おはようございます。マクガイヤーです。
先週、ヤンサンに出演しました。
ワニスタが最後ということでお呼ばれしたのですが、背景がパワポのため、うちのチャンネルはスタジオの引っ越しなんて関係ないと思ってたのですが、なんだか感慨深く感じてきましたよ。
●おしらせ
しばらくの間無料となっていた本ブロマガですが、勝手ながら200号より(半分ほど)有料に戻ります。
ただし、数ヶ月の間を置いて個人ブログでの公開を考えております。
色々と試しておりまして、ご容赦ください。
メール配信にてお楽しみ頂いている方については、これまでと変わりありません。
マクガイヤーチャンネルの今後の放送予定は以下のようになっております。
○12月15日(土)20時~「最近のマクガイヤー 2018年12月号」
・『バスターズ』
・『来る』
その他、いつも通り最近面白かった映画や漫画について、まったりとひとり喋りでお送りします。
○12月29日(土)20時~「Dr.マクガイヤーのオタ忘年会2018」
例年お楽しみ頂いている「オタ忘年会」。2018年に語り残したオタク的トピックスやアイテムについて独断と偏見で語りまくります。
アシスタントとして御代しおりさん(https://twitter.com/watagashiori)に出演して頂く予定です。
ちなみに過去の忘年会動画はこちらになります。
2017年
2016年
2015年
2014年
2013年
○1月前半(日時未定)「ぼくらを退屈から救いに来た『SSSS.GRIDMAN』と『電光超人グリッドマン』」
10月からアニメ『SSSS.GRIDMAN』が放送されています。
原作となる特撮ドラマ『電光超人グリッドマン』は1993~94年にかけて放送されていましたが、約15年間の特撮・アニメ・玩具・ネット環境・サブカルチャーなどの進化や深化を踏まえた演出・ドラマ・ネタの数々に、毎回ハァハァと興奮しながら視聴しています。これでやっと『電光超人グリッドマン』のことが好きになれそうです。
そこで、『電光超人グリッドマン』が平成特撮に与えた影響を踏まえつつ、『SSSS.GRIDMAN』のどこがどのように素晴らしいのかを解説するニコ生をお送りします。
さて、今回のブロマガですが、先々週に引き続き藤子不二雄Ⓐの『少年時代』について書かせて下さい。
●『少年時代』と当時の少年漫画誌
当時の「マガジン」は、『釣りキチ三平』や『おれは鉄兵』が人気を博していたものの、発行部数で「ジャンプ」はおろか「サンデー」や「チャンピオン」に負ける長い低迷の時期にありました。60年代後半~70年代前半にヒットし、部数を押し上げる要因となった『巨人の星』や『あしたのジョー』といったスポ根マンガに代わるヒット作を見出せなかったのです。
『少年時代』が連載されたのと同じ78年には、『翔んだカップル』『1・2の三四郎』などの連載がはじまり、これらが少年漫画誌界において「マガジン」が復権するきっかけとなります。
一方、当時のジャンプは『東大一直線』『すすめ!!パイレーツ』『ドーベルマン刑事』『リングにかけろ』などがヒットし、公称発行部数が200万部を突破しました。少年漫画誌のトップランナーの位置を確固としたものにしていたわけです。現在も描き継がれる『キン肉マン』の連載がはじまるのは翌1979年だったりします。
まず、Ⓐが「週刊少年マガジン」に連載するということ自体珍しい話です。
Ⓐはこれまで、「サンデー」で『オバQ』、「キング」で『怪物くん』、「チャンピオン」で『魔太郎』を連載し、ヒットさせていましたが、「マガジン」で連載していた『きえる快速車』や『サンスケ(わかとの)』はそれなりの人気でした。
おそらく、「マガジン」編集部では現状を打破するために何か新しい種類の作品を連載していきたいという考えがあったのだと思います。
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「少年時代」は柏原兵三さんの小説「長い道」を読んで感激し、僕の疎開体験を基にして、漫画化したいと思いました。僕はわりと小学館系で、講談社にはあまり描いていませんでしたが、ちょうどそのころ、「週間少年マガジン」編集長の三樹創作氏から「何か連載をやってくれませんか」と言われて。「描きたいのはあるけど、絶対当たりませんよ。自信持っていうけど」と。それでもいいから、と言われて、柏原さんの「長い道」を挙げて、漫画化したいと言ったら、三樹氏も、僕よりちょっと若いけど、疎開時代の子供で、体験もしているから、「いや面白い、ぜひやりましょう」と言ってくれました。で、僕は、「とにかく一年間だけやらせてくれないか」と頼みました。昭和十九年の春から始まって、終戦の夏までの一年間の物語なので、一年たったらやめるから、とにかく途中で切らないでくれと。三樹氏も約束してくれて、七八年八月から連載が始まりました。
ところが、三ヶ月たっても、ファンレターが一通も来ない。これには参りました。
(『81歳いまだまんが道を……』より)
