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日本と英語圏、クラウゼヴィッツ研究の致命的「格差」|THE STANDARD JOURNAL
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日本と英語圏、クラウゼヴィッツ研究の致命的「格差」|THE STANDARD JOURNAL

2015-06-15 19:57




    おくやまです。

    皆さんもご存知の通り、日本国内では
    (不毛な?)安保法制の議論が繰り返される中で、
    南シナ海では、スプラトリー諸島が北京政府によって
    着々と埋め立てられております・・・(苦笑

    そんな情勢を横目に観つつ、
    私は次に出す本の準備をしっかり(ちゃっかり?)進めております。

    そのプロセスの中で改めて想ったことがあるので、
    今回はここで一つ書いておきたいと思います。

    それは、クラウゼヴィッツのことです。

    「またクラウゼヴィッツかよ・・・」という声が聞こえそうですが・・・
    今回も懲りずにどうかお付き合い下さい。(笑)

    正直なところ、日本でのクラウゼヴィッツの理解が、
    その筋の専門家たちの間でもあまりにもひどいものなので、
    どうも気になって仕方がないのです。

    日本で出版されている、
    「クラウゼヴィッツの戦争論が◯時間でわかる!」
    といった雰囲気の本などを読んでみても、
    少なくとも私は、この古典中の古典である
    『戦争論』のポイントが全く理解できません。

    しかも嘆かわしいことに、日本の学界では
    クラウゼヴィッツは完全に「死んだ哲学者」扱いでして・・・(苦笑

    安全保障関係の論文を見ても、
    クラウゼヴィッツを活用しながら論じられている例は
    (少なくとも私の知る限りでは)皆無と言えます。

    ところが英語の文献などを読むと、
    まさに現代の戦略問題に対するヒントを与えてくれる存在として、
    クラウゼヴィッツの『戦争論』はいまだに議論の対象となっております。

    ※例えば、最近の専門誌にはこのような論文が掲載されました。
    ▼Clausewitz’s Concept of Strategy 
    – Balancing Purpose, Aims and Means
    http://goo.gl/30bBjx

    もちろんこの最大の理由として考えられるのは、
    英語圏の多くの国々ではいまだに戦争が続けられており、
    その哲学の原典を書いたクラウゼヴィッツを
    参照にしながら考える習慣が残っている、
    ということなのかもしれません。

    ただし、仮にそうだとしても、日本において
    クラウゼヴィッツがこれほどまでに活用されてこなかったのは
    この大著『戦争論』の"活用ポイント"を、
    的確に解説できた人が、
    あまりにも少なかったからではないですか?

    と、今回は敢えて提起してみます。

    -:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-

    さて、それでは、
    クラウゼヴィッツの『戦争論』に関する戦略議論において、
    英語圏と日本の大きな「格差」を表す実例を一つ挙げてみます。

     
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