出典:『知られざる日本―第二集』(国際経済交流財団、二〇〇一年)掲載のスーザン・ハンレー箸「一七―一九世紀 日本の公衆衛生の先進性」
スーザン・ハンレーはワシントン大学教授。『知られざる日本―第二集―』(国際経済交流財団、二〇〇一年)掲載の「一七―一九世紀 日本の公衆衛生の先進性」の引用。
ハンレーは江戸時代について〈保守的な権威主義的な体制下で政府が人々に大きくのしかかった時代という方がふさわしいだろう。しかし、公衆衛生は江戸の法と秩序を維持するために制定された法規から生まれた思わぬ副産物であった〉と評価している。
ハンレーは〈公衆衛生にとって最も大切なのは、十分な量の質の良い水を供給することである〉として、神田上水に言及し、次いで〈一六五二年には多摩川から水をひく第二の水道の使用が始まった。この玉川上水は江戸城の四谷門まで約四三キロである〉と言及した。
ハンレーは、ロンドンと比較
コメント
コメントを書く生活の基本である上下水道の先進性は、日本民族の優秀さを示している。日本人として非常に誇らしい。刺激を受けて私自身の頭を整理するため少し調べてみた。この著者だけでなく、多くの西欧人が驚嘆している。
江戸は埋め立て地が多く井戸を掘っても塩分の強い水が出たようだ。1590年に井之頭を源泉とする神田上水。1654年に玉川から四谷まで43㎞の玉川上水を完成させた。ポンプを使わない自然流下式高低差が最大92mという技術の高さを誇っている。下水道は糞尿を流さず汲み取り方式にしたため、きわめて清潔であった。西欧では、あらゆるところで糞尿をしたため女性はスカートをはいていたなど、新発見が多かった。5街道のインフラが整備され、江戸は町人と武家の人口が100万を超えていたが、ロンドン・パリの人口が100万を超えたのは19世紀に入ってからであったということも驚いたことである。このご投稿でだいぶ啓発されました。感謝です。