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原武史氏:今だからこそ象徴天皇制について議論しておかなければならないこと
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原武史氏:今だからこそ象徴天皇制について議論しておかなければならないこと

2019-05-01 22:00
    マル激!メールマガジン 2019年5月1日号
    (発行者:ビデオニュース・ドットコム https://www.videonews.com/ )
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    マル激トーク・オン・ディマンド 第942回(2019年4月27日)
    今だからこそ象徴天皇制について議論しておかなければならないこと
    ゲスト:原武史氏(放送大学教授)
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     メディア的な言い方をすると、これが「平成最後のマル激」となる。
    巷では平成を振り返ったり、新しい御代を展望する番組や記事で溢れている。しかし、あまり見かけないのが、象徴天皇制の現状についての議論だ。
     このタイミングで譲位となったことの是非や、30年の平成の世に日本の象徴天皇制がどう定義づけられどう変化したか、皇位継承はこのままでいいのかなど、象徴天皇制をめぐる様々な議論が今こそ活発に交わされるべき時だと思うが、なぜかそうはなっていない。こと天皇の話となると決まってこうなってしまうのが、日本人の国民性なのだろうか。
     政治思想史が専門で天皇制に詳しい放送大学の原武史教授は、今上天皇が2016年8月8日のいわゆる「おことばビデオ」で退位の意向を表明した時、陛下から日本国民に向けて多くの球が投げられたとわれわれは考えるべきだと言う。われわれは一人ひとりがその球を受け止めた上で、その内容をしっかりと吟味し、議論し、何らかの形でその対応を決める必要があったが、政府の有識者会議を含め、そこでも日本中が思考停止に陥ってしまった。
     「陛下がそう言われているのだから、その通りにすべきだ」というのでは、象徴天皇制はおろか、戦前と何ら変わらないではないかと、原氏は指摘する。
     実は今上天皇はそのおことばビデオの中で、「象徴としてのお務め」を自ら定義している。象徴天皇制の日本にあって、憲法に定められた「象徴」の意味するところが具体的に言葉になったのは、恐らくこれが初めてのことだろう。
     陛下は象徴の役割を、「国民の安寧と幸せを祈ること」と「時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うこと」の2つだと明言した。前者は宮中祭祀を、後者は日本中を回る行幸や行幸啓を意味していると考えられている。そして、その2つが満足に果たせなくなる恐れがあるために、退位したいと申し出た形になっている。
     30年にわたり今上陛下が果たしてきた、自ら定義した象徴としての役割は、恐らく多くの国民の支持するところだろう。しかし、陛下がご高齢を理由に生前退位を申し出なければならないほど多忙に動き回らなければならない状態を作ってしまったのは、いったい誰だったのだろうか。国民はそれを陛下まかせにしておいて、単にありがたくその恩恵を受けているだけでよかったのだろうか。
     更に言うならば、世襲が憲法によって定められている天皇、ならびに皇族には、われわれ国民が享受している職業選択の自由や言論の自由といった、基本的な人権すらも保障されていない。にもかかわらず、政治利用されることを自ら抑止し、象徴としての自らの役割を定義するために、苛酷と言っても過言ではない公務のスケジュールをこなさなければならないような立場に置くことに、問題はないのだろうか。
     民主主義・主権在民の日本にあって、何が望ましい天皇制かを最終的に決めるのは言うまでもなく国民だ。国民にはその権利があると同時に、その義務も負っている。われわれがその議論をタブー視したり、それを避けてきたことで、結果的に天皇を始めとする皇族に多大な負荷がかかっていることも今回明らかになった。また、相変わらず皇室を政治利用しようとする勢力が根強く残っていることも直視する必要があるだろう。
     いずれにしても、5月1日から新天皇が即位し、新しい時代に入る。新しい御代を祝う一方で、平成が残した様々な宿題を今、議論せずに、いったいいつ議論するというのだろう。一番足りないのは、われわれ一人ひとりがもう少しこの問題を自分の問題として受け止め、考え、そして議論することではないか。平成の終わりに、象徴天皇制について様々な問題提起をしてきた原氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

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    今週の論点
    ・抽象的な「臣民」を「1対1」にミクロ化した、平成天皇
    ・天皇陛下からのボールを「スルー」したわれわれ
    ・根深くある、摂政になることに対する恐怖
    ・雅子妃に対するプレッシャーと、今後見ていくべきポイント
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    ■抽象的な「臣民」を「1対1」にミクロ化した、平成天皇

    神保: 本日は4月26日、世間で流行っている言い方をすると「平成最後の」マル激です。もっと言えば天皇の代替わりがあるということなので、天皇、もしくは天皇制についてきちんと議論したいと思います。これまでも天皇の人権問題から生前退位の問題など、あらゆることを取り上げてきたので、ある種の総まとめ的な回になると思いますが、宮台さんはどうお考えでしょうか。

    宮台: 日本会議的なものと言ってもいいのですが、特に天皇に関する政治利用がまたかなり進んでいます。そういうなかで、まだ今上天皇の側からのカウンターを当てる、政治的な意味を持つ振る舞いも存在しているという状況――これは明治以降でいっても前代未聞です。ですから、有り体に言えば天皇制、あるいは天皇陛下をどう僕たちが位置付けるべきなのかということです。そういう言い方は失礼かもしれないけれど、僕たちが何を望むべきなのか、ということを整理しておくべきです。 
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