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モテキ(その4)(再)
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モテキ(その4)(再)

2022-03-11 19:30


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    『Daily WiLL Online』様でオープンレターについて書かせていただいています。以下は目下公開中のものですが、おそらく続編が数日中に公開されますので、応援をよろしくお願いします!

     さて、前回の続き、2010年10月2日の記事の再録です。

     文章として拙い面、今となっては理解しにくい点などは適宜修正を加えておりますので、どうぞよろしく。
     では、そういうことで……。

     ==============================

     ドラマ版『モテキ』終了。
     何だ、監督のインタビューで「ラストを変えます」とか言ってたけど変わってないじゃん。
     いや、「変わってる」けど作者のウンコ・メッセージはより明確な形で表現されてるじゃん!
     まあ、原作を是とした上での映像化なのだから、確かにこれでよいのでしょうが。

     さて、そんなドラマ版とは何らかかわりもなく、ぼくは最近、我ながら頭の悪いことに、『モテキ』の本質にようやく気づくことができました。
     要はこの作品、根底に流れている価値観が、「古い」んですね。
     作者の久保ミツロウセンセイはアラサーなのですが、アラフォー臭がすると言うんでしょうか。
     これが二十年前であれば、すなわち内田春菊センセイがデビューしてちょっと……という頃であれば、それなりに新しかったのでしょうが、今となってははっきり言って古過ぎる(逆に言えばその辺りの世代に支持されている、一種の「懐かし企画」なのかも知れませんが)。

     久保センセイが『草食系男子の恋愛学』に毒を吐いていることは、前にもご紹介しました。
     この本はマチズモを捨てた今時の若者を称揚する内容なのですが(……のわりに作者の若者に対する「女性を尊重せよ」とのお説教が長々と書かれていた記憶もあります。何か矛盾していますがまあいいや)、そんな軟弱な男たちを、久保センセイは決して許すことができません。
     草食系男子のそもそもの定義は「別にモテないわけでもないのに女性に対して淡泊な男」というものなのですが、それが夢にも信じられないことなのか、彼女は単なる非モテと捉えていますし(この辺りは皮肉なことに、『草食系男子』も全く同じ誤読を犯しています)。
    「草食系男子たちよ、奮い立って狩りに出よ!」とか、本気で言っちゃいそうな感じが、久保センセイの古さなわけですね。
     こうしてみると、センセイやかつての女性作家たちの男性への毒吐きは、被愛妄想ギリギリの「男性の女性への欲望の過大評価」を前提に成り立っていたことがわかります。
     そうした過大評価の上で、自作を得意げに「ラブマイナス」だなどと称してみせる(対談でそうおっしゃっていました。これは言うまでもなく当時大人気だった恋愛シミュレーションゲーム『ラブプラス』を念頭に置いた発言であり、男の夢を具現化した同作と異なり、自作は恋愛のネガを描いているのだぞ、と誇りたいのでしょう)。
     しかし、残念なことにいかに著者が「ラブマイナス」を描こうとも、少なくとも男性読者は『ラブプラス』を選択する。
     何となれば、「描かれる前」から、そんなことはわかりきっているのだから。
     現世こそが、ラブマイナスなのだから。
     ここから透けて見えるのは、

    ・「女に夢を見ている」との風説とは裏腹に、「現実の女に疲れ果て」て、アニメの美少女にはまっているオタク
    ・「現実主義者」を自称するのとは裏腹に、「現実の男たちの本音」を知ろうともせず、受け容れることもできない女性

     という図式です。
     正直、今の(イケメンでモテそうな)草食系男子たちの本音がどんなものかは、或いはそもそも本当にそんな男子たちが「実在」しているのかどうかは、ぼくにはわかりません。
     しかし、一方で「オタク」業界では常々三次元女子に対する二次元女子の優位性が語られ、「男性差別」業界では血を吐くような女性への呪いの言葉がひたすらに繰り返されているという現実を、ぼくは熟知しています。
     後者を、ぼくはあまり快く思ってはいないのですが、しかしここまで来てまだなお男性への依存を一向にやめる気配のない女性たちに、男性たちが心底疲れ果ててしまったことだけは、ひしひしと感じます。
     男性たちの、それこそ星新一の「たそがれ」で書かれたような「疲弊」。
     女性たちの、「でもアタシとやりたいんだろ? なら奮い立て、能動的になれ」とふんぞり返り続ける、それで何とかなるといまだ思い込んでいる、額に入れて飾っておきたいような「楽天」。
     そんな時代に、女性作家が生き抜くには?
     はい、男性主人公を出して「女とやりてー!!」と叫ばせておいて、おもむろにお説教を開始する漫画を描くことですね。

