おはようございます、マクガイヤーです。
まだ11月なのに、忙しくて忙しくてオナニーする暇もなくて困っています。
12月に入れば、世の趨勢とは逆にホッと一息つけそうな気もするのですが……
マクガイヤーチャンネルの今後の予定は以下のようになっております。
○12月9日(土)20時~
「『グウェンプール』と『スクイレルガール』とアメコミ翻訳上級編」
11月11日にアメコミ翻訳者の御代しおりさん(https://twitter.com/watagashiori)にご出演して頂きましたが、時間がなくて紹介できないアメコミ翻訳ネタが沢山ありました。
また、最近御代しおりさんが翻訳を手がけた『グウェンプール:こっちの世界にオジャマしま~す』や『絶対無敵スクイレルガール:けものがフレンド』は、いずれも従来のアメコミのイメージを覆すような作品です。
そこで、再度御代しおりさんをゲストにお迎えし、翻訳アメコミの更なる魅力についてお聞きします。
○12月23(土)20時~
「最近のマクガイヤー 2017年12月号」
・『仮面ライダー平成ジェネレーションズ FINAL ビルド&エグゼイドwithレジェンドライダー』
その他、いつも通り最近面白かった映画や漫画について、まったりとひとり喋りでお送りします。
○12月29日(金)(時刻未定)
「Dr.マクガイヤーのオタ忘年会2017」
例年お楽しみ頂いている「オタ忘年会」。2017年に語り残したオタク的トピックスやアイテムについて独断と偏見で語りまくります。
ちなみに過去の忘年会動画はこちらになります。
2016年
2015年
2014年
2013年
コミケ出ます。
3日目東リ25bです。山田玲司先生率いるヤンサンと同じ卓です。
大長編ドラえもん解説本を売る予定です。
Facebookにてグループを作っています。
観覧をご希望の際はこちらに参加をお願いします。
https://www.facebook.com/groups/1719467311709301
(Facebookでの活動履歴が少ない場合は参加を認証しない場合があります)
さて、今回のブロマガですが、科学で映画を楽しむ法 第5回として書いている「『大長編ドラえもん』と科学」のまとめ後編になります。
(前回から続けてお読み下さい)
●人生をやりなおしたい
もう一つは、人生をやりなおしたいという欲望の発露です。
藤子・F・不二雄は、どこからみても成功者です。
『オバケのQ太郎』のみならず『ドラえもん』というメガヒット作品を二つも持ち、幾つもの作品がアニメ化・映画化され、世界中の子供たちが作品を読んでいます。
にもかかわらず、Fが描くSF短編には、タイムマシンやパラレルワールドといったSF的ガジェットを使って、人生をやりなおしたいという話が多いのです。
たとえば『あのバカは荒野をめざす』は、ホームレスの主人公が自らの境遇を変えるために27年前に戻り、若いころの自分が駆け落ちするのを止め、落ちぶれる運命を変えようとする話です。
『パラレル同窓会』では、パラレルワールドに住む無数の自分が一同に会し、「同窓会」をし、折り合いがついたら世界を交換するというとんでもない発想に基づいた話です。一流企業の社長である主人公は、売れないけれども知的生活に満たされていると思しき作家の自分と世界を交換します。
『分岐点』では、ヒステリックな妻との夫婦生活に満足できない主人公が、「やりなおしコンサルタント」と名乗るホームレスの力を借り、10年前にパートナーとして選ばなかった女性との結婚生活を現実のものとします。
そもそもレギュラー版『ドラえもん』自体が、セワシの「自らの一族の歴史をひいひいおじいさんの時代からやりなおしたい」という欲望の発露からはじまった話である……というのは前記した通りです。小学5年生ののび太ですら「人生やりなおし機」や「タマシイム・マシン」で4歳や1歳の頃から人生をやりなおしたりするのです。
これが『大長編ドラ』になると、「人生をやりなおしたい」という個人的な欲望はほとんど出てきません。タイムマシンで過去に戻り、何かをやりなおすにしても、『のび太の恐竜』や『魔界大冒険』のように自分がやってしまったことに責任をとるためだったり、『鉄人兵団』のように文明の衝突を回避するためだったりと、あるべき姿への回復や、仲間や世界を救うための「やりなおし」です。
