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NEXT TOJ 〜TOJの歴史を振り返る〜 Vol.28
2017-02-28 09:001990年 国際サイクルロードレース
この'90年という年は、アジアではじめて世界選手権が開かれた年でもあります。ロードレースは8月29日〜9月2日にかけて宇都宮で行われました。 この世界選手権を記念して'92年よりジャパンカップサイクルロードレースが行われています。
■栗村コメント 1990年9月に宇都宮で開催された世界選手権ロードレース。アジアでは初となる開催ということでそれはそれは夢の様な光景が繰り広げられました。 その世界選手権の約3ヶ月前に開催されたこの年の国際サイクルロードレースですが、つい大会ディレクターとして目がいってしまうのが、折り返し地点に設けられた豪華(過剰?)なプロテクションの数々。安全面を考えると理想的な対策ではあるのですが、お金かかってそう……という観点でみてしまいます。 世界選手権開催には誘致料を含めて膨大な競輪マネーが投入されたと言われているので、国際サイ -
NEXT TOJ 〜TOJの歴史を振り返る〜 Vol.27
2017-02-27 09:001990年 国際サイクルロードレース
'90年の写真にはシグネーチャーボードが残っていました。以前、プロ観の記事にもご登場いただいた小室雅成さんのお名前が。他にも今中大介さんや三船雅彦さんのお名前も見つけられますね。
■栗村コメント これまた貴重なサインボードの写真ですね。 1990年5月というとわたくし栗村は18歳。この時はフランスにいました。 それにしても改めて名前をみていくと懐かしい名前がズラッと揃っています。国内各自転車関連メーカーの部長クラスまで昇り詰めた方々のサインもチラホラと。 この写真を酒のツマミに当時の選手たちに集まっていただいて同窓会でも開いたらいろんな思い出話が飛び出してメチャメチャ盛り上がりそうですね!
■「NEXT TOJ 〜TOJ歴史を振るかえる〜」とは……今年でツアー・オブ・ジャパンは第20回大会を迎えます。国内でも有数の歴史を誇る、TOJをみなさんに楽しん -
NEXT TOJ 〜TOJの歴史を振り返る〜 Vol.26
2017-02-26 09:001989年 国際サイクルロードレース
東京大会。男子は残り1周で5人に絞られた中から、スペインのアルナンディス選手が残り100mで隙を突いて優勝を飾っています。2位メキシコのヨシマツ選手、3位フランスのクロード選手。
1989年 国際サイクルロードレース
女子は、アメリカのマース選手が優勝。2位は中国の顔 銀花選手、3位は同じく中国の魯 素艶選手が獲得しています。
■栗村コメント この当時から女子選手の数がそれなりにいたのはなんとなく驚きですね。 今と違って普通に生活していても自転車ロードレースというスポーツを知るきっかけはほとんどなかったわけですから、みなさんがどの様にして入口に至ったのかを知りたいものです。 ちなみに選手たちをチェックしてみると、ヘルメットとカスクの数が半々になり、ビンディングペダルとトゥークリップの選手の数も半々くらいになってきてますね。
■「NEXT TOJ 〜 -
NEXT TOJ 〜TOJの歴史を振り返る〜 Vol.25
2017-02-25 09:001989年 国際サイクルロードレース
東京大会は、日比谷から大井ふ頭というコースのため、スタートとゴール地点が離れているという難点がありました。少しでも観戦しやすいように、この年からはJR品川駅から大井ふ頭までの無料送迎バスを運行し、満員だったという記録が残っています。
■栗村コメント まだまだ観戦環境はよくなかった時代ですが、東京の中心部でレースが開催され、観客用のシャトルバスが運行されるというのは、当時としてなかなかの取り組みだったのではないでしょうか。 それでもフィニッシュ地点のみなとが丘ふ頭公園のお客さんの数はまばらな感じでしたね。
■「NEXT TOJ 〜TOJ歴史を振るかえる〜」とは……今年でツアー・オブ・ジャパンは第20回大会を迎えます。国内でも有数の歴史を誇る、TOJをみなさんに楽しんでいただければと思い、写真と共に振り返ります。 -
NEXT TOJ 〜TOJの歴史を振り返る〜 Vol.24
2017-02-24 09:001989年 国際サイクルロードレース
'89年には、海外招待選手がフランス、イタリア、スペイン、オーストラリア、メキシコ、ニュージーランド、中国、韓国、アメリカ、イギリス、オランダの11ヵ国から来日し、男子は中国、スペイン、メキシコの3ヵ国、女子は韓国が初参加となり、国際サイクルロードレースの名に相応しい大会になっています。 メキシコから参加の日系三世のホセ・マヌエル・ヨシマツ選手は、ロス五輪の銅メダリストで、ソウル五輪でも代表に選ばれています。フランスのクロード・カーリンはソウル五輪代表。各国トップのアマチュア選手が招待され、高橋松吉選手、鈴木光広選手、阿部和香子選手など日本人選手たちは、昨年以上の好成績を期待される中でのレースになりました。
■栗村コメント ホセ・マヌエル・ヨシマツ選手!なつかしい! 見た目は完全に文系の日本人なのに、平地でもスピードがあり、当時10代だった我々は彼 -
NEXT TOJ 〜TOJの歴史を振り返る〜 Vol.23