     さて、ただ、ちょっと最近、また少し別なことに思い至りましたので、ここに書き留めておきます。
     番外編において、フジ君は学生時代、エロ漫画を描いていたことが描写されています(ドラマ版でも過去のフジ君が『ときメモ』をやっている描写がありました)。
     が、現在のフジ君がオタク趣味を持っている描写は何一つ、ない。どちらかと言えば音楽好きのサブカル君として描かれています*1
     これをそのまま取ればフジ君は「二次元の世界に一度は足を踏み入れながら、現実という名のクソゲーへと戻っていった奇跡の人」ということになります。しかも、恋人ができて三次元に戻りました、ならわからなくもないのですが、フジ君は少なくともモテないままです。
     前回のエントリにおいても、久保センセイがいかに「二次元女子」に憎悪を抱いているかについて、ご説明しました。また、ブログなどで萌え系作品を貶めることで本作を称揚している方がいらっしゃることも、ご紹介したことがありましたね。
     ついでに指摘しておきますと、上に「アラフォー臭」と書きましたが、この作品ではフジ君を導く上位存在として元ヤンキー女を配するなど、どうにも価値観がDQN的というか、80年代的です*2

     しかしひるがえって、2010年代の「オタクシーン」は大変に楽しそうです。
     いかに久保センセイが憎悪を募らせようと、萌えの世界には女性のクリエイターも大変多いんですね。美少女物のゲーム、漫画、アニメと(アダルト作品、非アダルト作品を問わず)女性の作り手は非常に多い。
     萌えアニメを見て声優を目指した女の子たちは、既に今の萌えアニメのヒロインとして活躍していますし、メイド喫茶に行けば、メイド服が着たくてバイトに入った子が大勢いることでしょう(まあオタクがメイド喫茶に興味を持つかは別として……)。女性のアイドル声優さんは自分が『ラブプラス』にハマっていることを、実に屈託なくラジオなどで語ります。
    「オタク女子」はかつて、BLという「女の園」を生み出しました。そこに棲まう彼女らからは男性に対する屈折が多少、感じられました。
     むろん、その「女の園」はいまだ健在ではあります。そしてナオンにモテたい東浩紀センセイなどは揉み手をしながら、この女の園の周囲をいまだうろちょろしています。が、おそらく今の「オタク女子」は、美少女系の萌え文化にもあんまり拒否感はないことでしょう。
     既に日本を席巻してしまったかに見える「萌え」はこれからも更に拡大を続け、久保センセイや東センセイのような方々が完全に旧世界の遺物と化してしまうのは、歴史的必然なわけです(東センセイ的には「オタクは下等だが腐女子はエラい」というリクツですが、こういう手合いは女性が男性と同じような萌え作品をクリエイトしている場合、どういう評価になるんでしょうね?)。
     そう考えると、『モテキ』とネットの酷評との対立は一見、「男vs女」のバトルに見えますが、その実「新世代vs旧世代」の世代間闘争であるという見方こそが、正しかったのかも知れません。
     女性の、自分よりも可愛い、若い女性へのルサンチマンは筆舌に尽くし難いものがありますが、「萌え」業界に女性が多いことの理由は、そもそも二次元のキャラだからある程度そうした感情を御しやすいという理由があるように思います。つまり、萌えキャラに自己同一化することが、女性にとっても癒しになるということですね(むろん、この御しやすさが逆に行くと暗黒面に落ちてしまう危険をもはらんでいるわけではありますが)。
     としたら。
     男の子たちが作り上げた「萌え」文化は「ヤンデレ化」、「ブス化」のとまらなくなっている女の子たちをも救う可能性があるのではないか。
     そしてオタクの手柄により、人類はさらに生き延びる、のかも知れません。

    *1フジ君がストレートなオタクとして描かれていたら、ぼくの沸点ももっと下がっていたのですが、そうなっていないのは単純に久保センセイに知識がなかったからなんでしょうね。
    *2本作では音楽が重要なモチーフになっており、音楽ネタ的にはどの辺りの世代向けのものなのか、ぼくにはわかりかねますが。

     ==============================

     ――以上、十年前の四部作の再録、おつきあいくださり、ありがとうございました。
     再録初回にも書いたように、本稿でぼくは徹底的にオタクの勝利を誇っていました。
     しかしそれはただサブカル女に対し「俺たちの方が上」と言っていただけに留まらず、いかに男の子たちの生み出した萌え文化が「愛を現世にフィードバックさせる」という本田透が語ったような可能性を秘めていたかを指摘するものでもありました。
     そしてそうした可能性が、いつの間にか失われてしまった、萌えに希求力がなくなったことはただ、無念ではあるのですが……。
     次回はちょっと、この点について十年後の今から振り返ってみた、ちょっとした補足をお届けしたいと考えております。

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