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Vol.334 結城浩/仕事での質問がうまくできない/本当にそう思っているか/勉強したことを話したくなる/写本に近いノート/
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Vol.334 結城浩/仕事での質問がうまくできない/本当にそう思っているか/勉強したことを話したくなる/写本に近いノート/

2018-08-21 07:00
    Vol.334 結城浩/仕事での質問がうまくできない/本当にそう思っているか/勉強したことを話したくなる/写本に近いノート/

    結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2018年8月21日 Vol.334


    はじめに

    結城浩です。

    いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。

    気がつくと8月も20日を過ぎ、ときどき「秋めいた」と言いたくなるような涼しい日もありますね。

    今週は『数学ガールの秘密ノート/行列が描くもの』の初校ゲラを待ちながら、次の本の作業も進めていきたいと思っています。

    あなたの夏の予定はいかがでしょうか。

    今回の結城メルマガも、どうぞごゆっくりお読みください。


    目次

    • SE二年目、仕事での質問がうまくできない - 仕事の心がけ
    • 現在を懸命に生きるということ
    • 勉強したことをすぐに話したくなる - 学ぶときの心がけ
    • 発言者は「本当にそう思って」発言しているのか
    • 写本に近いノートになってしまうことに不安 - 学ぶときの心がけ
    • 定期試験は満点なのに模擬試験では30点 - 学ぶときの心がけ

    SE二年目、仕事での質問がうまくできない - 仕事の心がけ

    質問

    四月から二年目のSEです。

    仕事で「質問」がうまくできなくて悩んでいます。

    相手から「何がわからないの?」や「どこがわからないの?」と水を向けられても、「わからないからわからないんだよ……」となってしまいます。

    学生時代には「この式はどこから来たんですか」や「どうして答えがこうなるのですか」のように質問できていたと思うんですが……

    よろしければアドバイスをお願いします。

    回答

    ご質問ありがとうございます。

    質問をするというのはなかなか難しいものですよね。あまりにもわからないとどのように質問していいかとまどう人はたくさんいらっしゃいます。質問ができなくて悩むというのも珍しいことではありません。「結城メルマガ」にも「質問の仕方」の質問は定期的にやってきます。

    質問の仕方のアドバイスをひとつ。「これがわからないんですが」のように発言するのではなく「これはわかるんですが」のように発言することを試みるのはどうでしょうか。あなたは困っているとき、ほんとうに「すべて」がわからないわけじゃないですよね。どんなに当たり前のことでもいいですけれど、わかっていることが少しはありますよね。自分が「質問内容を伝える」のではなく「理解の最前線を相手に伝える」というスタンスに立つということです。

    「これがわかりません」とピンポイントで質問できたら、それはそもそもすごいことです。でも、それができないなら「Aはわかります。Bもわかります。Cもわかります」のように列挙してみてください。できれば「Aはわかります。〇〇ということです」や「Bはわかります。なぜなら〇〇だから」のような補足もつけて。

    あなたがすべてをわかっているのではない限り、その列挙の途中のどこかで苦しくなるはずです。そのあたりに《理解の最前線》があるはずです。その《理解の最前線》を相手に伝えるなら、それは質問と同じような効果を生むはずです。

    ところで、あなたの質問を読んでいて、ふと「自明のことや、本来ならわかって当たり前のことは質問したくないのではないか」という印象を受けました。自明のことは質問できない、当たり前のことは質問できない、となってしまうと、質問するためのハードルが急激に高くなります。なぜなら、ある程度わかっていないと、自分の質問が自明かどうか判断できないからです。

    どうしてあなたの質問でそういう印象を持ったかというと「学生時代には質問できていた」という記述があったからです。学生なんだからわからなくてもしょうがないし、自明なことを質問しても構わない。でも社会人となったいまは、自明なことを聞くのはまずい。ちゃんとしなくては……みたいな気持ちがどこかにあるのではないかと感じたのです。

    それは私の勝手な想像ですが、もしもあなたが「自明なことを聞いちゃまずい」という意識を持っているなら、改めた方がいいと思います。

    なお、やや蛇足ですが、あなたの質問中にある

     相手「どこがわからないの?」
     自分「わからないからわからない」

    という対話はずれています。

     相手「どこがわからないの?」
     自分「どこがわからないかという点からわからないです」

    がずれのない状態です。

    相手に質問するというのは、ある意味では自分の弱いところを相手にさらす行為です。でも、自分の状態を正直に見せられないと、的確な答えは得られません。どうしても質問できないなら最終的に「どこがわからないかという点からわかりません」と教えを請うしかないのではないでしょうか。

    さすがに「どこがわからないかという点からわかりません」とは言いにくいとしたら「ここはわかります」を列挙する方法は抵抗が少ないとおもいますよ(抵抗というのは、あなたのプライドからやってくる心理的抵抗のことです)。

    まだ二年目。あなたの仕事は始まったばかり。質問できるかどうかは大事です。

    がんばりましょう!


    現在を懸命に生きるということ

    季節外れですが、バレンタインデーの話題。

    中学時代、若い教師が授業中、急に「チョコを渡して告白なんかするな。誰かを思う気持ちをそんなに安っぽく扱うな」と言ってたのをふと思い出しました。数十年前のことです。

    そのときには何も言わなかったけれど、いまの私だったら「先生、あなたはまちがってるよ。人を思う人の心に、そんな形で介入するなよ。しかもいま授業中だろう」と言いたくなります。

    人生は変化していくものです。人生には、その時でなければできないこともありますし、その時でなければ抱けない気持ち、その時でなければ言えない言葉だってあります。

    確かに、中学生が中学生を思う気持ちは、大人から見たら幼かったりするかもしれません。チョコに託すなんて安っぽく見えるかもしれません。でもそれは錯覚だと思います。当の本人にとっては、人生のその時にしかできないこと、抱けない気持ち、言えない言葉かもしれないからです。「幼い」や「安っぽい」などと簡単に断じていいとは思えません。

    もちろん、教師としての立場から、あるいは年長者としての立場から、危険なことや大きな損失になることを警告したり防止したりするのは大事なことです。また、自分の思うことを伝えるのは悪くはありません。しかし、人の心の中への介入には最大限の注意が必要になります。

    数十年が過ぎ、当時の「若い教師」も、いまでは(存命ならば)八十歳代でしょうか。人生とは、と思います。

    現在を懸命に生きるという話題を考えるとき、森鴎外の『青年』という物語に出てくる一節を思い出します。以下、引用。

    * * *

    一体日本人は生きるということを知っているだろうか。小学校の門を潜ってからというものは、一しょう懸命にこの学校時代を駈け抜けようとする。その先きには生活があると思うのである。学校というものを離れて職業にあり附くと、その職業を為し遂げてしまおうとする。その先きには生活があると思うのである。そしてその先には生活はないのである。

    現在は過去と未来との間に劃(かく)した一線である。この線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。

    ◆森鴎外『青年』(青空文庫)
    http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/2522.html

    * * *

    また「現在を懸命に生きる」というテーマでは、この本も思い出します。

    ◆筒井康隆『夢の木坂分岐点』(新潮文庫)
    https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4101171246/hyuki-22/

     
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