A-1:事実関係1仏デモ9週連続、収束の兆し見えず…参加者増(読売)
フランス各地で12日、マクロン政権に対する抗議デモが行われた。昨年11月から毎週土曜日に行われているデモは、今回で9週連続となった。AFP通信によると、参加者数は前週の約5万人を上回る約8万4000人で、2週連続で増加した。
パリの凱旋がいせん門ではデモ参加者と治安部隊の小競り合いがあり、催涙弾が使われた。マクロン政権は7日、無届けデモへの罰則を強化する方針を打ち出したが、収束の兆しは見えていない。
A-2 事実関係2(BBC,追加部分
・首都においては催涙弾、(高圧)放水銃が使用された。
・当初はガソリン税に反対、今、生活費上昇に対する怒り。
・12月29日には800名、1月5日には 3,500人、
・156人逮捕、108名勾留。
・Bordeaux 、Toulouse、Strasb
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この記事を見る限り、言論の自由があっても、庶民の苦労が絶えないことは明らかである。民主主義が庶民に幸せをもたらすと思うのは間違い。中国人は米国人やフランス人より、一般的に不幸せか?その前に、中国人や米国人とは何者か、その定義、また、幸せの定義から始めるべきだろう。何もわかっていないのに、民主主義を指向するのはどうかね。
日本も同じであるが、労働者の差別化、対立が潜在化しているとみなすべきでしょう。非正規が大きく騒ぐ力がないとみなすべきでしょう。
正規入社者と非正規で同じ労働をしていても、差別する。差別を労働組合が黙認している。正規の賃金水準の見直しをされないように、経営側に協力しているといえる。労働コストをあげないようにしなければ、国際競争力が低下するから、賃金水準を現状維持プラスアルファが必要であれば、正規を年々減らし非正規に切り替えていく。非正規労働者が増えていく。外国からの移住労働者も増えていく。
フランスと同じ現象がどこかの時点で日本も起きること避けられないでしょう。他人事ではない。平和を謳歌している正規労働者は、自己中心で考えるのでなく、労働者全体の生活向上に切り替えない限り、行く道は定まっている。因果応報の世界観は否定できないのです。
日本のメデイアはこのことについてあまり報道してない。報道すると内閣府のメデイアモニターからお叱りを受けるからでしょう。
このフランス人のデモンストレーションは、私の受け止めでは、政党政治そのものがお金で買収されて国民の負託を忘れてしまっていることに原因がある。我々が観ている日本の政治もそうじゃないですか。誰かさんがおっしゃるように野党がだらしない。
私は野党もひっくるめてつくられている自民党独裁政治そのものに批判の眼を向けるべきだと考えていて、日本の政党政治に期待を掛けて居ないのです。回教徒が「アラーは偉大なり」と叫ぶらしいが、代議士の殆どが「円は偉大なり」と心の中で叫んでいるのです。
右翼がどうだとか、左翼がけしからんとか、もう古い。私はそういうことを超越してます。いずれ日本も無能力な国会議員は人減らしし、国費を節減し、浮いた財源で重要案件の国民投票制を導入しなければ、にっちもさっちもいかなくなる。
続く
>>3
続き
1968年のパリ五月革命は赤旗や白旗でなくカルチェラタンに黒旗がかかげられた。この旗はアナキストの旗でした。日本ではアナキストは明治以来の洗脳教育の結果、悪質疾病のごとく認識することが日本人に植え付けられ、DNA化している。日露戦争時のわらべ歌の「ロシア、野蛮国、クロポトキン、禁の玉、負けて逃げるはロシア兵、、、、」は日本の軍国勃興時一世風靡している。その精神風土は今も健在。
でもその考えには評価すべきものがある。米国のような徹底した資本主義は戦争をも上場銘柄にするすさまじさ。資本による、資本の為の、資本の支配体制は過酷そのもの。一方、プロレタリア独裁も独裁体制の人民支配は過酷。アナキストはかかる両方の支配体制に反対するユートピア願望とも言えましょうか。因みに文学も含めた芸術一般は「支配」を排除するのをテーマにしてるからこそ芸術なんですね。従って、人は美を感じるのです。
それはともかく、現代フランスの黄色は1968年の5月革命の黒集団と通ずるものがあります。ただ、難点があります。良き指導者に恵まれない。