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~我が家は、中学受験させないことを決めました~
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~我が家は、中学受験させないことを決めました~

2014-01-11 07:32
    ■はじめに

    あけまして、おめでとうございます。

    東京で働き始めて四半世紀が経ちました。思うことは、地方との教育事情の違いです。

    東京では4人に1人が中学受験をします。難関大学への合格者で突出した結果を出しているのは、開成など、一部の私立の中高一貫校です。いま、受験の追い込 み期。中高一貫校への合格を目指し、多くの小学生たちが頑張って勉強しています。我が家では、4人の子どもがいるため、中学受験のメリット、デメリット を、何年にも渡って、熟慮しました。中学受験のよいところはたくさんあります。関連する書物も随分、読みました。ですが、うちは中学受験させません。今回 は、その理由を書きます。


    ■■■我が家が中学受験をしない理由■■■

    ~本日の内容~

    ■私立中学受験のメリット

    ■地域に育てられた子ども

    ■社会の多様性から、思いやりを学ぶ

    ■ゆとりの時間が創造性を育む

    ■創造性は習い事では身に着かない

    ■先生はいらない

    ■工夫があればお金は不要だ

    ■親がすべきではないこと

    ■そして中学受験をさせないことを決断

    ■あとがき ~おや?嬉しいことが起こっているぞ!~


    ~私立中学は大学進学に有利な環境~

    ■私立中学受験のメリット

    わが子に高い学力をつけるために、中高一貫校を受験させる親の気持ちはわかる。

    中高一貫で教育すれば、教育課程を短縮し、公立であれば6年かかる内容を4年や5年で終え、高校3年のとき、大学受験勉強だけに専念させる、という受験上 の実利のメリットがある。私立は、単純に、大学受験の準備が公立と比べて1-2年早い。それは現役合格率の高さとなって私立有名校の大学進学実績という数 字にはっきりと出ている。


    みんな、そのことがわかっている。私立中学は、大学入試にとても有利だと。


    また、私立には、それぞれ教育理念がある。私立は、単なる知識の詰め込み、というわけでなく、中には創造性を育むような教育がなされているところがある。 教育内容がよいのだ。また、親の年収は高く、「変な親がいない」ということで私立を選ぶ人もいる。あるいは、公立には学級崩壊のリスクがあるので、あらか じめ、それを防止する、という理由もある。


    圧倒的な大学合格成績もある以上、私立中学に行かせた方が、将来、子どもの可能性が開けるのではないかと私は考えたときがあった。


    私立中学受験のメリットは、

    1)大学受験を前倒しで準備できる、受験勉強を早くスタートできる

    2)私立学校の教育理念に共感できる

    3)授業の質とスピードが速い

    4)授業の質の確保。授業を「妨害する」多動症の生徒がいない

    5)親同士の価値観が似通っている

    など、である。


    この前提として、公教育への不信、都立中学校の荒れ、などがあげられる。


    ~子は親だけで育てたわけではない~

    ■地域に育てられた子ども

    うちの4人の子どもたちは、地域の保育ママに1歳から育ててもらった。その後、2歳から公立保育園で育った。その後、公立の小学校に、全員、入学した。


    それぞれ、地域の野球チームやサッカーチームに小学校の低学年時から入ったので、大変、お世話になっている。

    町の公立小学校、中学校のグランドは、週末に地域に開放される。それで、地元のサッカークラブや野球クラブチームが学校のグランドを毎週のように借りている。

    地元の小中学校に、うちの子どもたちは、スポーツを通して、大変、お世話になっている、というわけだ。町の学童保育は、原則、全員参加することができる。放課後は、公立の小学校が毎日、預かってくれる。


    また、町内会がある。クリスマスには、イルミネーションを飾り、正月にはもちつき、5月にこいのぼりを上げ、盆踊り、町のお祭り、と大人たちは忙しい。子どもたちに参加してもらいたい年中行事がある。