2017-02-23 09:001988年 国際サイクルロードレース
この年の東京大会の男子優勝者はニュージーランドのブライアン・ファウラー選手。彼はこの年のナショナルチャンピオンに輝き、ソウル五輪にも出場しています。
1988年 国際サイクルロードレース
女子はイタリアのE・ガガローニ選手が優勝。2位はフランスのN・ペルティエ選手、3位は昨年も表彰台に登った中国の魯 素艶選手。
ちなみに、この年の男子の総合優勝は、高橋松吉選手で初の日本人総合優勝。名古屋大会の円谷選手と共に、日本人選手は大健闘でした。
■栗村コメント 独走するイタリアナショナルチームの選手の後ろを走るテレビ朝日(当時は10チャンネルだった)のスバル・レオーネが時代を感じさせます。ちゃんとは見えませんが恐らく後部にカメラが乗っていて後ろ向きに撮影するシステムを採用しているのでしょう。 総合優勝を果たした高橋松吉選手は、この年日本に新たに誕生した伝説 -
NEXT TOJ 〜TOJの歴史を振り返る〜 Vol.22
2017-02-22 09:001988年 国際サイクルロードレース
この年の国際サイクルロードレースはソウル五輪日本代表候補選手選考会を兼ねていました。 ソウル五輪では、トラックレースの橋本聖子さんとともにロードレースでは関ナツエさんが選ばれ、日本人初の夏冬オリンピックで話題になりました。 他にも男子では、鈴木光広さん、三浦恭資さん、そして国際サイクルロードレース名古屋大会で優勝した円谷義広さんが選ばれ、女子は関さんに加え、小倉輝美さんが選ばれています。
■栗村コメント 国際サイクルロードレースで五輪代表を選んでいた時代が懐かしいですね。 恐らく他のいくつかの国内大会も選考レースとして設定されていたとは思いますが、どちらにしても国内レースの順位によって五輪代表が選出されていたわけです。現代ではこういった選び方は採用されなくなりましたが、国内レースに緊迫感とバリューを生み出すためにも、1枠だけでもこういった選び方を採用 -
NEXT TOJ 〜TOJの歴史を振り返る〜 Vol.21
2017-02-21 09:001988年 国際サイクルロードレース ※写真は東京大会のものです。
'88年は大阪、名古屋、東京の3会場。名古屋では国際サイクルロードレースでははじめてのクリテリウムが行われました。コースは庄内緑地公園の特設コース(1周2.55km)を利用し、男子は20周、女子は15周。 男子では、円谷義広選手が優勝し、国際サイクルロードレースとしては'82年以来の日本人優勝だったため、大変盛り上がったそうです。
■栗村コメント ピンクのサングラスをかけたアメリカナショナルチームの選手がハイカラですね! 名古屋大会を制した円谷選手は甘いマスクで、スピードがあり、スプリントもよし、上りもよしとパーフェクトで我々世代の憧れの日本人選手でした。いまの環境であればきっと本場のプロとして通用したのでは?
■「NEXT TOJ 〜TOJ歴史を振るかえる〜」とは……今年でツアー・オブ・ジャパンは第20回大会を迎えます -
NEXT TOJ 〜TOJの歴史を振り返る〜 Vol.20
2017-02-20 09:001987年 国際サイクルロードレース
この年、京都大会と東京大会を制したイタリアのジョヴァンニ・フィダンツァ選手が、総合優勝も手にしています。 フィダンツァ選手はこの年のツール・ド・ラブニールでも活躍し、'89年のジロ・デ・イタリアではポイント賞、ツール・ド・フランスの第20ステージで優勝しています。
1987年 国際サイクルロードレース
女子はフランスのコリンヌ・ル・ガル選手が京都大会で優勝を決め、総合優勝にも輝いています。 また京都大会では中国の魏 宏英選手、魯 素艶選手が2位、3位になっています。
■栗村コメント ジョヴァンニ・フィダンツァ選手といえば、あのマリオ・チッポリーニ選手に並ぶほどの伊達男レーサーでしたね!女性ファンは是非 "Giovanni Fidanza" で画像検索してみてください! あっ、最近のかなりお太りになられた画像もでてくるので注意してください……。
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NEXT TOJ 〜TOJの歴史を振り返る〜 Vol.19
2017-02-19 09:001987年 国際サイクルロードレース
写真の自転車はおそらく「Peugeot PY-10FC」。 PEUGEOTは1882年に「Cycles Peugeot」という子会社を作り、自転車製造を手がけています。 1905年に行われた第3回のツール・ド・フランスを優勝したルイ・トゥルスリエをサポートしていたのもPEUGEOTです。 このPY-10FCは当時の最新技術としてチューブにカーボンファイバーを導入し劇的な軽量化を達成しています。
■栗村コメント 懐かしい!プジョーのカーボンバイク! 現在でこそレース用のフレームはほぼ100%カーボンとなっていますが、この時代のカーボンフレームはかなり最先端をいっていました。 逆に言うと完成度はまだまだであり、接着箇所がスポッと抜けてしまうトラブルなどもチラホラ。また、フレーム強度もあまり高くなく、人によってはフニャフニャという表現でインプレッションし
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