この理由は、おそらく『大長編ドラ』が「大長編」という肩書がつきつつもレギュラー版『ドラえもん』の番外編や外伝的位置づけの作品だったからでしょう。本編で決着をつけるべきテーマを番外編や外伝でこなされては困るからです。もっといえば、このテーマを完璧にやってしまうと、『ドラえもん』は最終回を迎えてしまうのです(このことは、これまた前記した「ドラえもん最終話」がしずかちゃんとの結婚やのび太の成長といった野比一族のやりなおしを扱いつつ様々な評論家から「明らかに違法だが藤子・F・不二雄や『ドラえもん』への敬意に溢れている」と評価されたことと無縁ではありません……というか、最終回で扱うべきテーマを真正面から扱っていたからこそ高評価だったのでしょう。)
ところが、大病を患った翌年の88年以降、藤子・F・不二雄はレギュラー版『ドラえもん』の連載をセーブし、91年以降は稀に新作が描かれるのみとなりました。つまり、『大長編ドラえもん』の執筆がメインの仕事となったのです。映画も、公開10周年、15周年を迎えても毎回数百万人を動員するドル箱作品となりました。『大長編ドラ』が本編のような扱いになってきたのです。
●メインテーマとしてのタイムトラベル
最後の一つは、タイムトラベルをメインテーマとして扱うことです。
前記したように、『大長編ドラ』は他のF作品と同様にタイムトラベルの扱いが上手く、何度も登場します。しかし、それらは冒険の世界に皆を連れていくためだったり、敵から逃げるためだったり、物語の決着や伏線の回収のためだったりと、あくまでもお話を先にすすめるためのガジェットとして使われたにすぎません。『大長編ドラ』でタイムトラベルそれ自体がメインのテーマとして扱われたことは未だかつてないのです。
この理由としては、作り手たちが「タイムトラベルをメインテーマとするとSFとしてシンプルな話になりすぎるから」と考えている可能性があります。逆に「話が複雑になって、メインの観客である子供たちが理解できなくなるから」という理由もあるかもしれません。ただ、前記したようにSF短編のみならずレギュラー版『ドラえもん』ではタイムトラベルをメインテーマとした話は幾つもあります。「ドラえもんだらけ」や「あやうし! ライオン仮面」などは、子供でも十分に理解できる面白さです(この妙技を天才であるF以外の誰も再現できないといわれればそれまでですが)。
●のび太とガラパ星から来た男
藤子・F・不二雄は、自分の本質は短編作家であるということを何度も口にしていました。映画の原作として長編が必要になった時、当初は固辞したものの、短編作品である「ピー助」の続きを描いてはどうかというシンエイ動画の楠部三吉郎の提案を受けて長編化したのは有名な話です(自伝『「ドラえもん」への感謝状』に詳細が書かれています)。
その後も、多くの『大長編ドラえもん』は短編であるレギュラー版『ドラえもん』を長編化するという発想で描かれています。藤子・F・不二雄が亡くなった後も同様です。
一方で、いつもは一回完結のレギュラー版『ドラえもん』ですが、唯一、三回にわたって連載された中編作品があります。
それが『のび太の創世日記』でも言及した『ガラパ星から来た男』であり、94年に発表されたのですが、『大長編ドラ』を除けば藤子・F・不二雄が最後に描いた『ドラえもん』作品でもあります。
本作は、未来デパートのテクノロジーにより知性化したアリによる侵略と、タイムトラベルによるサスペンスがテーマです。
・タイムマシンで一ヶ月先に行き、アリ人間により征服された未来――『ターミネーター』のような絶望の未来を知る不穏さ。
・「現在ののび太」と「未来に行って戻ってきたのび太」という二人ののび太が同一時間に存在する面白さ。服装の変化や喋るカナリアといった伏線とその回収。
・楽をしようとして生み出したアリ人間による人間の奴隷化――「便利な未来科学の乱用によるしっぺ返し」という『ドラえもん』の本質的テーマの追求。
