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富崎隆氏:民主政の下では「政治のための金」と「金のための政治」を見分けなければならない
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富崎隆氏:民主政の下では「政治のための金」と「金のための政治」を見分けなければならない

2024-01-17 20:00
    マル激!メールマガジン 2024年1月17日号
    (発行者:ビデオニュース・ドットコム https://www.videonews.com/ )
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    マル激トーク・オン・ディマンド (第1188回)
    民主政の下では「政治のための金」と「金のための政治」を見分けなければならない
    ゲスト:富崎隆氏(駒澤大学法学部教授)
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     政治がこのまま自浄能力を発揮できなければ、結果的に日本の政治はますます小さくならざるをえない。しかし、それは主権者のわれわれにとって決して歓迎すべきことではないはずだ。
     パーティ券裏金スキャンダルによって政界が激しく揺さぶられている。既に現職の国会議員が逮捕され、司直の手はいよいよ安倍派の幹部クラスにまで及ぶとの見方も出てきている。
     しかし、その一方で、岸田首相の肝いりで政治改革のあり方を議論する目的で立ち上がった「政治刷新本部」は、少なくとも第1回会議では派閥解消をめぐる表面的な議論に終始するなど、何ら本質的な議論が交わされそうもない。日本の政治は完全に自浄能力を失ったかに見える。
     「政治と金」の問題は戦後一貫して日本の政治の大きな課題であり続けてきた。1948年の昭和電工事件を皮切りに造船疑獄、ロッキード事件、リクルート事件、佐川急便事件等々、日本の政治は定期的に疑獄事件を引き起こし、その度に東京地検特捜部の手によって数多の政治家たちが刑事訴追され、その政治生命に致命傷を負ったり、失脚させられてきた。そしてその度に政治資金規正法は「強化」されてきたはずだが、今日にいたっても政治と金の問題は一向に解消されていないことが、今まさに明らかになっている。
     民主政治における政治資金の役割などを専門に研究している駒澤大学法学部の富崎隆教授は、まずわれわれ主権者は政治にはある程度お金がかかることを理解する必要があると語る。政治家が独自に政策を立案しようと思えば、それ相応の能力を持ったスタッフが一定数必要になる。また、自身の政策を訴え広く国民から支持を受けるためには、例えばチラシを1枚作るにもお金が必要だ。民主主義にとって政治資金は不可欠なものであり、それが政治資金が「民主主義の血液」と呼ばれる所以でもある。
     しかし、その一方で、政治に金がかかり過ぎれば、資金力のある個人や団体の影響力が大きくなり、腐敗や汚職を生みやすくなる。また、一定以上の資金力がなければ政治家になれないようでは、政治への参入障壁が高まり、一部の富裕層しか政治に参加できなくなる恐れもある。
     つまり、お金は政治に不可欠なものではあるが、それが多過ぎても問題がある一方で、これを抑え込み過ぎれば、有権者によって選ばれた政治家の力が削がれ、相対的に官僚の力が大きくなる。それは民主政治の根幹に関わる。検察、警察、軍隊などの暴力装置を持つ政府を、公正な選挙によって有権者から選ばれた政治家がしっかりと統制することが、民主政治が正常に機能するための大前提となるからだ。
     では、政治資金はどのように管理されるべきなのか。富崎氏は何はともあれ、政治資金をガラス張りにして、誰が政治資金を提供しているのか、また政治家はそれを何のために使ったのかがすべて有権者に開示されなくてはならないと指摘する。
     金額の多寡やどの程度が適切な金額になるかなどの「量的制限」には議論の余地があるが、いずれにしても政治資金は完全に透明化されていなければならないというのだ。
     その意味で、現在の政治資金規正法はいかにも中途半端だ。部分的に金額への量的規制がある一方で、透明性という意味では、個人献金も企業献金も5万円以上の寄付者しか氏名は公表されないし、パーティ券にいたっては20万円まで非開示が認められている。しかも、政党交付金が導入される際に禁止されたはずの政治家個人に対する企業・団体からの献金も、政党に対しては1億円まで認められており、政党から政治家に対する寄付には何ら制限がない。また、パーティ券も事実上の企業・団体献金の抜け穴として広く利用されている。
     富崎氏は企業・団体献金も、出入りをガラス張りにするのであれば、禁止にすべきではないとの立場だが、ガラス張りとはほど遠い状態にある現行法の改正は早急に必要だと語る。
     富崎氏が考える政治資金規正法の改正は以下の3点に集約される。
     まずは議員の財布の一本化だ。現在、政治家は政党支部、資金管理団体、後援会という少なくとも3つの財布を持つことが許されており、しかし、後援会や個人の政治団体については無制限に持つことが認められている。財布が複数あることによって政治資金の流れが不明確になっていると富崎氏は指摘する。資金管理団体を1つに制限することはアメリカをはじめとする各国でも行われていることなので、何ら難しいことではないと富崎氏は言う。
     二つ目は、公開範囲の拡大・適正化、つまり資金の流れを有権者に対してガラス張りにすることだ。現行法では5万円以下の寄付者については氏名や住所の公開義務がないが、これを最低でも1万円以下にまで下げるべきだと富崎氏はいう。また、現在ネット公開されている政治資金収支報告書はPDF形式なため、データとして検索することができない。例えば、企業名で検索ができないため、ある企業が複数の政治家に総額でいくらの寄付をしたかを調べることが著しく困難なのだ。
     結果的に利用者は報告書や領収書を一枚一枚アナログ式に閲覧するしかない。要するにまったくデジタル化されていないのだ。閲覧者が使いにくいということは、要するにそれはガラス張りになっていないということだ。収支報告書の見やすい形でのデジタル化は、多くの先進国がとうの昔に実現していることであり、日本は先進国としては大きく遅れを取っている。
     そして三つ目は、中立的で独立した監査機関の設立だ。今回の裏金問題は赤旗のスクープ記事を元に神戸学院大学の上脇博之教授が派閥と企業の収支報告書を一つ一つ突き合わせるという膨大な手間と労力をかけて孤軍奮闘し、ようやく報告書の記載の不一致を見つけて刑事告発したことに端を発している。通常では政治資金収支報告書は総務省のチェックしか受けていない。これでは不正が蔓延るのも当然だ。
    政治資金を適正に管理するためには、政治資金の収支を日常的にチェックする中立性と独立性が担保された機関が不可欠だと富崎氏は言う。現在進行中の東京地検特捜部による刑事捜査に頼るのではなく、まずは公的な監視機構を設立し、その機関が収支報告書に不備がある場合は警告を出し、悪質な場合に限り行政訴訟によってその政治家の公民権停止の訴訟を起こすことができるような制度を作る必要があると富崎氏は言う。
     政治資金規正法はその第1条で、「政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われる」ことを目的とすると規定している。さらに第2条には、「政治資金の拠出に関する国民の自発的意思を抑制することのないよう」法律を運用すべきとも書かれている。政治にかかるお金自体を少なく抑えるべきなのか、それとも本当に良い政治をする人にはきちんとお金が集まり、それを政治活動や政策立案に使えるようにする仕組みを整えるべきかということは、主権者であるわれわれが政治に何を望むかということに関わる重要な問題だ。
    少なくとも政治と金の問題を解決するために特捜検察に介入してもらい、悪いことをした政治家を懲らしめてもらうことで有権者が溜飲を下げるという現在の構図は、決して民主政治の健全な姿ではない。
     政治のためのカネとカネのための政治をいかに見分けるか。政治資金の透明化のためには何が必要で、なぜそれができないのか、われわれはどんな政治を望んでいるのかなどについて、駒澤大学法学部教授の富崎隆氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