    ということで、うちの子どもは、親だけではなく、地域の人々(保育ママ、保育園、小学校学童保育、町内会、スポーツクラブチーム)に育ててもらった。


    子どもたちは、当然、地域の学校に行きたがる。身近に、豊かな地域社会や幼なじみがいる、そういう環境がある。


    ■社会の多様性から、思いやりを学ぶ

    保育園は、障害を持った園児たちと健常児は同じクラスだ。そのことが、思いやりや優しさを育んだのは間違いない。

    息子たちが通う区立中学校は、障害児クラスがある。運動会など学校行事は、一緒だ。障害者も健常者も、運動会では、走力をお互いに競う。

    その中で、息子たちは、社会の多様性を当たり前のものとして育った。


    長男が中学校3年のとき、不登校の同級生のことを心配し、遊びにいった。

    息子は言った。「O君に、学校に来いと言いうつもりはない。ただ、彼が大丈夫か、心配だから会いに行く」と。

    不登校の同級生を思いやった長男に対して、「お前のやっていることは、勉強ができることよりも大切なことだ」と私は言った。


    最近、長男は保育園の同級生たちと音楽バンドを結成した。2歳から、ずっと、同じ保育園、同じ小学校、同じ中学校で一緒に育ったSさんとK君たちと。

    幼なじみ同士の結びつき。彼らの15年という長期の友人関係は、地域社会が、息子に与えてくれた宝ものだ。


    他の家庭を「変な親」と見下すのではなく、生きにくい社会で苦労をともにする仲間である、と考えるなら、地域の中学校は、多様性をみんなで一緒に学べる場だ。

    なによりも、おらが町の学校である。誇りを持たせたい。わが町の学校に問題があるなら、みんなで考え、話し合えばよい。


    ■ゆとりの時間が創造性を育む

    努力は大切だ。中学受験で必要な学力は相当のものだ。受験させるなら小学校4年ぐらいから、塾に通わなければならない、という。


    だが、わたしには、確信があった。習い事には、とてつもないデメリットがある、と。

    習い事は、塾を含めて、子どもたちを客観的なツールで評価するため、子どもを序列化する。


    習い事の盲点は、子どもが(大人の尺度による)序列や評価の対象となる点にある。

    だが、子どもは、すでに学校で先生から評価される存在である。

    家では親から評価される対象である。

    学校で評価された上、家庭で評価され、さらに、また複数の習い事でそれぞれ評価されるとしたらどうだろう?


    大人からの評価が、ときとして、子どもの自己否定につながったり、子どもの好奇心をつぶしてしまったりする。


    人は、元来、誰からも序列化されるべきではないし、自分を評価できるのは自分だけであるべきだろう。


    うちの子どもたちは、どうしても習いたいときに限り、ひとつだけ習い事をさせてきた。

    1番目と2番目は地域の野球チーム、4番目は地域のサッカーチームに入った。
    3番目の息子は習い事をしていない。

    ところがどうだ。何も習っていない3番目の息子は、日記を小学校の先生に書いている。こんな日記だ。


    「~僕の一日~ 僕の一日は、まず、起きたらテレビを見ます。その後、弟とゲームをします。10時になったら、友達と外で遊びます。家に帰って、お昼を食 べたら、また、夕がたまで、友達と外で遊びます。家に帰って、家族と夜ごはんを食べます。弟とゲームをします。テレビを見ます。寝ます。」とあった。

    その通り!ああ、楽しかった!といって小学生高学年の三男の一日は過ぎる。


    ■創造性は習い事では身に着かない

    三男のことを考えているとき、ふと、わたしの昔の小学校の先生のことを思い出した。Y先生は、わたしの恩師。小学校5年と6年のときの担任の先生だった。


    図工と体育の時間がかなり(というか異常に)多かった。

    たとえば、絵を描く。

    朝から絵を描いていたら、知らないうちに、お昼の給食の時間になっていた、ということが当たり前だった。図工の時間は、毎日あった。Y先生は、ただ、みん なが描いている絵を順番にまわって、ただ、感心して見ているだけだった。わたしは、随分と、ほめられた。(それで、自分は絵がうまいと勘違いしてしまっ た。)

    夏、毎日、水泳があった。Y先生のおかげで、全員が泳げるようになった。先生は、プールが使われていないと、途中で、授業を打ち切り、「おや、プールが空いているぞ、みんな、いまから水泳だ!」といった。


