前回の文化レクリエーション(以下、文化レク)を開催後、実に2年半の時間が経ってしまいました。今も世界でコロナ禍が去っていない現実を私たちは過ごしています。また、ウクライナへの侵攻が社会に暗い影を落としていますが誰がこのような事態を想像し得たでしょうか。人の一生を考える時、我々の前に横たわる偶有性を意識しないわけにはいかなくなりました。
漫然と今日の延長に明日があるような感覚で暮らしてきていた日々でしたが、それも何かしらの再構築が迫られているような気がしてなりません。事実、筆者はその思案に明け暮れていて思索メモが積み重なっています。「何があるか分からないのだから1日を大切に」といった形而上的なスローガンでは満たし得ない心境が胸に去来しており具体的で手ごたえのある事象を求める一方で、社会をどのように評価・判断するかという「自らの機軸」を一層に磨いていく必要があるやに思われるのです。
さて、MAAの公式行事である文化レクがしばらく中断を余儀なくされていましたが、新型コロナウイルス感染症による緊急事態宣言やまん延防止等重点措置の全国解除を受けて久々の設定となりました。解除されたとはいえ「安全」ということはなく、文化施設にしろ交通機関にしろ感染防止の徹底が図られることが大前提の社会の動きです。MAAとしても慎重に開催是非の判断を事務局で行っての案内となっています。
会として東京国立近代美術館を訪問するのは初めてのことです。竹橋駅すぐ近くの場所で皇居に面する立地。当日は快晴となり集った会員でレク再開を喜び合いました。「遠足の前日の様なワクワク感でなかなか眠れなかった」といった話も出て、文化レクが計画通りに開かれていた頃が懐かしくも感じられました。これも決して「当たり前」ではなかったのだと今になって強く思うのでした。訪問施設を評価する「MAAアセスメント」を行えたのも久しぶりのことで、会の原点に立ち返った気持ちにもなりましたね。考えてみたらこの日は会の創立記念日でもあったのです。
-エントランスBS-
本展示は「鏑木清方(かぶらききよかた)」という日本画家の没後50年を記念する催しです。この後、京都でも展示が行われるようです。日本画の性質上、特定作品への損耗を防ぐ意味合いで展示作品が入れ替わるとアナウンスがありました。東京と京都で味わいの異なる鑑賞が出来ることを楽しみに思われる方も少なくないのではないでしょうか。私自身は画心がなく、また、論評し得る見識も感性も持ち合わせていないのですが「自分には出来ないからこそ強く敬意を抱く」といった立場は堅持しており、今回もそうした心情を十分に補強する鑑賞となりました。
鏑木清方と言えば「美人画」という世評が一般的であるようですが、確かに今回展示されていた作品の多くがその系統で占められていました。不思議とどの絵も表情に一貫性があって、あまり画からは個別の感情を汲み取らせない描き方であるように受け止めました。「生活と共にある人」というテーマを重視する作画スタイルだったと展示に説明がありましたが、浮世離れしない鏑木清方の地に足のついた方針には好感を抱くことしきりでした。
-集合写真-
常設展「美術館の春祭り」
-菊池芳文『小雨ふる吉野』-
-川合玉堂『行く春』-
鑑賞後、幾人もの「皇居ランナー」とすれ違いつつ、東京駅方面へ徒歩移動。途中のビル街地下休憩スペースでテイクアウトコーヒーを片手にしばしの談笑。こうしてリアルに会って語り合うこと自体を貴重な時間と思われた方が大半ではなかったかと考えます。以前ならここから食事コースですが夜にオンラインでの第2部を控えている関係上、日のある間に一旦解散の運びに。
オンライン感想会には日中参加できなかった会員も合流し、現地参加者の言に耳を傾けていました。まだ開催期間中なので個別に訪問することもできますから、その際の参考になるような話ができたのではないかと思います。
本来は総会が設定される日程ですが社会事情を鑑みて下半期に延期をしています。この日は昨年度の事業報告と今年度の事業計画を一通りアナウンス。コロナの状況次第ではあるものの、秋の全国レクリエーションの展望も示しました。会としても事業開始から6年目に入ることとなり、これまでの会員各位のご厚情と支援について感謝・御礼を理事長として述べさせて頂きました。創立10年に向けて一層の質的向上を目指して前進していけたら幸いに思います。
記:PlaAri