ちょうど1年前の3月11日午後2時46分、僕は産婦人科にいた。妻が初めての診察を受けているとき、待合室の小さなテレビで追悼式典の中継を見ながら亡くなられた尊い命に手を合わせてから、宿ったばかりの新しい命に逢いにいった。命の連鎖というものを強く感じた瞬間でもあった。
草の根広告社
「3.11を知らない子供たち」
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コメント
コメントを書くおはようございます。
親が子供に贈る詩のなかに、世の中の出来事もちゃんと伝えていかなきゃと思いました。その時感じた自分の思いも一緒に。
ついつい、
憎しみや悲しみも一緒に伝えていそうで、
ハッと気づかされた朝でした。
嫌な思いは、繋いじゃだめですね。
ちゃんと精算してつたえられるかなー。
>>1
悲しみはともかく、憎しみは伝えたくないですよね。広島や長崎に行って原爆の爪痕や歴史的資料に学ぶことはありますが、
そこでアメリカに対する憎しみを受け取って来ることはないですもんね。
人が生きてきた長い歴史の中で、様々な出来事を次の世代に伝え繋いでいく、難しいことですよね。
戦争を知らない私たちが戦争を伝えなければならない、なぜこういった結果になったのか、そしてそこから今に至るまでの軌跡。
震災もそう。阪神淡路、東北、九州、地震を始めとする自然災害は、自然と共存する以上、これから先もないとは言えない災害、その時なにがあったのか、そしてその経験をどう活かすか、正解はありませんが、伝えそして大切なことを考えてもらえるようになってもらえることを願いますね。
>>3
先人から甚大な災害があったと伝えられていたのに、豊かさや便利さを優先してあのような事故を起こした僕らだからこそ思いますね。