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子供の頃に読んだ(あるいは読み聞かされた)「アリとキリギリス」という絵本にずっと違和感があった。夏の間一生懸命に働いて食料を貯えたアリとそれを横目に見ながら毎日バイオリンを弾いていたキリギリスがともに冬を迎え、蓄えのないキリギリスだけが飢え死にするというイソップの寓話だ。
僕が子供の頃の親たちは「良い大学を出ないと良い会社に入れない」というのが口癖だった。さらに僕のような団地暮らしの親たちの多くが長男には「良い会社に入って結婚して早く孫の顔を見せてね。親も同居できる庭付きの家を建ててね」と望んでいた。当時は当たり前のように(中にはプレッシャーで非行に走ったりノイローゼになったりした同世代もいたけれど)受け取っていたこの人生観の根っこには幼児期に刷り込まれた「アリとキリギリス」の教えがあったような気がしてならない。今思えば。
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固定観念を知らず知らずのうちに植えつけられる。固定観念の枠外の人は蔑まれる対象である。なんだか違和感があります。私も両親に将来あるべき姿を両親に言われ続け、結果、高学歴でもいい会社に勤めるわけでもなく、そして独身で…
視野が広くなるには固定観念からの脱出が必要なのでしょうね。
私も子供の頃に「フレデリック」に出会いたかったです。
小原信治(著者)
>>2
逆に子供の頃は「固定観念」の枠の中で収まるような人生なんて「予想外の結末のない映画」みたいでつまらないと思っていました。でもそれもまた「固定観念」の中で生きている人たちを蔑んでいるんですよね。そもそも「固定観念」なんてものを作ること自体が無意味なんだと思いますよね。