コンスタンチン・シモノフは1915年生まれ。従軍記者として各地の戦線に赴きます。「詩・私を待っててください(Жди меня)」は女優で妻のヴァレンティナ セロヴァ」に奉げられた詩で、もともとは公開を予定されない個人的な詩です。だが友人に示し、それが世に伝わって、いくつかのバリエーションがあります。この詩は結局1942年1月プラウダ紙に掲載されます。戦争中この詩は兵士の間で高い人気を得ます。
今日でもロシア人の間で最も親しまれている詩での一つで、男優も女優も朗読しています。各々が自分のスタイルで朗読する、如何に異なった表現をするかに驚きます。
セロヴァは1930年代、40年代最も人気のあった女優です。シモノフが従軍記者として働いている間に、セロヴァはロコソフスキー(最終経歴元帥、スターリングラード攻防戦で戦果)との関係が噂されました。それを知るとこの詩の悲しみが一段と伝わります。
「私を待
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私が、ドライであるのかもしれないが、このような話には、興味がわかない。
従軍記者は常に「生死の境」に置かれていると認識すべきでしょう。戦場に散った特攻隊の書いたものを知覧特攻平和会館で何回も見ているが、このようなセンチメンタルな勝手な要求は、本当に相手のことを真剣に考えているのかと大きな疑問が起きる。
男と女の出会いは、「同一の時間と場所」の現象でしかない。時と場所が変われば、人間の見方考え方は異なってくるのが普通である。
この記者は、戦場で両目を失い、片手片足になってしまったとき、相手に対して「待っててください」というかどうか。
同じように、相手が何らかの感染病で見苦しい顔になってしまっていても相手を最後まで面倒を見る覚悟ができているのであろうか。
「時と場所」が変われば、人間は大きく変わる。その覚悟ができていれば、この従軍記者を一つの生き方として評価できるが、相手の容姿などが大きく変化していた場合の覚悟が聞かれない限り、若者の一時的感傷としか受け取れない。
シモノフさんの悲しみが切々と私に伝わってきます。いい詩ですね。
>>1
貴殿はドライですね。この詩は非戦を願うものです。
>>1
だいたい同感ですね。
別離の時、パートナーが自分以外の相手を見つけるなど
どんな世でも普通にあることです。
いや、別離でなくともぜんぜんよくあること。
なぜこんな詩がロシアでそんなに人気があるのかわからない。
いつもの如く件の従軍記者も大女優も知りませんでしたが、ググると女優氏は不幸な最期を遂げたようだ。
一方では「女は待たない」とも言われる。格言「女心と秋の空」が証拠だ。
日本の「単身赴任」など米欧の女性には考えられない、そんなことになったら離婚だ━と聞いたこともある。本当かどうか知らない。
女に逃げられて、こんなふやけた詩を書くような
ふやけたやつなら、そりゃ女に逃げられるだろうよ、
としか感想がない。