日本カトリック司教団 2016年11月11日「原子力発電の撤退を」発出した。
私個人はキリスト教徒で無かったのでこの動きを知らなかったが、主要論点抜粋する。
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1:なぜ日本カトリック司教団は呼びかけるか
日本は核エネルギーによってもたらされたさまざまな惨事を経験してきた国です。
長崎広島
ビキニ環礁水爆実験での漁船乗組員被爆
福島原発事故
2:5年をへて分かったことと学んだこと
・核エネルギーは通常のエネルギーに比し桁違いに強大であること
・核分裂によって生じた原子核は不安定であり、それを安定させる技術を人類はいまだ獲得してはいないこと
・ひとたび事故が起これば、市民生活が根底から破壊されること、
また、原子力発電撤退の前に立ちふさがる、大きな力の存在について
コメント
コメントを書く政官財一体の推進は、どんな社会体制であっても、当たり前のことである。中国を見ても、ロシアをみても、同様な事象を常に見聞きしている。
問題は、原発によって、利権を受けられる、地域、住民の意識が、目前の利権に眼がくらみ、人類全体に被害の及ぶ面に眼をふさいでいることである。広い世界の中で、自分たちの地域が原発を推進しても、問題ないのではないかという自己中の世界に入り込んでしまうのです。
なぜか、無宗教のため、宗教的体感にかけるから、自他一体の人生観が欠け、自己だけに重点を置いた生活を楽しもうとするからである。このようなことは、あらゆる面で出ている。原発だけでなく、消え去るべき大企業が政府の巨大なバラマキ金融緩和によって、息をつなぎ、成長すべき新しいタイプの企業が育成成長が遅れ、世界の流れに遅れたままになっている。この政策の行き着く先は、TPPの精神である労働コストの維持、低減が進み、貧困さが大きくなっていくばかりである。繁忙期の労働時間問題は、貧困化を長時間労働で緩和しようとする人間の機械化、奴隷化に他ならない。労働時間は、36協定ではないが、50H以下にして、労働者の仕事を減らす努力をしなければならないのに、連合は経営者の舞台で争っている。その状況は、「木を見て、森を見ない」典型的な例でしょう。自分がよくなれば、全体もよくなる。全体がよくなれば、自分もよくなる。当たり前の原理を忘れ、己の利権に血眼になっている姿は、まさしく餓鬼、畜生の世界なのでしょう。地獄絵そのものである。私の寿命もだんだんか細くなっているが、死後の世界は、これほど、無慈悲な世界ではないのでしょう。
日本に於ける原発事業が100%正当化出来ないことは福一過酷事故を起こしてそれだけでは済まずその後の不手際極まりない対応で証明されました。しかし、安倍体制は懲りずに核発電に執着する。そのマニアックな傾向にストップをかけるには小泉純一郎氏が唱える反原発統一戦線の構築しかありません。この体制が国家ぐるみの「株上げ」(1980年代後半に地上げ団が余技として企業買収を盛んに手掛けた財テクの一種)で浮かれている痴呆状態にある限り、小泉氏の一点集中型で勝利を得るしか無いのではないでしょうか。換言すれば、織田信長の桶狭間戦法です。
さもなければ、日本は近々、それとも、やがては、稼働中の原発の炸裂、それとも、株/円のはじけ、ミサイルの大都会への衝突、でTHE ENDだと私は危惧しますが、皆さま如何ですか?
きちんと説明すれば小学生でもわかる原発推進の矛盾をなぜ理解しないのか、理解していても現状の利権確保がよい、と思っているのか、全く私にはりかいできない。間違った情報での判断?
ここの国の人間の多くがノータリンやから、ちょっと勉強した東大さんに騙された煙に巻かれてもなんと思えへん鈍感バカ揃いというのが、この国の真実です。