    運動会が近付くと、大きなスコアボードを先生が授業中に一生懸命作っていた。みんなで手伝った。スコアボードつくりのために、大きな発泡スチロールを丸く 切り抜いたり、糸鋸でベニア板を切ったり、ボードに釘を打ったりした。最後にスコアに蛍光塗料を塗って得点板が光った。感動した。


    焼き物もやった。粘土で器を作って、釉薬を塗って、なんと、学校の裏庭のゴミの焼却炉で焼きものを焼いた。版画を彫った。自転車を解体して、ボートに改造して、水上自転車をつくった。それをクラスでプールに浮かせた。


    5年生の秋、わたしの地元プロ野球チーム、中日ドラゴンズが20年ぶりに優勝した。日本シリーズをみるため、教室にテレビを設置して、クラスみんなで、ド ラゴンズをテレビで応援した。そのとき、5-4でサヨナラ勝ちしたことを覚えている。(いまと違って、日本シリーズはデイゲームだった。)


    Y先生のクラスで、国語とか算数とかは、ほんのちょっとしか習わなかった。だから、クラスで誰が勉強できるとか、できないとか、そういうことは、まったく わからなかった。勉強の優劣を子どもに意識させなかった。みんな同じで、みんな違った。毎日、学校が終わると、みんな外で遊んだ。草野球や缶けりなど、子 どもらしく遊んだ。

    習い事では創造性は身につかない。毎日が遊びだ。そして遊びとは創造だ。


    そんなことを思い出したので、いまはどうかと思って、三男に聞いた。学校の先生は、時間割の通りに授業をするのかと。三男は驚くべきことを言った。
    「いいや、体育の授業がとても多いよ。毎日のように体育やるよ!楽しいよ!」
    と。体育ばかりか!やるではないか!おらが町の先生。いいじゃないか。おらが町の区立小学校!


    ■先生はいらない

    わたしは、中学校3年生のとき、NHKの「あなたのメロディー」という作詞作曲の番組に応募した。いい曲をとにかく作りたかった。曲作りや詩作りを誰にも教えてもらったことはなかった。やりたいことがあれば、先生はいらない!!

    それはY先生の教えだった。

    Y先生は、わたしに絵の描き方は教えなかった。わたしは思うままに描いた。


    ■工夫があればお金は不要だ

    長男がドラムをやりたいから、ドラムセットをほしがった。我が家は許さない。理由は、近所迷惑。仕方なく、竹や布や段ボールやアルミホイルや輪ゴムや チェーンやなんやらで、ドラムセットを自作し、それで練習している。子どもは、自分でやりたいことがあればやる。お金がなくても、環境が整わなくても。ど うしてもやりたいから、やるんだ。


    ■親がすべきではないこと

    子どもの進路を親が決めてしまう。これはやってはいけない。

    子どものためにならない。

    小学生は基本的に勉強が好きではない。

    子どもが好きではないものに、親が一生懸命になるのは、いかがなものか。


    中学受験をして、下から半分の子どもたちは、先取り学習の進度と勉強への無関心さから、高校で落ちこぼれてしまう。小さい頃、嫌いなものを無理強いしたこ とで、勉強自体が嫌いになってしまう子ども多いという。受験という、本来、したくないことを無理やり親にやらされたと思春期に子どもが感じれば、深刻な親 子関係の悪化に行きつくだろう。多くの私立中学は、高校からも生徒を募集している。高校からの生徒は、だいたい、下位半分より上、上位1/3より下、つま り、中位に入る。小学校のとき、遊んでいた高校から入った子どもたちの方が、小学校のときにあれだけ猛勉強していた子どもたちよりも成績が上になる。そも そも、体力が違う。夏のあの炎天下で一日中、野球やサッカーで遊んできた子どもたちは体力があるし、集中力がある。また、小学校のうちから、何百万円と受 験産業にお金を吸い取られて、有名私立でさらに何百万とかかり、周りが有名塾に通っているからと、塾通いもさせ、大学まで私立に進学したら、子どもが大学 にいくときに、親はお金を使い果たしてしまうかもしれない。そうなれば、子どもが大学生になって、本当にやりたいことが見つかったとき、留学させたり、専 門学校に行かせたりすることができなくなってしまう。鶴亀算のために、何百万円も使うのはもったいない。