・これ以上ないというくらいの脱力オチ。
・そして何よりも、ドラえもんによるのび太の記憶消去(!)とタイムトラベルを絡めた複雑な構成。
こういった要素が、本作をマンネリ化した後期レギュラー版『ドラえもん』とは全く違う、傑作を通り越した怪作にしています。
本作における昆虫の知性化という部分は『のび太の創世日記』の発想の基となったと思われるのですが、タイムトラベルによるサスペンス部分はごっそりと抜け落ちました。侵略テーマはそのままとしつつ、抜け落ちたタイムトラベルやタイムパラドックスを活かした伏線回収やサスペンスを強調した大長編を作れば、これまでにない面白さを持つ『大長編ドラ』ができるのではないかと思うのです。
つまり、劇中で何度もタイムトラベルを行い「現在」や「未来」を少しずつ変えてゆく、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や『オール・ユー・ニード・イズ・キル』と同じような魅力や面白さを持つであろう『のび太とガラパ星から来た男』が観てみたいのです。
●『未来の想い出』でパンツを脱ぐF
・取り戻せない少年・青年時代への諦念や憧れ
・人生をやりなおしたい
・メインテーマとしてのタイムトラベル
誰もが気づくことですが、この三つの要素は重なりあっています。
取り戻せない少年・青年への諦念や憧れ――すなわち後悔があるからこそ人生をやりなおしたいと願い、その願いが強いあまりに、タイムトラベルを行なって人生をやりなおすという夢のようなフィクションを作るのです。
藤子・F・不二雄には、このような夢や願望をストレートに表出した『未来の想い出』という作品があります。91年にビッグコミックに短期集中連載され、短編や『ドラえもん』を除けば最後の作品となったことから、時に「本当の意味での遺作」とか「これを読まずしてFは語れない」とか言われる作品でもあります。しかも、『ガラパ星から来た男』とバッチリ発表時期が重なっていたりもします。この時期、相当調子が良かったのでしょうか。
『未来の想い出』は、初老の漫画家「納戸理人」を主人公とした人生やりなおしものです。
ある時、納戸は自分が20年間の人生を何度もループしていることに気づきます。過去に戻るたびに記憶を失っているので自覚が無かったのですが、交通事故がきっかけとなって、人生を何度もリピートしていることに気づいてしまうのです(「なんどりひと」という名前はここからとられています)。そこで納戸は意図的に違う行動をとることで自分の人生をやりなおそうとするのですが……というお話です。
藤子・F・不二雄のファンでもなんでもない読者が普通に読んだら、『リプレイ』から『エンドレスエイト』まで星の数ほどある、よくある人生やりなおしものに読めてしまうかもしれません。
しかし、ちょっと藤子・F・不二雄に詳しい方なら、一読するだけで本作の重要さを理解して頂けると思います。なにせ本作は藤子・F・不二雄が60代になって初めて「パンツを脱いだ」作品なのですから。
まず、納戸理人のデザインですが、痩せた体格、ベレー帽、キセルと、どうみたって藤子・F・不二雄、というかFが自作品に登場させるキャラクターとしての自分そっくりです。
ご丁寧にも、最初の単行本にはドラえもんの創作秘話である『ドラえもん誕生』も巻末に収められており、すぐに比較できてしまいます。
なんとフィギュアまで発売されてます。
納戸理人は1948年生まれ、団塊の世代です。1933年生まれであるFと一回り以上年齢が異なりますが、これは掲載誌であるビッグコミックの主要読者層に合わせたためだと思われます。
1971年に漫画家を目指して上京し、「西日荘」という「戦後まもなく」に建築されたボロアパートに住みます。西日荘は、外観といい共同炊事場といい、1952年に建築されたトキワ荘そっくりです。
納戸理人は昭和44年(1969年)に『ざしきボーイ』というSF生活ギャグ漫画を描き、これが大ヒット作品となります。これも1964年にFが描いた『オバケのQ太郎』が大ヒットしたことを強く連想させます。
