いや、それは師匠に失礼かもしれません。師匠はアニメ版『らき☆すた』の最終回がやはり「文化祭前日」であり、EDが『BD』のテーマを下手に歌ったものであると指摘、

つまり、この作品では、この回に限らず、終わりなき日常に浸り続けるオタクのファンをあえて挑発するようなトゲがあちこちに隠されていた。


 と主張していました。これは師匠独自の指摘かもしれません。
 もっとも、かつてのアニメ(や特撮)のテーマをキャラクターたちが「下手に歌」うのは本作の毎回の趣向であり、そこに「トゲ」があるものかについては、疑問としか言いようがないのですが……(あ、すんません、ここまで言ってる割にぼく、『BD』も『らき☆すた』も未見なのですが)。
 ……しかし、アニメを観ての「オタどもは気づいてないだろうが、これはおまいらをバカにしているのだ! 選ばれし者である俺だけはそれに気づいたのだ!!」という格好の悪いイキり、上に書いた「サブカルしぐさ」と「完全に一致」していますよね。「おまいらオタには『エヴァ』の高尚さはわかるまいが、俺たちはわかっているぞ!!」というわけです。
 しかしこういう自意識過剰な妄想、ヤバいヤツが「AKBの○○ちゃんがテレビ画面から俺にだけ『結婚しよう』と電波を送ってきたぞ!」と言っているのとも「完全に一致」しています。何だか心配なので、彼らが「京アニが俺のネタをパクった」とか言い出したりしないか、国民は監視の手を緩めてはなりません
 普通に考えれば、(『らき☆すた』はともかく)『BD』は『うる星』そのものの持つ、「終わらない文化祭」ノリを自己批評して見せた作品といっていいはず。それは例えば、『ウルトラセブン』の正義に対して、「ノンマルトの使者」という作品でアンチテーゼを投げかけているのと同じ。そこをドヤ顔で持ち出す振る舞いは、「相手にもらった武器で相手を撲殺している」というゲスなものでしかありません。

*1 既に削除されてしまっているのですが、魚拓は今も見ることができます。
1ページ目 2ページ目 3ページ目 4ページ目 改稿後
*2「ゼロ年代の妄想力」など。一読いただければ、宇野の妄言に事実の反映が極めて少ないことがおわかりいただけようかと思います。

 ――さて、しかし、ここで言っておかねばならないのは、「オタク文化は終わらない文化祭である」という指摘は、それ自体は別に間違ってはいないということです。
 それは『うる星』に始まり、『ときメモ』的なギャルゲーを経て、学園ラノベ全盛になったオタクコンテンツの経緯を見ても、自明でしょう(だから、転生物全盛の今は、むしろ「オタクコンテンツ衰退期」でありましょう)。
 そしてこの指摘については、「間違ってもいないけど、しょーがねーじゃん」と言い返す他ないと、ぼくは考えます。
 大塚英志氏が80年代、「現代社会はイニシエーション(大人になるための儀式)が失われた」と盛んに指摘していました。時々言及するように、80年代というのは、ぼくたちが「卒業」することを止めた時代です。アニメでも「遠い星から来たヒーローや少年の友だちが、故郷の星に帰るかと見せかけ、また舞い戻ってくる」といった「外し」オチが増えたのがこの頃です(そう考えると、純丘師匠の手つきは『ドラえもん』をデマによって貶めた稲田豊史師匠のそれと全く同じであることがわかりますね*3)。
 大塚氏はイニシエーションのない現代に危機感を持つと同時に、なくなってしまったこと自体が問題なのだから、大人になれない者をただバッシングするのは間違っている、との論調を展開していました。宮崎事件の時、マスコミが盛んに「(宮崎は、そしてオタクは)現実と虚構の区別がつかない」と書き立てましたが、大塚氏はそれに対して「ならばその現実とやらを屏風から出せ」と反論したのです。これを上のフレーズにこと寄せて表現するならば、「お前らが卒業後のルートつぶしたからしょうがなく文化祭やってんじゃん」とでもいったことになりましょうか。
 ましてや、今となってはぼくたちは正社員になることも結婚することも、極めて難しい状況。そんな状況下で学園ラブコメを楽しむオタクに毒を吐くヒマがあるなら、世の中の景気を少しでもよくすること(イニシエーションを邪魔するフェミニズムを打ち倒すこと)を考えるべきでしょう。
 もちろん大塚氏の発言は80年代のもの。宇野よりも、純丘師匠よりも、遙かに前。師匠らは周回を二兆周くらいは遅れたうわごとをドヤ顔で垂れ流すことで、いまだ小銭を稼ぎ続けているのです。
 そして、宇野をまるでオタク評論家ででもあるかのように受け容れている連中もまた、彼らの後をドタドタ走っているに過ぎません。

