報告(智恵子に)
日本はすつかり変りました。
あなたの身ぶるひする程いやがつてゐた
あの傍若無人のがさつな階級が
とにかく存在しないことになりました。
すつかり変つたといつても、
それは他力による変革で
(日本の再教育と人はいひます。)
内からの爆発であなたのやうに、
あんないきいきした新しい世界を
命にかけてしんから望んだ
さういふ自力で得たのでないことが
あなたの前では恥しい。
あなたこそまことの自由を求めました。
求められない鉄の囲かこひの中にゐて、
あなたがあんなに求めたものは、
結局あなたを此世の意識の外に逐おひ、
あなたの頭をこはしました。
あなたの苦しみを今こそ思ふ。
日本の形は変りましたが、
あの苦しみを持たないわれわれの変革を
あなたに報告するのはつらいことです。
。
コメント
コメントを書く民主主義の根幹は、自分を愛しむと同じように他人を愛しむことではないか。
国会の予算委員会などを見ていると、他の党をスキャンダル、言葉尻を捕らえる(本来的意味と異なる)などして攻撃し、攻撃される互いの人格を無視した議論を行っている。一時であれば救われるが、いつもおなじみの光景を展開している。端的に言えば、国会議員の民主主義の理解が低レベルであることを自白しているようなものである。
「集団的自衛権」を議論するのであれば、賛成は賛成の根拠を明確にして国民の支持を得る努力が必要であるし、反対は反対の根拠を明確にして指示を得る努力が必要である。現在行われている議論は、己の正当性を主張するより、他の不当性を主張することに重点が置かれている。これでは他を尊重するのでなく、他を抹殺しようとする行為に等しい。集団的自衛権の議論が深まらず、入り口で喧嘩をしているようなものである。民主主義が育っていかないのである。本来は国民の判断に任せるべきでしょう。何故このような現象が起きるかと言えば、力のある者、声の大きい者、支援者の多い者が権力を行使し、声なき声を押しつぶそうとするからである。弱いものに対する寛容さが欠けているのです。体制側が、圧倒的に強く支配階層を根深く浸透させている限り、どのような組織でも、体制に反する発言は、だんだん声が小さくなり、聞こえなくなっていき、国の方向が間違った方向に向いていくのです。思想信条が異なっていようとも、日本を愛する気持ちが強く各党に徹底していれば、先人たちの外交のように、対米外交も米国の圧力を一緒になって押し返すことができるのですが、安倍政権のように日本のことは大企業だけ、米国一辺倒の政策をゴリ押しする姿は正常でなく、日本のことを真剣に考えていないと見られても反論できないでしょう。最近の顔付、明るさが全くみられない。心が病んでいるのではないか。
>>1
「何故このような現象が起きるかと言えば、力のある者、声の大きい者、支援者の多い者が権力を行使し、声なき声を押しつぶそうとするからである」というのは、事の半面であり、他の半面は大勢に反対する者の理論的な反論が不十分だからでしょう。反論を抱いている者が自分自身の声を「声なき声」と表現することは、とりもなおさず自身が充分な理論武装をしていないことを認めるようなものでしょう。
民主主義の根幹は個人主義である。ところが日本という国は、個人よりも社会全体の幸福をまず追求し、その結果として個人も幸福になることを追求する社会である。民主主義は各個人が強い主張を持つ市民が存在する社会、古代ギリシャや、17世紀の英国に生まれた。その時代の英国では、商人や農園園主の代表ら(例えばOliver Cromwell)が英国王(Charles I)を捉えて首をはね、議会を国王の上においたのである。それが近代民主主義である。日本歴史の中で商人や農民の代表が天皇や征夷大将軍を捉えてその首をはねたなどという大事件はない。民主主義は中国や韓国では実現でき得ても、日本では難しい。なぜ一部の日本人が民主主義なんてものにとらわれるのだろうか。たぶん、彼らの無知のせいだろうと思っている。
日本人は議論をするよりも、まず、議論をしないで済ます方法はないだろうかと探す人間の集まりである。それはそれでよいのかも知れない。
フランス革命やロシア革命でも国王とその一族は捉えられ、首をはねられている。日本の2.26事件では首相や大臣、軍の幹部は血祭りにあげられたが、反乱軍の指導者らは天皇はあくまで自分たちを支持するものと誤認していた。すなわち、天皇は犯すべからざるものであり、従って、その反乱は民主主義を基礎にしたものではなく、天皇制を守るでしかなかった。
よって、孫崎の質問、「日本は民主主義を育てる国か」に対する答えは、「たぶん違う」と言うべきだろう。それが良いことか悪いことかは容易に判定できない。
>>2
80歳とお伺いしていますが、どのような事柄も、場所、時、環境などの条件が変われば、見方考え方が変わること十分ご承知でしょう。あなたの見解を肯定も否定も致しません。一面的に見れば、反論する理由もありません。ただ、はっきりしていることはあなたはわたしでなく、私はあなたではないことです。間違いないあなたと私の共通的事実は、生老病死など(生きてい限り避けられない)存在性をつかさどる原理でしょうか。生きている限り、あなたはあなた、私は私でいいではありませんか。
太平洋戦争敗北前後、天皇陛下は日本が共産化するのを何にもまして恐れておられました。米国に敗北しほっと胸をなでおろされたとの報道があります。そのご心情は理解できます。その後、日本に米国市場が全面的に解放され、日本独特の国家資本主義に花が咲き、日本人の生活が豊かになりました。
だけど、今回は違います。経済の行き詰まりとどん底への転落は想像を絶するものになるでしょう。特にTPPは日本にまだ残っている輸出産業を根絶させ、日本を外貨不足で悩ませるでしょう。それにあろうことか、日本にとって大顧客たるべき中国と敵対し、戦争状態に入っているかも知れないのです。
太平洋戦争終結時の日本の空には抜けるような明るさがありました。高村光太郎先生にはご不満があったかも知れませんが、当時の大多数の日本人には大きな大きな夢があったことは否定できません。
ともかく、日本は米国べったり政策を見直し、中国、韓国と早く和解することです。そして、英知を絞ってアベノミックスをソフトランデイングさせることです。ロシアとの鍔迫り合いに本腰を入れつつある米国にとっても、米国債を買い支えている日本が曲がりなりにも立っていることは歓迎すべきことではないでしょうか。さもなければ、日本は潰れます。さすれば、米国の足元も危うくなります。そうなれば、米国は嫌いなロシアと和解交渉に入らざるを得なくなるのですよ。その時、米国が独立以来しっかりと抱いてきた世界一極支配の夢を放棄せざるを得なくなるのですよ。
そうですね。日本はこれからなのだと思います。戦後の救いは、自らの力でつかみ取ったものではない。救いを与えられた見返りに、アメリカの枠の中で動くことをうけいれた。そこから抜け出して、自分の力で自分の未来をつかみ取る時が来たのだと思います。難しいけど、いつかチャンスはくるでしょう、運がいいといいね。
敵は個人ではないね。そのことは肝に銘じておきます。でも流れ込んでくるヨコシマな感情がある。これは戦わねばいけない。助けてね。