    勉強は、本当にやりたくなったときにやればよい。

    わたしの周りでは、高校や大学で遊び過ぎた(と感じた)人が、大人になってから、学びの重要性に気がついて、自身の意思で、真剣に学び始めたケースを、多々、知っている。


    ■そして中学受験をさせないことを決断

    まとめとして、中学受験をさせない理由を箇条書きにする。

    1)多様性や思いやりを身につける。ありのままの地域社会で生きる

    2)育った地域に誇りを持つ。幼なじみがいつもいる空間に誇りを持つ

    3)自分だけがよい環境に逃げない。社会に一人で立ち向かう気概を持つ

    4)通学のために往復何時間もラッシュアワーで無駄にしない

    5)子どもにお金をかけすぎない(公立中学と都立高校なら無料)

    6)小さいころ塾で身に着くような学力は、自然に後から身に着く

    7)小学生は、屋外で泥んこになって、ガンガン遊んでほしい。

    8)習い事は毒になる。大人に評価されない子どもだけの世界を持たせよう

    9)小学生は、まず、体力をつけてほしい。学力よりも体力だ

    10)そもそも大人は忙しい。子どもの相手をする暇がない


    ■あとがき ~おや?嬉しいことが起こっているぞ!~

    子どもが生まれたときのこと。

    健康ならそれだけでいいと思いました。

    いや、たとえ、健康でなくてもいい。生きていてくれればそれだけでよいと思いました。


    そもそも、小さな子どもって、学校が好きじゃない。

    わたしは小学生の頃、日曜日の夜は憂鬱でした。

    そのうえ、小学生は勉強が嫌い。

    子どもが嫌いなものに、一生懸命、親が子どもに代わって関わるのが中学受験です。


    我が家の場合、わたしが自分の勉強が楽しくて仕方ないので、大人の時間、自分の時間が一番大切。子どもを相手にする時間がありません。大人には、大人とし てやるべきこと、やりたいことがたくさんあります。家に帰れば、まず、わたしは、机に向かって、数学をします。昼は仕事でくたくた。夜は、数学科の大学院 生。多忙です。大人は大人ができることをやり、子どもは子どもで、できることをやればよいのです。


    わたしが自宅で数学を楽しそうに勉強している。つい、リビングテーブルで、紙に数式を書きながら、独り言をいうときがあります。「おや?嬉しいことが起 こっているぞ!嬉しいことが起こっているぞ!」と興奮気味にブツブツやっているときがあります。定理が証明できそうなときです。子どもは、そんなわたしを 見ていいます。「お父さん、よかったね。数学ってそんなに楽しいの?」

    わたしは、いいます。「数学とは感動だ。お父さんにとっては、生きる目的だ」と。


    我が家は中学受験をしません。

    結果として、上の二人の子どもたちは、区立中学に行きました。

    長男。元野球少年。いま、高校生。区立中学3年のとき、急に数学にはまって大好きになりました。それでいい。

    二男。中学生。野球部。急に英語が好きになりました。それでいい。

    3番目。小学校の高学年。よく食べる。よく遊ぶ。それでいい。

    4番目。小学校の低学年。ゲームとサッカーに夢中。それでいい。


    子どもの可能性を広げるようとして、子どもや親ががんばる。中学受験には、メリットがたくさんあります。ですが、デメリットもある。我が家は、子どもの持つ本来の力を大人がつぶさないように、子どもが遊ぶ様をじっと見守ることにしました。


    受験はしない。親がレールを引いてしまえば、「人生を築く」という最大の楽しみを親が子どもから奪ってしまうことになる。親は子どもよりも早く死にます。 だから、子どもたちには、「自分で選びとった」といえる人生を生きてほしい。そして、自力で生きる力を身につけてほしい、と思うのです。

    (冒頭にも述べましたが、私立には公立にない良さがあります。このコラムは中学受験を否定するものではありません。)


    日本株ファンドマネージャ
    山本 潤

    (情報提供を目的にしており内容を保証したわけではありません。投資に関しては御自身の責任と判断で願います。万が一、事実と異なる内容により、読者の皆様が損失を被っても筆者および発行者は一切の責任を負いません。)
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