マル激!メールマガジン 2023年8月16日号
(発行者:ビデオニュース・ドットコム https://www.videonews.com/ )
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マル激トーク・オン・ディマンド (第1166回)
なぜ日本人は土葬を捨てて火葬を選んだのか
ゲスト:高橋繁行氏(ルポライター、切り絵作家)
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 3年ぶりのコロナ明けとなった今年のお盆には、久しぶりに帰省してお墓参りをする人も多いのではないか。そこでお参りするお墓には当然、ご先祖様の火葬されたお骨が埋葬されているわけだが、そのようなお墓の形態が必ずしも日本の古くからの伝統ではないことはご存じだろうか。今のお墓は火葬を前提としているが、実は日本でもついこの間まで土葬が広く一般的に行われていた。土葬の場合、お墓の形態も自ずと変わってくる。
 今日の日本では、人が亡くなると火葬によって葬られるのが当たり前になっているが、実は、火葬がデフォルトになったのはつい最近のことだ。昭和初期までは日本でも土葬が主流だった。昭和に入り火葬が増え始め、1930年代に火葬の割合が50%を超えた。しかし、火葬が90%を超えたのは1970年代のことだ。つまり、ついこの間まで日本でも人が亡くなると、かなりの割合で土葬されていたのだ。
 2000年代に入ると土葬は日本からほぼ姿を消した。現在の日本の火葬率は99.97%。0.03%を占める土葬は2021年には年間462件まで減っている。しかも、そのうち374件を胎児が占めており、成人の土葬は年間88件にとどまる。
 戦後間もない1948年に「墓地、埋葬等に関する法律」が制定されたが、その法律でも火葬は義務付けられていないし、土葬は禁止されていない。しかし、地方自治体が環境や衛生などの理由から条例で土葬を制限しているところが増えたため、結果的に20世紀の終わりまでに日本では土葬はほぼ完全に消滅してしまった。
 それにしてもなぜ日本は土葬という慣習を捨て、急速に火葬にシフトしていったのだろうか。土葬から火葬へのシフトは近代化の象徴かというと、必ずしもそうではない。キリスト教国が多い欧米諸国のほとんどは、今も土葬が主流だ。実は日本の火葬率の99.97%というのは、仏教国としても異常に高い。例えば、仏教国で有名なタイでさえ火葬率は80%にとどまる。
 つまり、日本は近代化の過程で欧米に倣って火葬を推進してきたわけではなく、何らかの独自の理由で火葬を選び、その結果として世界でも類を見ない火葬大国となっていた。
 明治時代、神道を重んずる明治政府が一時期火葬を禁止したことがある。1873年、明治6年に出された太政官布告だった。その段階で日本は一時、すべて土葬になったわけだ。しかし、その布告はあまり評判がよくなかったのだろうか。明治政府は2年後には火葬禁止を解除している。さらに1897年には、コレラの世界的な流行を受けて制定された伝染病予防法の中で、伝染病の感染者には火葬が義務付けられた。これにより、火葬は衛生的で土葬は非衛生的というイメージが定着した。
実際に今でも日本では、伝染病予防法を引き継いだ感染症法によって、特定の感染症患者が亡くなった場合、速やかに火葬することが義務づけられている。
 長年日本の葬送を取材してきたルポライターの高橋繁行氏は、急速な火葬への転換の背景に、生活改善運動の影響があったと指摘する。60年代、火葬場での火葬が普及するのに合わせて、それまで各地で伝統的に行われていた「野焼き火葬」が消滅した。野焼き火葬というのは、薪木を井桁に組んで遺体を乗せて焼くというもの。これに対し、全国で婦人会などが生活改善運動を行い、野蛮なことはやめようという機運が高まったことで、野焼き火葬は消えていったという。
土葬も同じく生活改善運動の影響を受け、野焼き火葬から約10年ほど遅れてほぼ消滅している。政府が野焼き火葬や土葬を禁止しなくても、市民の運動によって葬送方法が変化していく現象は、日本特有のものではないかと高橋氏は言う。
 しかし、火葬が主流になっていったことにはもう一つ理由がある。それは、土葬にしろ野焼きにしろ、日本ではその地方固有の葬送の伝統があり、それが伝承されてきた。しかし、地域の共同体が完全に空洞化した今、伝統的な葬送を維持するための担い手もいなければ、その伝統を継承する人もいない。そのような状況の下では、地方固有の葬送を維持することは困難だ。日本人がきつねに騙されなくなった時期と土葬が消えた時期とは重なり合うと高橋氏は言う。
 しかも、多くの人手を必要とする土葬と比べ、すべてを火葬場に任せられる火葬の方がより簡単だし、遺体をそのまま棺に入れて埋葬する土葬と比べると、火葬してお骨にしてしまった方がお墓もずっと狭いスペースに収まるという利点がある。特に伝統へのこだわりがなければ、火葬の方が遙かに合理的な選択ということになるが、そう考えると近年、日本人にとって死者を弔うことの意味が随分と軽くなってしまったとの思いを禁じ得ない。
 特に日本人の弔いに対するこだわりのなさは、日本に住むイスラム教徒の人々との間で摩擦を起こしている。イスラム教はキリスト教やユダヤ教と同じく、身体の蘇りを信じる宗教のため、ムスリムの中には遺体を焼くことに強い抵抗を覚える人が多い。日本にもインドネシアやパキスタンなどのイスラム教国出身者が多く住んでいるが、日本には全国に10か所ほどしかムスリム用の土葬墓地がない。特に土葬墓地は関東に集中していて、東北や九州、四国には1つもない。
例えば、今、大分県の日出町というところでは、ムスリム用の土葬墓地を建設する計画が持ち上がったところ、地元住民の間で反対運動が起き、未だに決着をみていない。そこでの論争を聞くと、外国人や他宗教に対する先入観もさることながら、多くの住民が土葬というものが地下水の水質汚染まで引き起こしかねない、大変に問題のある埋葬方法だと思っていることがわかる。ついこの間まで当たり前のように土葬を行っていた日本人が、いつの間にか火葬以外は一切受け付けなくなっていた。
 高橋氏は、最近まで土葬が行われていた地域を取材する中で、土葬が持つある特徴に気づいたという。それは、遺体を洗い清める「湯灌」や棺に座った格好の遺体を入れる「入棺」など、土葬を行うためには人々が遺体に触れる機会がとても多くなることだった。また、その作業は葬儀屋ではなく身内に課されている場合が多い。そうして遺体と触れることによって死者を弔うのが、土葬の特徴なのだと高橋氏は言う。
 なぜ日本は土葬を捨てたのか、火葬にシフトする過程で日本人は何を捨てて何を選んだのかなどについて、ルポライターの高橋繁行氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

