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「1stガンダムに女性ファンは少なかったと主張する兵頭新児氏とそれに対する反応」というデマまとめについて(再)
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「1stガンダムに女性ファンは少なかったと主張する兵頭新児氏とそれに対する反応」というデマまとめについて(再)

2024-01-19 19:26
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    『あの子もトランスジェンダーになった』について、『WiLL Online』様で書かせていただいております。
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     前回に続き、ぼくが十年前に経験したフェミ信者からの攻撃を、「サブカル」側の「オタク」への攻撃の一例として再録します。
     もちろん、「攻撃してきた連中もオタクでは」といった反論も成り立ちますが、要するにサブカルは左派的価値観を深く内面化して、自分たちと意見の違う者を激しく攻撃するという特徴があり、オタクの中でも世代が上になるほどその性質を残している……といったことが、本稿をお読みいただくことでご理解いただけるのではないかと思います。
     なお、本稿は2014年5月9日が初出ですが、時事ネタなど少々の加筆訂正しています。


     では、そういうことで……。


         *     *     *     *


     どうも皆さん、コンニチハ。
    「『ガンダム』ファンの女子は少ない気がすると言っただけで政治的論争に組み込まれちゃった」、兵頭新児です。

     前回のブログ記事がニコ動で採り上げられたことも手伝い、かなり多くの方に今回の悪質なデマについて、冷静な判断を下していただけたようです。
     むろん、前回のコメント欄にも単なる罵倒などは数多くありました。しかしそもそもニコ動で採り上げられるという場合、トップページや動画再生ウィンドウの上のバーの表示を見て、そのリンクから飛んでくる方が多く、本文をよく読みもせず適当な罵詈雑言を残していくことがほとんどなのです。それを考えるに、ちゃんと読んだ方には大体、わかっていただけたのではと思っております。
     一方、まとめのコメント欄に「粘着」している方は、相変わらず夢の世界を漂っていらっしゃるようです。ぼくの「最初から『ボルテス』と比べてと言っている」との言い分が人口に膾炙し、さすがに無視できなくなってきたのか、最近では「兵頭の書き方が悪い、理解してもらえると思うな、誤解させたのが悪いのだ」といった主張が主流になっております。それを主張するにも「ひとまず、兵頭の最初の発言について、真意を理解した」ことが前提になるはずですが、彼らはただひたすらこちらを難詰するばかりで、果たして真意を理解しているのかいないのか、いまださっぱりわかりません
     ぼくの方も、仮にどれだけ敵対的であろうと罵詈雑言を並べ立てるのでない限りは、相手と対話を持つよう務めているつもりなのですが(その意味でtikuwa_zeroとか市川大河(現・市川大賀)とか新井博之助とか鋼鉄サンボとかは最低ラインを超えた「人間としてアレな方」と言わざるを得ません。こうした中にも結構プロの書き手がいるのですから、恐ろしいですね)、話せば話すほど論理は飛躍し、彼らの主張はついにはぼくの発言、

    『ガンダム』って何となく女性ファン少なそうな気がするけどな。シャアなんか明らかに市川治の系譜を狙ってたはずだが。
    とは言え、やはりその市川治でもわかるように腐女子が「男の世界に乱入してきた存在」であることには原理的に変わりようがない。



     この上段と下段とが無関係である、一つのつぶやきの中に無関係な内容があることがプロのライターとしてけしからぬ、というところにまで、その言いがかりが「進化」してしまいました。
    「とは言え」と断っているのだから話題がある程度飛んでいるのは当たり前だと思うんですけどね。
     兵頭の発言をねじ曲げた加野瀬未友、それに乗っかり罵詈雑言を並べ立てた者たち、彼らの振る舞いについてはスルーで、ただ兵頭が何気なくつぶやいた文章が文章として悪文であった(と彼には見えた)ことだけは絶対に許せず、狂ったように糾弾する。
     その情熱がぼくには理解できません。
     ……いえ、ウソです。
     大変に理解のしやすい話です。
     こういうの、日常生活の場面でも往々にして起こることですよね。

    社長「A君、最近遅刻が多いね、君はクビだ」
    A君「え? 調べてください、ぼくは確かに昨日、遅刻しました。が、遅刻回数そのものは他の社員よりむしろ少ないですよ」
    社長「君は遅刻のことばかり言っているようだが、業績について思わしくないからクビだと言っているのだ」
    A君「え? 調べてください、業績で言えばぼくはむしろ上位の方では?」
    社長「君は業績のことばかり言っているようだが、勤務態度が不真面目だからクビだと言っているのだ」
    A君「え? 調べてください……」
    (以下永久に続く)