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    今週の論点
    ・政治資金は民主主義の血液
    ・企業・団体献金をどうすべきか
    ・政治資金の流れをガラス張りにするために必要なこと
    ・われわれはどんな政治を望むのか-政治のための金と金のための政治
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    ■ 政治資金は民主主義の血液
    神保: 今日は2024年1月11日、1188回目のマル激となります。これが新年最初の番組です。今日のテーマは政治とカネですが、世の中で言われている政治とカネの問題とは少し違うアングルになるかもしれません。

    宮台: 政治とカネについては過去20年同じことを話し続けています。政治家にカネを使いづらくさせれば良いだろうと多くの人は考えますが、基本的にプラットフォームを変えたい政治家となんとしてもそれを死守したい行政官僚との戦いにおいて政治家の力が奪われてはいけません。政治家の力が奪われてしまうと結局、統治のイニシアチブを行政官僚が握ってしまうということになるので、選挙活動に宣伝や動員を巡るお金がかかることは当たり前です。

    神保: 選挙活動だけではなく政策立案にも人を雇う必要があるのでお金がかかりますよね。

    宮台: 集合知を形成するためにはどうしてもお金がかかり、お金をかけない方法は一つもありません。したがって政治家から集合知を形成する力を奪うと、民主政とは関係がないような行政官僚が統治することになってしまいます。それを意識しないのは甘い、ということです。政治家がプラットフォームを変えようとする時に行政官僚がコントロールできるようになってしまえば、日本の経済的な失墜やそれに関連する文化的、社会的空洞を埋めることはできません。それなのに水戸黄門的な岡っ引きで溜飲を下げている場合ではありません。

    神保: メディアが行政官僚にくっついてしまっているので、どうしても今の文脈からすれば検察を応援してしまいます。実際に裏金問題は戒めなければなりませんが、逆になぜ裏金に頼らなければならなくなっているのかを考える必要があります。今の政治資金規正法や公職選挙法は抜本的に変える必要がありますが、その理由は政治家を弱めるためではないということは重要ですよね。

     ゲストは駒沢大学法学部教授の富崎隆さんです。富崎さんとは13年前にも同じようなテーマで話しましたが、専門家からすると、なぜ僕たちはまた同じようなテーマをやっているのだとお考えですか。 
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