パートナーに浮気をされた、親友に裏切られた、あるいは、家族に何年も虐待された……。
そんな場合、その人を許すということは途方もないことかもしれません。まず重要なのは、決して許すことが必要というわけではないということ。自分を傷つけた人がいまだに自分の幸福を脅かす可能性がある場合は、特に。
しかし、専門家によると、事実を受け入れ、許すことができるなら、健康上のメリットが数多くあります。「恨みを持ち続けたままでいれば、思い悩み、負の感情、ストレスの悪循環に陥ることでしょう」(と、“許し”についての研究者で、アイオワ州デコーラのルーサーカレッジの心理学教授、ローレン・トゥーサント博士。
バージニアコモンウェルス大学の心理学部の名誉教授、エベレット・L・ワーシントン博士によると、時間とともに、慢性的に高いレベルに上昇してしまったコルチゾール(ストレスホルモン)のために、多くのメンタルや身体的な健康問題が引き起こされる可能性があるそう。
一方、『Annals of Behavioral Medicine』誌で発表されたトゥーサントさんが共著を務めた研究によると、より大きな許しはストレスの軽減、ひいてはメンタルヘルスの改善につながることがわかっています。
和解する必要はない
誰かを許すことは、必ずしも自分を傷つけた人と和解しなければならない、またはその相手との関係を続けなければならない、というわけではありません。自分の人生において関係を続ける必要もないかも。
「許すことは体に根差していくもの」と、ワーシントンさん。それは、憎しみと怒りの感情を癒し、人生を前に進めるものです。
ここでは、憎いあの人を段階を追って許していく方法をお教えいたします。たとえ不可能と思えても。
1.より大きな人間になって、許すことを決める
傷ついたとき、誰かを非難するのは簡単です。いわゆる自分を傷つけた人にすべての責任を負わせ、「あいつらが謝らなければ私は許さない」と。
しかし、トゥーサントさんによると、そのメンタリティでいるとしっぺ返しをくらう可能性も。なぜなら自分を癒すすべを他人へとゆだねてしまっているから。しかし、より大きな人間になることで、自分の力で回復へと進んでいくこともできるのです。ええ、確かに彼らは自分を傷つけたけれども、自分は前に進むことだってできるのです。
「とはいえ、許しは強制されるものではありません。起きたことを受け入れ、感情を受け入れ、解放できるという心の準備ができた場合にだけ、自分自身で選び、実行すべきことなのです」(トゥーサントさん)。
2.自分が望むものを把握する
image via shutterstock再び友達になりたいのでしょうか。それとも、自分だけ不快な気持ちとサヨナラしたいのでしょうか。
これは前に進む方法に必ずしも影響しませんが、「目標を心にキープしていれば、自分自身の立ち位置を見失うことがなくなります」とトゥーサントさん。自分を傷つけた人に対する感情に苦しんでいるとき、自分の最終的に目指す目標を思い出すと、気持ちを穏やかにすることができるのです。
3.両者の視点で客観的に見る
image via shutterstock自分が傷ついた場合には、むやみに状況を主観的に受け止めてしまいがち。そのため、ある人が誰かを許そうとしているとき、第三者の観点から書き出すことにより、状況を可能な限り客観的に見ることを専門家はよくすすめます。
例えば、痛みを蒸し返すのではなく(「クリスティンは私に対してとても無礼だったので、以前よりも彼女に腹が立っている」)、外側から何が起こったのかをレポートします(「クリスティンの言葉は無神経で人を貶めるもので、ローレンは怒りを覚えた」)。
自分自身を状況から切り離すと、感情をコントロールしやすくなります。それは過去を受け入れる新しい視点をもたらしてくれるかもしれません。
4.共感や同情を持つ
image via shutterstockトゥーサントさんによると、あなたは第三者の目線で怒りを感じた出来事を見たいのかもしれません。
例えばパートナーがあなたにとって、とても大事なことを無視したとします。どんな要素がこれを招いたのか考えてみます(おそらく彼・彼女はとても忙しかった、あるいは何かの用事の真っ最中だった)。
