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国と国の戦争で、重点を置く攻撃の視点は何かという孫崎さんの問いと受け止めている。
国の基盤は軍事力と経済力であり、政府関係者は戦争を優位に展開しようとする戦略者と見ている。
相手を攻撃する場合、第一に相手の軍事力を破壊であり、第二は国の生活を守る民間工場であり、民間の生活の場=住居であり、政府要人とか公的施設は攻撃破壊の対象とはならない。
何故か。政府要人など公的な関係者、学者など社会を動かす人を殺しても、戦後のことを考えれば、逆にマイナスの方が多すぎる。米国人が日本人を支配するより日本の国民性をよく知っている支配者たちの知恵を活用する方が優れていると判断したのでしょう。
米国は人間の心をよく知っていた戦略家が、まれにみる敗戦国を米国側に巻き込んだ事例といえるのでしょう。日本の支配層―天皇、政治家などをことごとく抹殺していれば、現在の米国化した日本はあり得なかったといえる。
このことを考えると、日本を考えた場合、与党と野党が対立しているのは好ましくない。国を守り国民を守るのは同じであり、国民の生活を守る順位を国民か企業かという見方考え方に日本人が脱皮する日が近いと考えている。我々のような80歳以上が現在の日本を停滞させていると反省している。
以前、ドイツの友人がFOREIGN AFFAIRSの記事“原爆の再考”を送ってきた。
その中で東京大空襲の事も書かれていて、日本人市民の大量虐殺は意図的に行われたこと。そしてその理由は、日本人が seemed like “yellow subhumans” との事であった。
東京大空襲では、周りを焼夷弾で焼き、市民を中に閉じ込め、頭上に焼夷弾を落としたとの事です。又その指揮をした空軍トップは日本で勲章をもらったとも聞いています。
岡崎という名前の外交官が、テレビの番組で“日本人は何も考えずに、アングロサクソンについて行けばよい”と言った言葉が、今でも頭から離れません。
> 米国は自己の占領体制の円滑な運営の為に、戦争関連者を使った。戦争の責任を免責し、それによって米国協力をさせた。
下々には「生きて虜囚の辱めを受けず」を刷り込む一方、大本営等、日本の上層部自らは「どうか命だけはお助けを!」と必死の命乞い。それを米国は「問答無用!皆殺しだ!」とはやらなかった。狡猾にソロバン弾いた結果なのか。だが、国が国なら、そんな売国指導者等は怒れる大衆によって吊し上げを食らうのでないか。それが、殊にこの日本では そうならない。やはり、上から下まで、9割方の日本人には「奴隷根性DNA」が組込まれているのか。
"清張は、占領時に米国からやってきたジャーナリストのジョン・ガンサーが、日本各地でいろいろな日本人にインタビューを試みたときの、ガンサー自身が日本人に抱いた印象記を引く。
「あらゆる種類の日本人に、総司令部に対して何か苦情がないかと、質問したものだったが、こうした質間を受けると、日本人はみなびっくりした顔つきになる。彼らがまず最初に見せる反応は、大ていただ笑ってごまかすことだった。事実、私からこんなことを質問されると、彼らはすっかり怖れをなしてしまうのであった」(『松本清張全集31』239頁)
当時、ふつうの日本入にとって、上位の人間に対して、苦情(文句)を言うなどというのは、恐れ多く、まったく馴染みのないことだった。そして今も、そうした風土は拭い去られていないように感じるのは、筆者だけではあるまい。「空気を読む」 という言い回しや「出る杭は打たれる」という昔ながらの言説も、今以て、いたる所に蔓延っている。
いかに人々が周囲の階層序列を神経質に値踏みしながら、対処しなければならない風土が根強いかが分かる。
現下の東ァジアでは、中国の政治経済的台頭が顕在化し、北朝鮮の挑発行為も目にあまる。そうした軍事的緊張が高まるなかで、劣化や後退の著しい米国にだけしがみ付き、自らは思考停止し、司令塔トップは官僚作成のメモを読むだけ。まさかの可能性すらなくはない戦争という大惨事を止めるために奔走する政治家も知恵袋も不在で、カメラ向けに演出されたパフォーマンスに終始する。
