日大の理事長にならなければ、ずっといい関係だったのに、と思う知り合いは何人かいる。
 人間ではないけれど、フジテレビがその最たるもの。もう憶えている人も少ないと思うが、デビューしてすぐの頃、私はフジテレビのキャンペーンキャラクターをしていた。
 時はあたかもフジテレビが黄金期を迎えようとしていた頃。
「おもしろロマン」というキャッチフレーズで、いいとも青年隊と踊り歌っていた私。
 落ち着いて作家になってからは、十七年間番組審議委員をさせていただいた。いろいろなイベントに呼んでもらっていたし、社内に親しい人は何人かいる。自分でも「フジの準社員」として、ずっと視聴率やいろんなことを気にかけてきたつもり。
 それが理事長になってからは一変。大学や私個人への攻撃が始まったのである。不祥事に伴う一連の報道の後もそれは続き、その執拗さと歪曲ぶりは異様であった。 
週刊文春デジタル