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「長い道」は非常に多面的な内容を持っているが、その中でもぼくが一番惹かれたのは東京からの疎開少年とそれを迎えた村の秀才少年との愛と憎しみのドラマだ。それは“友情、熱血、正義”といった単純な図式をこえた、少年と少年のせつないまでの心の葛藤のドラマとして、深くぼくの胸を打った。ぼくは「長い道」を漫画化することによって、その感動をつたえたい、と思った。
(中略)
スピーディで、パワフルな作品群が氾濫する少年漫画の世界で、「少年時代」は一見すごく地味で、単純な展開といえる。ぼく自身はたして一年もの週刊連載をもつかな、と心配した位だったが、描きはじめてみると夢中になった。タケシという少年の多面性、彼の言動に左右される進一のゆれ動く心情、そして二人を囲む少年たちそれぞれの思い、ぼくは登場する少年群のすべてに同化し、それを描くことを楽しんだ。
しかし、読者の反響はまったくといっていいほどなかった。少年漫画の世界は、読者の人気で、作品価値が決定される。少年漫画誌では、毎回、連載漫画の人気投票が行われ、作品の人気順位がだされる。しかし連載中、担当編集者は、「少年時代」の人気順位を一度もぼくにしらさなかった。おそらく「少年時代」はいつも人気順位の下位を低迷していたのにちがいない。ふつうなら、きっと途中で連載は打ち切りになっていたハズだ。だが、この物語が昭和十九年夏から、昭和二十年の終戦の夏までの一年のドラマだということをしっていた編集部は、ジッと耐えていてくれたのだ。競争激烈なこの世界では稀有なことだ。完結まで一年間、連載を続けてくれた『週刊少年マガジン』編集部には深く感謝している。しかし、作者であるぼくは、予想はしていたもののあまりの反響の無さにがっかりした。やはり、自分だけの一人相撲だったのか。「長い道」の感動を「少年時代」は読者に伝えることはできなかったのか、と思ってぼくの力不足をなげいた。
(『「少年時代」への長い道』より)
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●時代を越えた物語と時代性
もう一度描きますが、同時期に少年誌でヒットしていたこれらの作品群と比べると、『少年時代』は地味です。スポ根でもラブコメでもギャグでもバトル漫画でもありません。
更に、これらの作品群を描いた漫画家(「満州引揚」というまた別の「大きな物語」を持っている『おれは鉄兵』のちばてつやを除く)と比べると、Ⓐは年長の部類に入ります。
“友情、熱血、正義”は、明らかに「ジャンプ」が掲げる少年漫画の三大原則“友情、努力、勝利”を意識した言葉です。『長い道』や『少年時代』で描かれる主人公とタケシ(進)との関係性は、「友情」の一言で片付けられるものではありません。「熱血」も「努力」も描かれず、「正義」や「勝利」が意味の無いものであることは、少年同士の物語の中でも、背景である太平洋戦争でも、二重に否定されます。『少年時代』が広島(あるいは長崎)への原爆投下シーンで終戦を表すのは、圧倒的な暴力の前に「正義」や「勝利」が意味の無いものであることを意味しているかのようです。それは前述した映画版(と原作版)『蠅の王』と同じ表現手法でもあります。
Ⓐには、いま世間で流行っている「少年漫画」とは異なるけれども、少年を題材にした漫画作品を一種のアンチテーゼとして世に問いたいという気持ちがあったのかもしれません。
また、Ⓐはこれまでも『ひっとらぁ伯父サン』、『魔太郎がくる!!』、『黒ベエ(「しごく者 しごかれる者」)』など、権力や権威主義をテーマとした漫画を描いてきました。これを違った形で、しかも「少年漫画」というジャンルで表現したいという思いがあったのでしょう。
これは、同時代的な流れでもありました。70年代後半は、山岳ベース事件やあさま山荘事件から数年が経過し、日本の学生運動が大衆の支持を失って決定的に終焉したことが明確になった年でした。
藤子・F・不二雄は『少年時代』と同時期(79年)にSF版『十五少年漂流記』や『蝿の王』といえる短編『宇宙船製造法』を発表しましたが、これはどう考えても『少年時代』と同時代的な発想から描かれた作品です。ジャイアン的なリーダーが出木杉的なリーダーにクーデターを起こされ、イノセントな主人公がその狭間で思い悩むという展開は、『少年時代』と同じプロットです。そういえばジャイアンの本名はタケシ(剛田武)でした。
映画『少年時代』を監督した篠田正浩は大島渚、吉田喜重とともに松竹ヌーベルバーグを代表する監督であり、ATGで芸術的を通り越して「革命的」な作品を何本も発表した監督でもあります。監督第二作の『乾いた湖』からして既に寺山修二脚本で「60年代安保闘争と若者」をテーマにした映画だったりします。71年に篠田が監督した『沈黙 SILENCE』は、原作者の遠藤周作が脚本に参加しながらも、主人公である神父の棄教を学生運動における敗北と重ね合わせたような映画でした。
●なぜⒶは『少年時代』を映画化したかったのか
ここで『少年時代』映画化までの経緯を確認しましょう。
Ⓐが『少年時代』の映画化を決意したのは、最終回後の反響がきっかけだったといいます。