人気漫画家となった納戸理人は仕事場を新宿に移します。時代の経過と共に出来上がっていく新宿中央公園や副都心の高層ビル群が、納戸理人の漫画家や男としての成長や加齢と相関するという演出がなされています。これも、新宿中央公園の近くの西新宿に「藤子プロ」という仕事場を構えていたFの実人生と同じです。
『ざしきボーイ』1000万部突破記念祝賀パーティで、手塚治虫のような人に褒められ、FやAを含むトキワ荘出身漫画家らしき人物たちに激励されるシーンにはニヤニヤを通り越してメタ的要素を感じてしまいます。
●納戸理人と藤子・F・不二雄の違い
面白いのは、『ざしきボーイ』ヒット後の納戸理人の人生がFと大きく異なることです。
Fは、『パーマン』『21エモン』『ウメ星デンカ』等の意欲作を描きますが、『ドラえもん』がヒットするまで鳴かず飛ばずの時期を過ごします。自他共に認めるスランプだったのです。いや、『ドラえもん』も、69年の連載当初はそれほど人気があったわけではありません。74年の単行本発売がヒットの契機となり、79年の二度目のアニメ化と80年の映画化が大ヒットとなったのです。その意味では『大長編ドラえもん』がコンテンツとしての『ドラえもん』がサバイブし、半永久的に続けられるきっかけとなったといって良いかもしれません。
一方、納戸理人は『ざしきボーイ』以降に描いた作品『ファン太の大冒険』『われら宇宙っ子』『ハテナくん』等がアニメ化されるも、視聴率低迷ですぐ放映打ち切り。連載作品も長く続かず、劇画に転向するも、さらに落ち目になってしまいます。挙句の果てには、アシスタントが描いた漫画『やぶれハッポー』が『ざしきボーイ』以上にヒットし、漫画家として追い抜かれてしまう始末です。
本作の冒頭、40代のはずなのに初老にみえる納戸理人は、友人の漫画家である沢井に、漫画家としての衰えと創作力の減退を打ち明けます。
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「どうもここんとこ心臓のぐあいが…
何より気力のおとろえを感じるんだ。
20年ばかり若返れたらな……」
「そうだ! それを描いてみたら?
若返って人生のやり直し…………」
「若返りね。
古いね。
ファウスト以来、手あかのついた題材じゃないか」
「題材なんて光の当てようで新しく装えるさ。
それより そんな夢みたいなことを願うきみの切実な気持ち、
その切実さをテーマにすれば…
きっと読者にも通じると思うがね」
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これは、本作を始めるにあたってFが自身の心境を打ち明けた部分でもあります。
『ファウスト』や『リプレイ』といった作品で何度もやられたように、本作の題材は「手あかがついたほど古い」。
それでも、「夢みたいなことを願ってしまうほどの切実さ」をテーマにすることで、この作品を世に問いたい。
そう、Fは読者に打ち明けているわけです。
●藤子・F・不二雄の後悔と「ロマンスの成就」
「夢みたいなことを願ってしまうほどの切実さ」
それは、藤子・F・不二雄の後悔を、作中で晴らす行為と言い換えても良いかもしれません。
『未来の想い出』では、まず40代の納戸理人から始まり、20代に戻るというタイムリープを二度繰り返します。作中では三回の「納戸理人の人生」が描かれるわけですが、二回目でループに気づくのです。そこで、三回目の人生は、意図的にこれまでとは異なる人生をやりなおそうとします。「運命の神」はシナリオの書き換えを嫌い、元の人生に戻そうとするのですが(ここらへん『T・Pぼん』の「歴史の復元力」にどことなく似ています)、「未来の完全な想い出」を持ち自分の半生を見わたすことのできる納戸は上手く立ち回って抵抗します。
つまり、この三度目の人生こそ「やりなおしたい人生」であり、「後悔を晴らした人生」であり、藤子・F・不二雄にとっての「切実さ」が込められていると考えて良いでしょう。
そう考えて本作を読むと、Fにとっての後悔が何なのかがなんとなく分かります。
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