決定的な情報無視は、今日も、無縁ではない。二〇一五年四月、当時の安倍晋三首相は、米上下両院合同会議で「希望の同盟へ」という演説を行った。日本の現役首相が米議会で演説をするのは史上初ということで、話題になった。かつて敵対関係にあった日米が融和によって、戦後は仲良く相携えてやっていきたいという筋書きだった。
だが、その直後、ニューヨーク・タイムズ(二〇一五年五月三日)に掲載された風刺画は何とも辛辣なものだった。米国の前で露払い役を務める日本の役割を風刺したものだが、その日本人の上着にはABEと記されていた。それは、米国の、少なくとも、識者層の正直な日米関係認識を反映するものだろう。”(中尾茂夫著「世界マネーの内幕」/2022)
先生がおっしゃる通りです。
3/10の事実を詳細に知れば、日本人であれば、どんなアホでも米国の厭らしさを知ることになり、米国に従順に従うことをためらうでしょう。米国はそうならないように日本の上流を指導し隠してきたのです。そもそも、日本が1945年に何故米国の植民地に成り下がったのか、その理由をおさえておくのもこの際有益と思います。
米国も、元は英国の植民地だったのですが、英国と同じく世界支配に乗り出しました。英国と同じく最終目標は中国の支配です。英国は米国より先に中国の植民地化に成功しましたが、反植民地の状態でした。日本をグルか兵みたいに傭兵として使うことが出来たら、完全植民地化に成功したかもしれないというのが英米の地政学です。その地政学に反したので、不成功に終わりました。米国はそのことを知っていて、日本をどのように中国との戦闘に動員するかが米国の課題なんです。日本との戦前、中、後、その課題は一貫してます。
日本では米国の評判はまだ悪くない。しかし、肝腎のドルの威信が危うい。ウクライナは泥沼。米国の野心である中国の植民地化は無理だとなると、やぶれかぶれになるかもしれないのです。
パールハーバーは日本が米国にしかけましたが、今度は米国が中国に日本を使って第二次パールハーバーを起こすことは大いにあり得るのです。勿論、その狙いは新ドル体制への密かな移行です。岸田氏の坊ちゃん顔を拝見していると大丈夫かなと思いたくなりますね。
>>1
与党と野党が対立し米国の戦争へのいざないに対して日本が決定的なブレーキになることは民主主義国家としての日本民族が守るべき基本です。
織田信長はスペインのバテレンの中国共同支配へのいざないをきっぱり拒絶してます。彼は日本民族の鏡です。孫文と僚友だった宮崎滔天はアングロサクソンの強欲を嫌い、2.26事件の北一輝はアジア主義を標榜しました。
彼らの爪の垢を煎じて飲んで、米国の誘惑にノーと言うにはアジア主義を唱える野党の存在は不可欠です。
>明日3/10、東京スカイツリーでは東京大空襲の犠牲者への鎮魂の想いを込めた特別ライティング「白色のライティング」を点灯します
戦後世代の私は戦争体験は勿論ないので、基本的に「戦争体験」とは、私にとっては書物やメディアによる語り継ぎにより修得してきた。両親は山奥や周囲に田んぼしかない地域出身故に、空襲も全く経験していなかった。
それでも、私は「戦争体験」をある意味で内面化するかの強烈な印象を受けた作品が二つある。
一つは「きけわだつみのこえ」(岩波文庫)。この中で、1945年1月、29歳で中国江西省でなくなった川島正さんの手記の一節を今も忘れない。
昭和18年1月、早朝、川島さんは「討伐」に出動した。そこである兵士が中国人を岩石で殴打し、鮮血にまみれて倒れ込んだことを目撃した。さらに兵士は足蹴にし、石を投げつけた。川島さんは「見るに忍びない」と書いていた。そして、「高木少尉の指図らしい。冷血漢。罪なき民の身の上を思い、あの時何故遅れ馳せでも良い、俺はあの農夫を助けなかったか。自責の念が起る」と続いた。
そして、川島さんは「俺の子供はもう軍人にはしない、軍人にだけは・・・平和だ、平和の世界が一番だ。」と綴った。
私は年齢的に涙もろくなってしまって、泣けてくるのである。
そして、もう一つ。
「ゆきゆきて、神軍」には衝撃を受けた。戦場の悲惨や、皇軍の悪辣さ、戦後日本の欺瞞を教えられた。
この映画の公式HPから引用させてもらうと、「神戸市で妻とバッテリー商を営む奥崎謙三は、たったひとりの「神軍平等兵」として、”神軍”の旗たなびく車に乗り、今日も日本列島を疾駆する。生き残った元兵士たちの口から戦後36年目にしてはじめて、驚くべき事件の真実と戦争の実態が明かされる…。平和ニッポンを鮮やかに過激に撃ち抜いた原一男渾身の大ヒット・ドキュメンタリー。」