*3「ドラがたり」において、(ウソにまみれた)『ドラえもん』のヘイトスピーチを繰り返した稲田豊史師匠、わかりやすすぎることに宇野常寛の子分です。

 さて、上に「後に述べます」と書きましたが、その話題についても拾っておきましょう。
 実のところ炎上後、純丘師匠は慌てて改稿、そして削除と対応を二転三転させ、最終的にはネット記事の取材に応じて上の「麻薬の売人以下」とは、京アニのことを指した言葉ではない、と抗弁しました*4
 しかし、それを素直に読む限り、師匠の本意は「アニメ界全体」が「麻薬の売人以下」である、というものになってしまように、ぼくには思われる。
 即ち、(この辺、師匠も混乱して自分でもよくわからなくなっちゃってるんだという気がするのですが)こうなるといよいよ、師匠の物言いは『エヴァ』の時の「サブカルしぐさ」へと近づいていくのです。つまり、それは「俺くらいになると真に価値あるコンテンツを評価できるが、オタクどもは低劣な作品を観て喜んでいる云々」というものですね。
 先にも書いたようにオタクコンテンツは近年、大きな評価を得ました。今までオタクを見下していた連中がオタク利権目がけて、動物の腐乱死体を見つけた時のハイエナのように飛びついてくるのも、よく見る光景となりました。
 しかし、ホンの少し前までは、「唾棄すべき怪しげで未成熟なガラクタ」に過ぎなかったのです。
 そう、今回の純丘師匠のいささかみっともない立ち回りは、そんな「オタク史」のリプレイに他なりませんでした。

*4「「麻薬の売人以下」は「京アニのことではない」 純丘曜彰・大阪芸大教授、炎上コラムの真意語る

 本件――というのは純丘師匠の記事ではなく「京アニ放火事件」ですが――の犯人とされる青葉容疑者、当初はオタクではないのではないか、小説をパクったというのもいわゆる統合失調症の症状なのではないかと噂されていましたが、どうも彼自身が京アニに小説を応募していたらしいことが明らかになりつつあります。
 だからと言って「パクられた」というのは妄想である可能性が大だし、仮に万一、「パクられた」事実があったところで大量殺人が正当化されるはずもありません。ただここで、青葉容疑者は純丘師匠や宇野たちに比べれば、それなりに理性的な判断をしていた人物であることが明らかになったわけです。
 本件は「オタクの中の持たざる者と持てる者とのバトル」であると表現し得るでしょう。青葉容疑者、自業自得とはいえ、底辺の、未来に希望の持てない立場にいたことは明らかです。一方、殺されたアニメーターの中には大変に若く、「(この冬に?)初めてボーナスをもらって喜んでいた」方もいたと聞きます。大変痛ましいけれども、しかしそうした才能を持ち、前途の拓けていた存在に、弱い立場の者が嫉妬心を持つなというのは難しい話です。
 彼ら彼女らの「サブカルしぐさ」は、オタク界の下っ端の切り捨てであり、そうである以上、「オタクの中の持たざる者と持てる者と格差の拡大」を目的とする側面を、どうしても持ちます。言わばこれは「優れたコンテンツを生み出し、カネを生む者、自分たちの政治の道具になる者は認めてやる」とのオタク界内部の「ノアの箱舟」計画だったのです。
 そう、今回の事件が、そうした人々に「お前、無能だから要らないしw」と見捨てられた者の犯罪であると考えた時、まさにこの事件の「真の黒幕」は純丘的な人物たちだったというしかなくなるのです。
 ぼくが「オタク界のトップ」、「自分をオタクだと思い込んでいる一般リベ」と称するような人たちは、「サブカルしぐさ」の愛好者でありながら、「勝ち組オタク」に取り入(り、「負け組オタク」を切り捨て)ることで、利を得ている者たちです。モテ/持てる者だけを自分たち主催のぱーちーに招待したくて招待したくて仕方のなかった彼ら彼女らにしてみれば、この両者の溝が深まれば深まるほど都合がよい。
 彼ら彼女らにしてみれば、「成果物」を後からやってきてぶん獲ることだけが目的で、創作者も消費者も同じオタク仲間であること、それらコンテンツはオタク的なるものとして、みんなで一丸となって作り上げてきたものであることなど、一切わからないのです。そうした人たちが創作者と消費者をボーダーレス化しようとする岡田斗司夫氏や大塚英志氏を嫌ってきたということも、何度か指摘してきた通りです。
 そんな人たちにとって、今回の事件は「干天の慈雨」のはず。
 自分たちの切り捨てたくて仕方のない側の人間が問答無用の悪として、自分たちの取り入りたくて仕方のない(否、既に取り入った)側の人間が、絶対不可侵の被害者として立ち現れたのが、本件だったのですから。
 今後、彼ら彼女らはこれを利用し、モテ/持たざるオタクを斬り捨てるための知恵を総動員するはずです。
 それに対し、ぼくたちは敏感でなければなりません。

 ――さて、実は少ない時間を工面してえっちらおっちらキーを打っているところに、今度は山本寛師匠のブログの炎上という報が舞い込んできました。見る限り、言ってることは純丘師匠と変わりはしないのですが、しかしふたりは置かれた立場が違いすぎる。これについては次回、採り挙げます。そこでは彼らは何故、こうした醜悪極まりない「サブカルしぐさ」を振るうのかについての分析が行われることになりましょう。
 気になる方は一週間後にまた、お会いすることにしましょう。