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大牟田での講演に何故多くの人が来たかー大牟田は闘争の土地―
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大牟田での講演に何故多くの人が来たかー大牟田は闘争の土地―

2013-05-03 22:20
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今日3日、福岡県大牟田市で九条の会主催で講演した。
 大牟田市は人口12万、決して大きくない。
 
私は地方へ行くが、大体は県庁所在地である。50-60人程度の聴衆だろうと思っていたが、約460名聞きに来た。本も、『戦後史の正体』はじめ、80部完売した。こんなことは他の講演会ではほとんどない。  この熱気はどこから来るのだろうかと思った。  大牟田は三池炭鉱の町、政治闘争の町であった。
 言論の分野で何やら戦っていそうな者がいる、しかし勝利に向かって戦っているわけでもない、じりじりじりじり彼の主張の基盤が交代している、かつての自分達と同じように負け戦を行っている、多分それが関心ではないか。
 何と私の出生地と同じ、満州鞍山生まれの人が市を案内してくれた。
 
最初が現在の三池工業高校。この周りに塀がある。かつて監獄だった。そして服役者が毎朝、鎖につがれ、ここを出て炭鉱にいった。服役者の多くは政治犯であ

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 おはつにコメントをお送りいたします。私、立命館大学産業社会学部の原尻英樹と申します。いつも先生のお話を興味深く拝読しております。実は、私は大牟田出身です。また、下記の文章をフェイスブックで出しました。来年度をめどに、東シナ海域研究の共著を出版予定です。東アジア共同体について、文化人類学的研究になっております。今後ともよろしくお願いいたします。

 原尻 英樹
 大した学識もないおじさんがこんなことを言っています。この方の父親は麻生炭鉱で朝鮮人をこき使い、そして事実上殺した人です。こんな人は実は東シナ海域では例外的な人でした。過去2000年以上に渡って、東シナ海域の人々は関わってきたのであり、その間戦争もあり、侵略もありましたが、それは例外的な事態であり、お互いの生活を守るために、「共同体」をつくってきたのが歴史的事実です:
 http://sankei.jp.msn.com/world/news/130505/asi13050501140001-n1.htm

No.1 140ヶ月前
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