     社長の中では「A君をクビする」という目的だけが先行してるので、自己の論理矛盾について気づけない。というか、恐らくそんなことについては考えてもいない。
     上にわかりやすく会社コントを書いてみましたが、もう一つ書かせていただくと、ぼくは彼らの言動を見ていて、いわゆるオカルトのビリーバーたちの言い分を連想してしまいました。
     例えばビリー・マイヤーは多くのUFOの写真、8mmフィルムを根拠に「俺は宇宙人とマブだぞ」と主張し、UFOカルトの教祖となった人物です。彼の名前で画像検索すると、かなり鮮明なUFOの写真がいくつも見つかります。
     しかしそれら画像は模型の円盤を糸で吊っただけのものだということがコンピュータによる画像解析でわかっており、それこそ「信者」を除くと彼のUFO話を信じる者はいません。
     8mmフィルムでUFOが大木の周りをくるくる回っている映像があるのですが、調査してみると撮影場所にそんな大木はありませんでした。どうやらUFOのみならず、大木もミニチュアだったようです。
     彼の会ったと称する宇宙人はお約束通り美人なのですが、彼が持ち出してきた宇宙人の写真は、アメリカのテレビ番組の出演者の写真をそのまま写しただけの(確かテレビ画面をそのままカメラで撮影し、走査線すら入っていた)ものでした。
     しかしマイヤーさんは挫けません。
     大木が撮影場所にないのは「UFOが大木を放射線で汚染してしまったがため、過去に遡って大木を消去した」、宇宙人写真は「本物があったのだが悪の組織(FBI辺りだっけ?)に写真をすり替えられてしまった」と、必死の弁明を繰り返しています。
     これはむろん、「大木が元からなかったこと」を説明するための無理矢理なリクツなのですが、人類に平和を説きに来た宇宙人が放射線を撒き散らした挙げ句、その事後処理としてわざわざ時間を巻き戻すというのはどう考えてもマヌケな話です(後、この宇宙人って反原発で地熱発電推進派らしいんですね、どうでもいいですが)。
     宇宙人写真にせよ、証拠隠滅のために悪の組織が写真を盗み出すところまではわかりますが、すり替えられたというのは意味がわかりません(だってその偽物とされている写真、最初は恐らくマイヤーさんが自らの意志で発表してるわけですよね?)。
     要するに、矛盾の説明に追われて新説がボンボン飛び出してくるのはいいけれども、それらと「そもそもの問題」との整合性が全然取れていないわけです。
     今回の加野瀬の子分たちの振る舞いは、まさにこれだと言えるでしょう。

     加野瀬未友は上のデマまとめを作ると共に、周囲に「兵頭新児は『ぼくたちの女災社会』という本の著者だぞ」と吹聴して回っていました(以下参照。ちなみにツイッターを「女災」で検索すると、こうした人々の「読まずに判断」ぶりに頭がクラクラします)。

    ガンダムは女性ファン少なそうな気がすると言ってる兵頭新児氏は『ぼくたちの女災社会』という本を書いているぐらいなのでお察し下さい…な感じ

    ― 加野瀬未友 (@kanose) April 20, 2014

    @BlackHandMaiden その人は『ぼくたちの女災社会 』という本も出しております

    ― 加野瀬未友 (@kanose) April 21, 2014


     そして上のまとめに「粘着」した者もまた、言葉に窮すると揃いも揃って『女災』に言及してこちらに罵声を浴びせてきました。もちろん、彼らが『女災』を実際に読んだ様子はどこにもありません。
     彼らの「粘着」の情熱がどこから湧いて出てきているのか、もうおわかりでしょう。
     こんなの、ミステリに喩えれば「死体の前に落ちていた名刺の人物が犯人だった」くらいにモロバレなのですが、本人たちだけはそれに気づかないのです。
     とにもかくにも「相手が悪者だ」という「真理」だけが絶対で、「悪者」は何をされても文句を言ってはならない。それが彼らの考えです。これがアンチポルノ派やレイシズムや性犯罪冤罪と同じ図式だということは、もう説明の要もないかと思います。
     まさかとは思いますがこの人ら、普段は「ロリコンサベツ許すまじ」とか言ったりしてないでしょうなあ。

