本作の原典は、醒酔笑巻之五「人は育ち」の章である。
原典に個々の小噺の演題が存在しないので、底辺亭底辺が便宜的に命名した。
アニメ版は下記URLリンクにて公開。
http://www.nicovideo.jp/watch/1495071189
醒酔笑の著者・安楽庵策伝は金森長近の実弟で天正から江戸前期に掛けて活躍した高僧である。
豊臣秀吉の御伽衆を務めた。
彼の執筆した笑話集「醒酔笑」を基にして多くの落語が創作されたので
「落語の祖」と呼ばれている。
幼年期から禅寺に出家させられた人物なので、著作にの舞台には禅寺が多い。
(それも衆道と空腹をネタにした小噺が目立つ)
著作 安楽庵策伝
原典に個々の小噺の演題が存在しないので、底辺亭底辺が便宜的に命名した。
アニメ版は下記URLリンクにて公開。
http://www.nicovideo.jp/watch/1495071189
醒酔笑の著者・安楽庵策伝は金森長近の実弟で天正から江戸前期に掛けて活躍した高僧である。
豊臣秀吉の御伽衆を務めた。
彼の執筆した笑話集「醒酔笑」を基にして多くの落語が創作されたので
「落語の祖」と呼ばれている。
幼年期から禅寺に出家させられた人物なので、著作にの舞台には禅寺が多い。
(それも衆道と空腹をネタにした小噺が目立つ)
著作 安楽庵策伝
脚本 底辺亭底辺
大阪は摂津・和泉・河内の三つの国から成り立っているのですが。
堺の街は、その三カ国の文字通り「境(さかい)」であることから、その名が付きました。
多くの国境都市がそうであるように、堺もまた商業の街として栄えました。
千利休や武野紹鴎、小西行長や呂宋助左衛門などが有名ですね。
勿論。
商人の街だからと言って商売人ばかりが住んでいた訳ではありません。
大工さんや船乗りさんだって大勢住んでおりましたよ。
中には、お店を畳んでお坊さんになった人もいました。
商売人とお坊さん。
正反対の生き方なので大変だったでしょうね。
何せ商売人時代の癖が抜けない。
どんな場面でもお金の話をしてしまうんですね。
「お! 今参拝に来てはる、あのお大名! 腰に金ピカの脇差差してはるやないの!
あれナンボくらいでっしゃろ? ナンボくらいするんでっしゃろ?
ワテの見立てでは~ 150両はしますな! いや、150はいかへんやろか?」
「おほ!
あの若衆の袴!
厭らしい染め方でんな~ww ぐふふふふwww
あんなん頼も思ったら、ナンボくらいするんやろか?
1両… では絶対収まらんやろうなぁ…
あんな藤色か桃色かよくわからん染め方!
初めて見たわ~ イスパニヤの柄なんやろか?」
「ん~!!
あのお上臈の帯ッ!!
下の粒々あれ翡翠ッ!?
下の粒々あれヒスイ~ッ!!!!
おっほ!
あの一粒だけでも下手したら700文はするで…
いあいやいや! 今のなし今のなし!
かーッ! ワテみたいな貧乏人には縁のない世界の話や…
うかつな事言うたら大恥かくで!!」
この様に、参拝のお客様の衣装を見る度に値段を付けて大はしゃぎしていたのです。
商売人であれば、仕事熱心ということで、まだ許されるのかも知れませんが
ここは厳粛なお寺なのです。
「え~! この木魚5両もしたんでっか!
5両ッ!!! え~!! 5両でっか!!
いやいやいや、叩くなんて滅相もないでっせ!!
すり減ったら損やおまへんか!
ヒビでも入ったら誰が弁償するんでっか!
ワテは絶対叩きまへんで!!!
アンタらも叩いたらアカン!!
口で言いなはれ!!
ぽっくぽっくぽっくぽっく!
ほら、これでええですやん!
いやいやいや! そんなん背中向けとったら解りまへんて!!
あ~、これは木魚の拝観料も頂かなあかんな~
減価償却に何十年掛かるかわかりまへんで~!」
この様に、朝から晩までお金の話。
口を開けばお金の話。
あまりに酷いので、住職様に叱られてしまいます。
「よいか、ワテよ。
何にでも値段を付けてはいかん。
物に値段を付ける癖は、やがて人間に値段を付ける癖となるだろう。
そして、人間に値段を付ける者は、やがて心や魂までお金に置き換えてしまうだろう。
これはもっとも哀しく貧しいことであるぞ。」
日頃尊敬していた住職のこの言葉に、さしもの商人も衝撃を受けます。
「じゅ、住職様~!!!
今のお話ッ!! ワテは感動致しました~!!!!
心を入れ替えて修行に励みます~!!!
もう二度と値段は付けまへん!!!
いや~、それにしても住職様の御言葉には重みがありますわ~。
千両の価値はありますで!!!!」
お後がよろしいようで。
堺町人が社交の話題にカネばかりを挙げる悪弊に対しては、同じく豊臣秀吉に仕えた山上宗二の著作内で批判的に描写されている。
江戸期になり、井原西鶴が堺町人の格調高さを自著内で喧伝するのだが、これが時代・政治の変化によるものなのか、或いは上方人・西鶴の我田引水であるのかは底辺には解らない。
堺町人が社交の話題にカネばかりを挙げる悪弊に対しては、同じく豊臣秀吉に仕えた山上宗二の著作内で批判的に描写されている。
江戸期になり、井原西鶴が堺町人の格調高さを自著内で喧伝するのだが、これが時代・政治の変化によるものなのか、或いは上方人・西鶴の我田引水であるのかは底辺には解らない。