おはようございます。マクガイヤーです。
先週は仕事が終わった後毎日のように外出したので、金曜の夜には死んだように床につきました。
ゴールデンウィークに見逃した映画をみておきたいのに加えて、ここ最近、公開される映画に気になるものが多すぎるもので、いたし方ないです。
マクガイヤーチャンネルの今後の予定は以下のようになっております。
○5月20日(土)20時~
「最近のマクガイヤー 2017年5月号」
いつも通り、最近面白かった映画や漫画について、まったりとひとり喋りでお送りします。
・最近の邦題
その他、気になった映画や漫画についてお話しする予定です。
○6月3日(土)20時~
「俺たちの『コブラ』」
ヒューーッ!
『コブラ』といえば、1978年から『週刊少年ジャンプ』で連載が始まり、その後も掲載誌を変えつつ断続的に継続しているご機嫌なSFアクション漫画です。
自分は親父の本棚から盗み読みして以来、『コブラ』が大好きなのですが、21世紀になっても新作アニメが発表されたり、実写化企画が進行していたり、ネットでMAD映像やコラ画像が発表されたりと、断続的に盛り上がっているコンテンツでもあります。それは まぎれもなく ヤツさ!
そこで、ゲストとして同じく『コブラ』が大好きなオタク大賞名誉審査員のナオトさんに出演して頂き、おっさん二人が『コブラ』の元ネタや成り立ちについて解説したり、傑作エピソードについて語り合ったり致します。
盛り上がらなかったら……笑ってごまかすさあ!
○6月24日(土)20時~
「サバイビング・ジブリ ジブリ・サバイバーとしての米林宏昌と『メアリと魔女の花』予想」
7/8より元スタジオジブリ現スタジオポノックの米林宏昌監督による期待の新作『メアリと魔女の花』が公開されます。
米林監督といえばカオナシのモデルで有名ですが、「麻呂」という仇名をつけられつつも、後進を育てられないことで有名なスタジオジブリで『借りぐらしのアリエッティ』、『思い出のマーニー』という長編作品をしっかり形にして発表できた稀有な監督でもあります。
そしてこの二作には、あまり知られていませんが、スタジオジブリについてのメタ的な意味が込められてもいるのです。
そこで、『借りぐらしのアリエッティ』、『思い出のマーニー』の秘められた意味について解説しつつ、『メアリと魔女の花』について予想したいと思います。
是非とも『借りぐらしのアリエッティ』、『思い出のマーニー』を視聴した上でお楽しみ下さい。
○7月前半(日時未定)20時~
「『ハクソーリッジ』と天才変態監督メル・ギブソン」
6/24よりメル・ギブソン久々の監督作である『ハクソーリッジ』が公開されます。
本作は2017年の第89回アカデミー賞において録音賞と編集賞を受賞しました。これまでどう考えても落ち目だったメル・ギブソンにとっての復活作なのですが、『ブレイブハート』『パッション』『アポカリプト』といったこれまでのメル・ギブソン監督作を観ていた我々には分かっていたことです。
メル・ギブソンが、稀代の変態にして天才映画監督であることを……
そこで、俳優・監督としてのメル・ギブソンについて振り返りつつ、『ハクソーリッジ』について解説したいと思います。
是非とも『ハクソーリッジ』を視聴した上でお楽しみ下さい。
○8月前半(日時未定)20時~
「しあわせの『ドラゴンクエスト』」
7/29に『ドラゴンクエスト』シリーズ久しぶりのナンバリングタイトルにして非オンラインタイトル『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて』が発売されます。
『ドラクエ』といえば「国民的ゲーム」の冠をつけられることが多いですが、『ポケモン』や『妖怪ウォッチ』や『マインクラフト』といったゲームを越えたコンテンツが席巻し、ゲームといえば携帯ゲームである現在、事情は変わりつつあるようです。
そこで、これまでの歴代作品を振り返りつつ、ドラゴンクエストの魅力に迫っていきます。
さて、今回のブロマガですが、先日観た三池崇史監督、木村拓哉主演『無限の住人』が思いのほか面白かったので、それについて書かせて下さい。
●原作漫画『無限の住人』とは
本ブロマガをお読みの皆さんなら既にご存知のことと思うのですが、映画『無限の住人』は1993年~2013年の間、沙村広明によってアフタヌーンに連載された同名漫画を原作としています。
舞台は江戸時代、不老不死となった剣士「万次」が、剣客集団「逸刀流」に両親を殺された少女「凜」の求めに応じ、用心棒として凜の仇討ちに付き従う……というのが粗筋です。
一対一の活劇ものである前半は新人とは思えない絵の上手さやアクション描写に唸らされ、著者の猟奇趣味が段々と反映されてくる中盤から後半は別の意味で唸らされるという、誰もが認める傑作です。しっかりしたゲロとレイプが出てくる漫画は、ゲロとレイプが出てくる映画と同じく、傑作なのです。
普通のテレビ時代劇では絶対に出てこない(しかし、映画や小説ではほぼ定番となっている)江戸風俗と、命のやりとりをすること前提な登場人物たちの価値観がぶつかりあう、というか交差するさまも、本作の大きな魅力でした。自分は飯盛女といえばエロしか思い浮かびません。
連載開始時に十代後半だった自分は本作(や『寄生獣』が)目当てでアフタヌーンを買い、毎月25日はリュックがパンパンになっていたことを覚えています。単行本を大学の友達に貸して、そのまま借りパクされたりしましたが、「こんなのもあるぞ」と『佐武と市捕物控』や杉浦日向子を教えてもらったのも、今となっては良い思い出です。本作が時代劇漫画や時代劇そのものへの入り口になった方も多いのではないでしょうか(一方で『るろうに剣心』がアメコミの入り口になった方も多いかもしれません)。