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今週の論点
・日本人の自己意識の変化と土葬の衰退
・仏式の葬式は94%、結婚式は0.5%というねじれ
・日本最後の土葬
・共同体の崩壊はわれわれの死生観をどう変えたか
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■ 日本人の自己意識の変化と土葬の衰退
神保: 今日は2023年8月11日の金曜日、1166回目のマル激です。今日はお盆企画ということで日本の葬送の仕方がテーマですが、8月は広島、長崎、ソ連参戦、敗戦、日航機墜落事故など歴史的な日が続きます。宮台さんはここのところどのように過ごしていますか。

宮台: 宮崎駿監督の最新作『君たちはどう生きるか』についてですが、これは非常に重大なメッセージを含んでいます。最も重要な点は、僕たちは見えるものが現実だと思っているけれど、本当は現実の大半が目に見えていません。それは何かといえば、科学の枠の中で言えば生態学的全体性ということになります。前提づけるものと前提づけられるものの非線形を含んだネットワークの全体です。森と同じようにそこには境界線はなく、部分と全体の区分がよく分かりません。

 つい昨日、BSでマヤ文明に関する番組がやっていて、それも生態学的な全体性に及ぶような世界観を宗教化しているわけです。もちろん僕らからしたらそれはただの思い込みのように見える要素も入っているのですが、われわれのように思いこみに過ぎない要素を廃した末、自分たちが現実だと思うものがあまりにも矮小でどうでも良いものになっているということに大きな問題があります。その果てが政府や経済界のでたらめだったりします。

 人間がまともであるためには、そういう生態学的な全体性に相当するような文脈による支えが必要です。その時、生まれる前や生まれた後といった、当座僕らが現実だと呼ぶものの中には含まれていないものへの想像力がなければ難しいです。

神保: 今日は葬送の仕方を論じますが、なぜイスラム教徒が土葬にこだわるのかという話も関係しますよね。どう生きるのかということは、死んだ後のことも考えるということです。

宮台: ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に共通する問題ですが、肉体を失うということは最後の審判の後の永遠の命がなくなるということを意味します。確かにそれは迷信だと言えるかもしれませんが、死後のあり方を絶えず意識しながら生きているということでもあり、それは立派な生き方をしようという動機になります。