• このエントリーをはてなブックマークに追加
公立中学校という選択:区立から難関大学へ その2
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

公立中学校という選択:区立から難関大学へ その2

2016-04-04 21:02
    ~我が家は中学受験をしないことを決めました 続編~


    1年前、中学受験をしないことを決めた我が家。

    江戸川区で4人の男児を女房と共に育てている。通塾はむしろ子どもの好奇心の芽を摘む可能性があるし、小学生にとっては勉強よりも友達と遊ぶことが一番だ。


    我が家の4人の息子たちは、全員が区立保育園、区立小学校に進んだ。そして、全員が中学受験をしないこと、塾に通わないことを決めて、区立中学校という選択をした。


    2年前のコラムで強調したのは、子どもは親だけではなく地域社会によっても育まれることだった。区立中学が属する地域社会。地域は玉石混合、多種多様。
    そこで強い心、創造性、感受性等を育む試みだ。

    区立のよさは、健常者と障害者とが一緒に学び、一緒に育つこと。
    いじめや不登校をクラス全体で解決していくことであった。(2年前の主張)

    http://www.okuchika.net/?eid=4789



    ■子どもに教えすぎない

    わたしの父は教員だった。
    中学生のころ、父は地域野球の名選手だったらしい。
    教員のとき野球部顧問をしていた。

    ところが、父はわたしに野球を教えなかった。
    なによりも、学校の先生であるにも関わらず、
    わたしは父から勉強を教えてもらったことさえない。


    また、母は、絵師の娘で絵が得意だった。
    家でデッサンを教えていた。
    だが、わたしにデッサンを教えたことがない。


    子どもを相手に、大人が教えない。

    親が教えないから、子どもは安心して、心から、ただ遊ぶ。


    保育園に5年通った。保育園では勉強を教えない。
    わたしは小学生になったとき、自分の名前も書けなかった。
    いまも保育園では字を教えない。
    保育園っていい。

    どうか、いつまでも、幼子に勉強を教えるような浅はかな真似はしないでほしい。
    保育園が勉強を教えないから、クリエイティブな大人へと
    育つのかもしれない。


    ■ハウツー:高い目標を長期で達成する

    方法論は単純であり、自ら決意し、何かをやると決めたら自己責任でやればよいだけ。


    一般的に以下の命題は正しい。

    1)どんなに難しい仕事も細分化できる。
      細分化したひとつひとつの仕事は簡単になる。

    2)仕事は繰り返し行うことで生産性が上がる(=学習能力による効率の向上)

    以上2点、困難と思われる目標であっても、長期の計画に沿ってコツコツと努力すれば、目標は達成できる。


    例その1:

    「ピアノ初心者がベートーベンのピアノソナタをどうしても弾きたい場合」

     ピアノを習い始めたばかりの初心者にとって、ベートーベンのソナタを弾くことは困難だ。しかし、通常のテンポの10分の1にしてみるとどうか。
    一番、難しい8小節を選ぶ。その8小節だけを繰り返し練習する。
    そして、徐々にテンポを上げていく。
    こういうプロセスをとり、最終的に、ソナタを習得していく。
    最終的に2分の1のスピードまでテンポ上げる。

    例その2:

    「英単語を3000語覚えたい場合」

    1回10分間で単語帳の見開き10単語を覚えようと努力する。
    翌日、もう一度、その10単語を5分で覚え直す。
    同時に、新しい10単語を10分間で覚えようと努力する。
    3日目、初日の10単語を今度は2分30秒で覚え直す。
    2日目に覚えた10単語を5分で覚え直す。

    その後、10分間をかけて、新しい10単語を覚えようと努力する。
    (トータル勉強時間は17分30秒)

    以降、略。


    ■誰でもできる細分化と反復練習

    ピアノの例では細分化、英単語の例では学習能力の向上を示した。
    これらの手順により、長期に渡り、ひとつの高い目標を設定すれば、
    誰でも高みに上ることが可能だ。

    これは単なるハウツーだ。それができれば世話ない。


    ■やる気がなければ、ハウツーは無意味

    やる気のない子どもをやる気にさせることは無理だ。

    やる気のない子どもがいて、親がいる。親には何もできない。


    ところが、親は子どもを「やる気」にさせたい。

    親の気持ちはわからないでもない。

    だが、それは無理な相談だ。


    なぜならば、それは本末転倒だから。

    そんなことをすれば親が子の人生を生きることになる。

    子の人生を生きるのは子である。
    親が子になれば、子には行き場がない。


    ■覚悟を決めるのは子どもだ。親ではない。

    子どもは勉強が嫌いだ。

    そして、意識も低い。


    公立中学生にとって、最大の試練の一つは、高校入試。

    小学校と違い、中学生には、定期テストがあり、
    区立中学の場合、5段階の通知表がある。
    受験では通知表が大きなウエイトを占め、
    その通知表は学校の定期テストの出来が反映される。


    高校受験への覚悟の有無はあるや否か。
    中学生になったら親として子どもに問うてもよいだろう。
    もし、高校には特に拘らないなら、それはそれで十分に正しい選択だ。


    公立中学を選択しつつ、学者、医者、国家官僚、宇宙飛行士や一流企業就職等を希望するなら、自己の可能性を狭めないために、難関高校から難関大学へ行けばよい。

    我が家は、長男は医者志望、二男は官僚(文部科学省)志望であったため、
    二人とも難関高校へ行った。

    公立中学からも難関大学への道がある、という程度で本コラムを読んでもらえばよい。


    中学生になったら、こんな高校がある、こんな大学があるという情報を与えるようにした。それでも、志望校を決めるのは子ども自身であるべきだ。


    なぜならば、覚悟を決めるのは子どもだからだ。
    中学生になれば、多少の道理もわかる。
    自我もある。意思もある。

    子に覚悟があれば、親は程々に応援すればよい。
    子に覚悟がなければ、親にできることは何もない。


    (続く)


    日本株ファンドマネージャ
    山本 潤

    (情報提供を目的にしており内容を保証したわけではありません。投資に関しては御自身の責任と判断で願います。万が一、事実と異なる内容により、読者の皆様が損失を被っても筆者および発行者は一切の責任を負いません。)
    コメントを書く
    コメントをするにはログインして下さい。