●万次さんの良さ
主人公である万次さんのキャラクターも、実に良かったのです。
万次さんはおそらくアラサーくらいで不死になってから十数年、あるいは数十年は経過しているのですが、数十年生きているにしては、全然落ち着いてないのですよ。
剣士としては着物や履物で相手の力量を推し量ったり、無骸流のバックに気づいたりと、年齢相応にめざといのですが、凛が泣いたり喚いたりするともう駄目です。かける言葉がみつかりません。多感な十代少女である凛の心の機微も読み取れず、いつも喧嘩ばかりです。
(このコマ、ノリは完全にトニーたけざきです)
かと思えば、凛の膝枕で耳掃除される姿をみられて、恥ずかしがったりもします。
父子で、5、60年くらい生きているなら、もっと堂々としていれば良いのに……と思うわけですよ。
更に、「万次さん、不死でなければとっくの昔に死んでいるのでは?」という弱さも魅力の一つです。不死であることがあまりアドバンテージになってない。完全な不死ではなく、首を切られたり、窒息したり、血を流し過ぎたりすれば死んでしまう。……だから万次さんは、不意をつくとか、刀以外の外道の武器を使いまくるとか、多少手足がもげても大丈夫という「不死」を最大限活かすとかいった具合に、全力を尽くします。これが、やたらめたら面白いわけです。一時期のジャンプ連載作品のような、本気になったら誰もが適わないスーパーパワーを持った主人公ではありえない面白さでした。
沙村広明は同名短編にて四季賞にて大賞を受賞し、23で漫画家としてデビューし、約20年間『無限の住人』の連載を続けてきました。
上記した万次さんのキャラクターは、『子連れ狼』から続く、保護者的な侍とイノセントな子供による血まみれ時代劇の系譜……を継承しつつ、「絵もコマ割りも無敵な技術を持っているのだけれど、漫画家としては未知数な自分」を反映しているのでしょう。巻数が進む――沙村広明が10年20年と年を取っていくに連れて、万次さんが年齢相応の落ち着き(と真似事でないおっさん臭さ)を得つつ、敵役であったはずの天津の成長物語のようになっていくのも面白いとこです。
●台詞まわしの上手さ
更に、時代劇というよりは現代のヤンキーが喋っているような台詞回しや(そういえば古谷実に代表される当事の講談社系の漫画家には「いかに普段のヤンキーの言葉遣いを漫画に導入するか」というムーブメントがありました)、
かと思えば、しっかり時代劇な台詞も適宜発せられるのが面白いところでした。
この台詞回しの上手さは、その後『波よ聞いてくれ』で大いに活かされることになります。
そんな『無限の住人』が実写映画化されると聞いたのは、確か昨年か一昨年のことでした公開された予告編を観て、期待半分不安というか心配半分というところでした。
期待の理由は監督が三池崇史であること
心配というか(観る前から)蔑んでいた理由は、主演が木村拓哉であったことでした。
しかし、実際観てみると、これが面白かったのですよ!
●「映画に愛された男」三池崇史
三池崇史といえば、最近では『ヤッターマン』や『土竜の唄』のヒットや、『テラフォーマーズ』の不入りや、次回策として『ジョジョの奇妙な冒険』が控えていることから、漫画の映画化専門監督というイメージを抱いている若者も多いことかもしれません。
しかし、それは誤りです。90年代、監督としてデビュー直後の三池崇史はVシネばかり撮っていました。現在の三池崇史が漫画原作映画や、『風に立つライオン』のような感動エクスプロイテーション(にみえる)映画、ばかり撮っているのは、そのようなオファーがあるから、そして三池崇史がどんなオファーでも断らない映画監督であるからに他なりません。
もっといえば、現在、漫画原作映画や感動エクスプロイテーション映画は、映画会社にとって確実に収益が期待できる作品である、現代のプログラムピクチャーであり、三池崇史は現代日本における最強のプログラムピクチャー監督なのです。三池崇史がもう少し残酷描写を抑える作風であったならば、ジャニーズやグラドルを主演として高校生同士の恋愛を描く恋愛エクスプロイテーション映画もフィルモグラフィーに並んでいたことでしょう。
三池崇史が「最強」である理由は、一年に三作も長編を発表できること、そして「映画に愛された男」であるからです。
↑にて、押井守は三池崇史のことを「映画に愛された男」「祝福された男」と呼んでいます。
自分やヴィム・ヴェンダースも「映画に祝福された男」であり、一方でデヴィッド・リンチは「映画に呪われた男」であり、批評家は映画の祝福を永遠に受けられない……なんてことも書いています。
つまり、ここでいう「映画に愛された男」とは、どんな題材であっても、どんな職人仕事であっても、「自分」を映画に入れられる監督であるということです(同書では、役者の事務所や配給会社に気を使いまくった結果「自分」の映画を撮れない樋口真嗣が盛大にディスられていたりします)。
たとえ『神様のパズル』であっても『忍たま乱太郎』であっても『風に立つライオン』であっても、どこからどうみても三池崇史にしか撮れない映画になっているのは、天晴れというほかありません。
「自分が自分らしくいようとさえ思わなければ、逆に自分らしく生きられる」
「映画作って、これで一発当てたいって思っているおじさんがいたら、その人のパワーを使わない手はない。 そのおじさん+俺って一滴ちょっと混ぜるだけで、変わるんですよ」
http://www.dokant.com/backnumber/mens/25/
インタビューでこのように答えているのも納得です。