ワーシントンさんによると他人の立場を理解することは、ネガティブで容赦ない感情(敵意や恨み)をポジティブな感情(共感や思いやりなど)に置き換えてくること。
自分を傷つけた人に共感することがまったくできない場合は、代わりに自分自身が何かで許されたときのことを思い出してみてください。繰り返しますが、脳のスペースは限られており、ポジティブな感情でいられるときには、ネガティブな感情を抱く余地は少なくなり、気持ちをよりラクにしてくれます。
5.伝えるか伝えないか
image via shutterstock自分を傷つけた人を許せると思ったとき、そう相手に伝えたいという気持ちになるときはあるでしょう。ただ、「私はあなたを許す」と伝える前に、自分が不当な扱いを受けていたことも伝えること。もし自分を傷つけた人がそれを理解していなければ、彼らは苛立つことになり(「私を許す? 何のこと?」)、再び自分が傷つく状況に。
「こうした理由から、許したと申し出るのは、謝罪や告白、償いの提案、あるいは少なくとも責任を取ってもらったときにだけ行うべき。もし行う場合は、「あなたがどう」ではなく、「私がどうなのか(私はこう思う)」と、自分を主語にして表現することです」(ワーシントンさん)。
とはいえ、許しは個人的で内面のプロセスであるため、許している人に伝える必要はないのです。自分の幸福のために連絡を断っている場合は特に。苦しんでいた怒り、痛み、傷から解放されたなら、すでに許しているといえるでしょう。
心の重さを取り除くには
Cassie Shortsleeve/How to Truly Forgive Someone Who Hurt You—Even When It Feels Impossible/STELLA MEDIX Ltd.(翻訳)
よく言う「復讐は何も生まない」なんてのがあるけどな。
それはある意味当然で、マイナスをとりあえずゼロまでリセットするために復讐という行為は存在する。
生み出す行為でなくて埋めるための行為。
で、ここに書かれてるのは「マイナスなんてなかった」あるいは「このマイナスって復讐せんでも自力で埋められるんじゃね?」と自分に言い聞かせるための手法
だから本文中にもあるけど、「1」の段階で「いや、許すとか無理やろ……」って感じるなら使えない手段だよ
許す、許さないの前にむこうの態度をみて報復か倍返しを選びます
怒りや憎しみがパワーになって、そいつを見返すための努力や復讐するためのエネルギーの源になり得るから、あながち許して癒されることが全てではないかと。いいこと書いてあるとは思うけど、納得できない、許せないなら怒り続けてもいいかもしれません。
憎しみは何も生まねぇけど復讐したらスッキリするぞ!!
そもそもなぜ許す必要があるのか
こういうお題目を唱えるキリスト教なんかの歴史を考えると……
ねえ?
向かい合う必要すらないと思っている。逃げてしまえばいい。
恨み続けてる相手と関係を切りたくても向こうから迫ってくるので 死なばもろともの覚悟の捨て身で 「損得より与えるダメージしか考えないやべーやつ」になって 関係を切るのがやっとなので 許すとかないです 火の粉を振り洗うために 腕を切りおそしてやっと切り離せるレベルの相手は辛いです
どうしようもなく憎く、憎くて仕方がない相手でたとえ『大きな人間になった』としても許す気が無くヤツを許せる程に『大きな人間になれない気がしない』、『自分が望むもの』は相手が地獄すら生ぬるい地獄を味わった上で相手がタヒる事で、『両者の視点で客観的に見る』なんてそもそもする気すら起きない相手で、『共感や同情』なんて選択肢はあり得ない、『伝えるか伝えないか』は折りあいを付けた後のお話し。
そんな状態な相手が居て、ソレをどうにかできるかもと思って読んでみたが結局は良くある『相手よりも精神的に大人になって許しましょう』という内容でガッカリ。
傷つけられて「より大きな人間になって、許すことを決める」は無いだろ。こう言う記事に書いてあることをそのまま行動に移すとそのうち心が壊れかねないから俺はお勧めしねぇな。てか人を傷つけた人間を許すってもうそれ狂気だろ