     さて、とは言え、ちょっと調べてみると今回の騒動を起こした加野瀬未友、元からこうしたデマコギーの常習犯だとのこと。論敵の発言を恣意的に切り抜き、晒し上げ、炎上させる。フォロワーを手先に使い、自分は決して議論に参加せず、遠くから様子を観察するというのがその手口のようです。政治家としては有能でしょうが、ぼくみたいな(ある種思ったことをそのまま書くだけの単純な)人間にとっては一番理解しがたいタイプの人間です。
     彼のデマタイトルも、当初は「1stガンダムに女性ファンは少なかったと主張する兵頭氏とそれに対する反応」というタイトルであり、後で兵頭新児氏とフルネームに書き換えられたという経緯があるのです。彼の目的が非常によくわかる話ですね。
     まあ、対象が無名ライターなのでこんな稚拙なやり方でも大衆は騙される、と思ったのでしょうが、どちらかと言えば加野瀬の悪名が広がる結果になったのではないでしょうか。
     もっとも、著名な方でもこんな幼稚な手段にまんまと引っかかる方がいたのには驚きました。例えば原田実*氏は両まとめを見て加野瀬に軍配を上げていました。どうにも納得しがたく、事情をご説明するメールを差し上げたのですが、反応はありませんでした。
     まさかとは思いますがこの人、普段は偽史を批判なさったりしてないでしょうなあ。

    *と学会のメンバーで、上にあるように偽史の批判をずっと続けている人なのですが、そもそも文章をまともに読む能力のない人間がそんなことをやっているって、どうなんでしょう。
     またこの御仁、重篤なフェミニズムの信者でもあるようです。

     ……とまあ、前回の補足はこんなところで。
     実は今回の問題の発端とも言えるブログを読んでみたので、ちょっとそれについて書かせていただきましょう。
     このブログ主の主張はまず、「『ガンダム』ファンに腐女子は少ない」です。あくまで「腐女子」であり「女性」ではありません(まさか加野瀬、この辺もねじ曲げて拡散させたりしてないでしょうなあ)。
     彼の主張は雑駁にまとめれば「富野の女性観は伝統的な男女ジェンダーに忠実なモノであり、それは腐女子の嫌うモノだ」と言うことに尽きます。
     この分析は、恐らく正しいものです。そもそもぼくが『ガンダム』に女性ファンが少ないと感じたのはそれこそが原因でした
     ただし、ぼくは彼女らがそこまでリクツ通りの存在かな、とも思います。
     ぶっちゃけるとぼくは「オタク女子」と「腐女子」との厳密な区分けに、あまり意味を見出せません。なので正直、彼の言うことにそこまで賛成ではないのです。
    「腐女子」というのは実はあの女どもの「モードチェンジ」の一形態であって、腐女子と言ってもBLのみにて生くる者に非ず、なのです。今の腐女子は美少女系の漫画やゲームだって愛好している層が多いはずです。むしろフェミニズムが夢想する「女性ジェンダーへのカウンター」といった理念を体現する腐女子は少数派のはず。
     いえ、「フェミニスト」すら実はあの女どもの「モードチェンジ」の一形態であって、上野千鶴子師匠だって結婚したことを、おそらく本人は「プライベートだからいいじゃん」くらいに考えているはずです。
     つまり腐女子もフェミニストもただの「女」のモードチェンジの一形態に過ぎないのです。彼女らは場面場面に応じて実に都合のいいようにモードをチェンジさせる平成ライダーのような存在であり、それによりダブルスタンダード、トリプルスタンダードな女性ジェンダーを享受している存在なのです。
     いえ、BLも美少女系の萌えも嗜むこと自体は決して悪いことではありません。が、フェミニズムというイデオロギーを唱えながらそれらに無批判というのは平仄があわないでしょう。その意味で「フェミじゃない腐女子」は場合によっては美少女萌え話のできる、ぼくらの友だちであると言えますが、萌え文化を邪気なく享受する(その裏ではポルノを批判してみせる)「腐女子フェミニスト」はやはり、言行不一致だと言わざるを得ないでしょう。
     極端に言えば、フェミニズムはその偏向したイデオロギーで、ぼくたちと腐女子の仲の邪魔さえも、しているわけです。
     そう考えると、上のブログ主さんの怒りも何だかわかってきます。
     富野アニメを愛する彼にしてみれば、フェミニズムに囚われた者たちの偏向した視点が、富野アニメへの正当な評価を阻むものに見えた、言ってみれば自分と富野の仲の邪魔をされているように、見えた。
     それが彼の怒りの原動力ではないか。
     最後にちょっと付け加えておけば、ぼくは以前、、美津島明様のブログ「直言の宴」に「ボクと契約して、フェミニストになってよ!」という記事を寄稿させていただきました。ここでぼくは「オタク評論家」たちがフェミニズムによってオタク文化を評価することを

    オタク文化の歴史は、それがそのままオタク修正主義の歴史でもありました。

     正当に評価されてこなかったオタク文化の流れを、いつかオタク自虐史観から解き放ち、語り直すことができればいいな――とぼくはそんな風に考えています。


     と評しました。
     まさに、これは今回の件を「予言」していたかのように、ぼくには思われます。

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