先日、葉山の書店で『樹木図鑑』なるものを購入した。写真がたくさん載っていて、持ち歩きに便利なポケットサイズの奴だ。自分が木や花の名前に関してあまりに無知であることを、近くの山を歩く機会が増えたことで、改めて思い知らされたからだった。
思えば昔からそうだった。たとえば女の子と腕を組んで公園なんかを歩いている時だ。
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おはようございます。素敵な青春時代♪この花がすきだから覚えておいてね♪なんて、いったことないです(笑)。朝からにやけてしまいました。散策するとき、最近はスマホに頼ってばかりなので、私も、久しぶりにポケット図鑑をひっぱりだして花木の写真を撮りにいきたくなりました。私の図鑑は手描きのイラストタイプなので、ぴたっと植物とあてはまらないこともあり、あーでもないこーでもないとやってるのが楽しいです。ほんと、いくつになっても、知りたいという気持ち、持ち続けたいものですね♪本当は、森の達人みたいな人と一緒にいろんなこと教えてもらいながら、散策したいなぁー。
まだまだ吸収したいことがいっぱいある、同世代です。
私も団地と言うか、ベッドタウンで生まれ育ったのですが、千葉のちょっとのどかなまちだったので、家の前は田んぼと畑がありました。
なので、子供の頃は自然と草花と接していた、というか、名前もわからず、遊び道具として触れていました。
シロツメクサでかんむりやネックレスを作ったり、ひっつき虫を友達同士で服につけあってはしゃいだり(やりすぎるとけんかになったり笑)
ただ、ほんと遊んでいただけなので、名前を知らずに触っていたものがほとんどです。
小学校の授業で、学校の周りの草花と資料集を見ながら覚えて、
そこで、小原さんのように、やっと顔と名前が一致した!
というような植物がけっこうありました。
今思うと、自然がそこそこ豊富な場所で、
土で遊べる幼少期を過ごせたのはしあわせだったなぁ、と思います。(遊んでいて、田んぼに2回ほどはまりドロドロになったりもしました笑)
けれども、知らなかったからこそ、
大人になって知っていく喜びもありますよね。
私も都会で生まれ育ったので、山や森で「これは○○という植物だよ」と教えてくれる人が一緒だったりすると、もうそれだけでその人が憧れの存在になったりしました。小原さんがずっとひそかなコンプレックスを抱いていたというところに激しく共感してしまいました。まわりに豊かな自然があって、これからゆっくり時間をかけながら探求していける教材がいっぱいあるということはとても素敵ですね。がんばってください。
>>3
そういう子供時代を過ごされた方を眩しく思います。と同時に、自分には人間として大切な何かが大きく欠落しているのを思い知らされます。まあ、大切な何かが欠落しているからこそ「今の自分」があるのも重々分かっているんですけど。
>>4
モテますよね、そういう人。そういう人になりたいです。
>>1
吸収できること、死ぬまであると思います!
都会生まれ、都会育ちの私は、田舎育ちの両親に子供の頃、よく山登りに連れていってもらいました。その時、この木は○○だよ、この花は●●だよと教えてもらったものでした。
自然から離れた生活が長くなると、教えてもらったことを忘れている自分がいて、山登りなど自然が多い場所に行って、この木は○○だよとか教えてもらうと、子供の頃の感動が、よみがえるように思います。
人から学ぶこと、まだまだこれからあるかな。いっぱい吸収できる人間であり続けたいです。