また、映画公式HPから、奥崎謙三氏のプロフィールは次のとおり「1920年、兵庫県生まれ。第二次大戦中召集され、独立工兵隊第三十六連隊の一兵士として、激戦地ニューギニアへ派遣される。ジャングルの極限状態のなかで生き残ったのは、同部隊1300名のうちわずか100名。1956年、悪徳不動産業者を傷害致死、懲役十年の判決。1969年、一般参賀の皇居バルコニーに立つ天皇に向かい「ヤマザキ、天皇を撃て!」と戦死した友の名を叫びながら、手製ゴムパチンコでパチンコ玉4個を発射。懲役一年六ヶ月の判決。戦後初めて天皇の戦争責任を告発した直接行動として衝撃を与えたが、マスコミ等の報道や裁判審理過程においては、その主張の本質は徹底的に回避される。1972年、“天皇ポルノビラ”をまき、懲役一年二ヶ月の判決。1981年、田中角栄殺人予備罪で逮捕、不起訴。1983年、元中隊長の息子に発砲。1987年、殺人未遂等で懲役十二年の判決。(公開時資料より)」
奥崎氏の人物像はWikipediaによるとかなり強烈な特異なキャラクターのように記されているが、木村元彦氏による文春オンラインの記事には人間味溢れる素顔が描かれている。
https://bunshun.jp/articles/-/43762?page=1
沖縄戦、大空襲、原爆投下、そして戦場。死屍累々たる風景。それが、私の修得した「戦争体験」である。
ウクライナでは「少年兵」が投入されているという話も聞いた。真偽はしらない。しかし、総力戦になればありうるかも、という戦争の悲劇だ。
国家と国家の戦争という側面にフォーカスすれば、どちらが悪いか、という是非の判断は必要かもしれない。実際、私はロシアウクライナ戦争について言うなら、悪いのはウクライナ、アメリカ帝国だと考えている。
しかし、名もなき庶民の戦争死ということを考えれば、一刻も早く、戦争は止めるしかない。国家間の勝ち負けはどうでもいい。
戦争を語る時に、国を守る!みたいなレジスタンスのような英雄譚、ロマンや恍惚感を語る輩がいる。
こういう輩達が真に信用できない。ウソつくな、である。
国家より子どもたちのイノチのほうが大事だ。だから、戦争はそもそもしてはいけない。戦争を招いたり、始めてしまったら、戦争は止めるが勝ち、だと信じている。
採り上げ恐縮です。かつて紹介された伊丹万作氏の問題意識に連なるものですが、腐った上層に目を瞑ってしまう大衆、益々腐る一方の上層━この構図は、現在でも あれこれのハラスメント、不当労働の放置etc.にハッキリ引き継がれていると思われます。人間同士の間で今尚「弱肉強食」「食物連鎖」構造を良しとする日本人は、やはり「土人」から抜け出せないのでしょうか。
なぜ東京大空襲の大々的追悼式典がないのか、
ほんとうにふしぎです。
原爆の日にはしますよね。
そこでわけのわからない式辞が読まれますが。
米国の名もテニアンもB29もエノラゲイもトルーマンの名も
決して出さない、まるで米国による核攻撃が自然災害であったように
錯覚させる空疎な文章が読まれます。
それなら東京大空襲で焼き殺された人たちも悼んであげればいいのに。
自然災害みたいなふりをして。
>>2
ドイツにおける爆撃も日本よりもマシとは言えないほど
ひどいものでした。
とくにドレスデンは。
イギリス空軍がとくに積極的にドイツ人の空からの大量虐殺に
執念を燃やしたようです。
日本人がyellow subhumansだったから心理的に殺しやすいという
ことぐらいはあってもそれだけがあの蛮行の理由ではなかったと
思います。
ドレスデンはドイツ東部にあったことが不運だったと思います。
ソ連に美しい大都市を渡したくなかった。
広島長崎はソ連に原爆を見せつけたかった。
では東京は?
日本人をとにかくたくさん残酷に殺したかった、かな。
アングロサクソンはこわいから決して逆らってはいけない、と
テレビに出るたび喧伝していた孫崎さんの元上司は、ほんとうは
アングロサクソンが大好きだったのだと私は思います。
彼らに心酔していた、と。
日本にとってもかくありたいとの理想だったのではないかと思います。
>>15
素敵な感想ですね。