この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。
「孤独」について悩んだ時代は、ちょうど大学受験勉強をしているときであった。受験勉強は犠牲になったが、貴重な体験であり今日の私の血肉となっていると考えています。
勉強しなければならず、「孤独」について追及した内容は、自己の力で解決できることと解決できないことがあるということであった。
「生老病死」、「四苦八苦」、「愛別離苦」を表面的自己理解した程度で終わり、本格的に追及しだしたのは退職2年前ぐらいからである。
様々な問題に疑義を抱き、その解決を他に依存しても解決できない。自己解決しかない。悩んでいるのは己であって他人ではなく己であるから己が解決するしかない。己の怒りは、己の問題であるという当然といえば当然の結果でしかない。
当たり前の理解を当たり前に理解できるには相当悩まなければならないし、すべての人間が到達できるとは思っていない。
現在では、釈尊の「己を信じ、法を信じろ」と入滅の時述べたという言葉を噛みしめている。私達は皆、「生老病死」、「四苦八苦」、「愛別離苦」から逃れることはできない。「過去、現在、未来」を超えた「今」をただ生きていくしかない。そのことに気づけば「孤独」など当然のことであり、「孤独」が特別な物ではないことに気づくのではないか。
採り上げ恐縮です。書込みは孫崎さんにインスピレーションを与えるのが「主な」目的ですが、今回も「当たり!」と捉えさせて頂きマス(笑
人間は一人で死んでいく存在だとするなら、究極的には孤独な存在だとふと考えることはあります。母の介護を通して、老いと死を考える機会は増えました。自分はどこでどんなふうに死ぬのだろうか?と。自宅で死にたい、という人もいるようですが、何処で死のうが一人は一人。私は老人福祉施設や病院で死ぬことは、むしろ社会システムに保護された人間らしい死に方ではないかな、と考えるようになりました。
喜びも悲しみも個別的で個人的な現象であり、究極的にはパーソナルな問題は他者も社会も解決は出来ない。
とはいえ、下部構造と上部構造の理論に従えば、経済的社会的安定は少なからず孤独緩和に寄与するのではないか、と考えています。しかし、高度経済成長は今や歴史の一ページに過ぎず、斎藤幸平氏は脱成長を掲げて資本主義を糾弾しています。では、どうするか?私は雇用、子育て環境の安定化に尽きると考えてきました。これ自体若年層へ政策的シフトになります。そして、株主資本主義を改めて、企業の内部留保を労働者、社員に分配する。合わせて、働き続けることのできる職場環境整備。終身雇用の復権、ワークシェアリング。公的な子育て、セーフティネットの整備。以上のような観点から、分かち合いの社会を構築するべきだと考えてきました。
当然、財源は税です。法人課税強化或いは、金融資産課税強化等々、議論して国民負担率をあるべき形に引き上げることが大事でしょう。
マルクスの説いたように社会システム(下部構造)によって、人間の個別的問題が全て解決するとは考えませんが、「能力に応じて働き、必要に応じもらう」という社会に近づくのなら、孤独の緩和に寄与するかも知れません。また、何事も社会的解決しようというアプローチは、人間らしいやり方だと考えます。「孤独のための機関」という考え方は興味深い試みだと考えます。
>>3
マルクスの説いたように社会システム(下部構造)によって、人間の個別的問題が全て解決するとは考えませんが、「能力に応じて働き、必要に応じもらう」という社会に近づくのなら、孤独の緩和に寄与するかも知れません。また、何事も社会的解決しようというアプローチは、人間らしいやり方だと考えます。➡同意
自宅で死にたい、という人もいるようですが、何処で死のうが一人は一人。私は老人福祉施設や病院で死ぬことは、むしろ社会システムに保護された人間らしい死に方ではないかな➡「能力に応じて働き、必要に応じもらう」という社会」なら同意、今の日本は介護施策を企業の営利事業として位置付けているので同意できません。午前中ケアマネージャーと会っていました。私は個人レベルで信頼できる人に自分の資産を全部使ってお願いする方向を模索していくつもりです。
「孤独のための機関」
ロシアで孤独を感じる問題は、個人に取って大きすぎるし、個人では解決できない。
さりとて、相談して解決できる問題ではない。いくつか列記してみる。
1.同じ民族であるウクライナを戦争で民間人を殺している状況を肯定できるか。
生活に欠かせない電力施設などインフラ破壊を認めることができるか。
2.「生死」の心構えができない段階で、兵士の増員即前線で戦争をさせる蛮行
3.ウクライナだけでなく、EU・米国など国際社会に対し戦争して未来が開けるか。
孤独に追い込んでいるプーチンの責任は大きい。
戦争は、勝ったものが正義であり、負けたものが悪である。理屈は通用しない。
>>5
>同じ民族であるウクライナを戦争で民間人を殺している状況を肯定できるか。生活に欠かせない電力施設などインフラ破壊を認めることができるか
おっしゃることは理解しておりますが、私は2014年以降のウクライナ東部ドンバス地方への民間施設を含むネオナチ民兵組織による砲撃、民間人殺害行為に原因の一端がある、と認識しています。
上記を踏まえた議論をしないと、結局「停戦」「和平」は遠のくと考えます。
>>6
おっしゃっていることは理解しています。
過去を引きずると「慰安婦」「徴用工」問題と同じで解決しないことも事実です。
私は、物事を引きずるといつまでも解決できない。区切りをつけていくことも必要と考えているのです。
貴方の引きずる論理を正当化すれば、民間の犠牲者、民間施設が破壊される。
今日の報道では、ポーランドにミサイルが着弾したようです。
ロシアからのミサイル発射かどうかは米国の衛星からの情報如何にかかっている。
いずれにしろ民間人、民間施設攻撃をするとこのようは不測の事態が出てくる可能性が大きいのです。