会社員生活のかたわら日曜ジャーナリスト/文藝評論家として活動する大見崇晴さんが、日々の読書からの随想をディープに綴っていく日記連載「読書のつづき」。
八月に訃報の流れた内海桂子師匠の入院に始まり、平田オリザやきゃりーぱみゅぱみゅのネット炎上にまつわる洞察、橋本治の足跡への憧憬、そして検察庁法改正問題が喚起する木堂犬養毅の血脈への随想まで、現代と昭和史を往還しながら令和の不穏への警笛が鳴らされます。
大見崇晴 読書のつづき
[二〇二〇年五月第二〜五週] 悪い夢を見ているようだ
五月七日
内海桂子[1]さんが今年の一月から歩行困難で入院したとの報道が出た。舞台に出られるように回復されることを祈る。千葉では三越があったころ、毎年正月に師匠のイベントが催されていたものだ。その場で誰よりも大声で喋るから、いつも活況だった。九十七歳の師匠が元気であれば、われわれも心強い。
外国の事情に疎い本邦でもバンクシー[2]の名前は徐々に浸透しつつある。六本木ヒルズでイベントが開催されるほどだ。そのうちにバンクシー音頭でも無断で制作されるのではないか。そういう火事場泥棒的な面が日本にはある。
インターネット上で「カシオミニ」というワードがバズっていたので、何があったかと思ったが、コロナ中の連休向けに白泉社が『動物のお医者さん』[3]を無料公開していたらしい。わたしは「カシオミニ」よりも「おれはやるぜ」の印象が強く記憶に残っているが、なんにせよ、そうしたフレーズが集団で思い出されるように、このマンガは名作である。今後も読まれてほしい。
高見順の年譜を確認していたら、荷風が市川に引っ越した前後で、高見順も稲毛に引っ越していた。微妙に近い地域に住んでいて、この二人の作家は付かず離れずだったようだ。
「山田ルイ53世のルネッサンスラジオ」[4]が放送六百回記念ということで、文化放送で特番となった(普段はポッドキャストでないと聴くことができない)。本番組のヘヴィーリスナーとして知られる東野幸治がゲスト出演していた。東野氏曰く「まぼろしラジオ」[5]の原型は「ルネラジ」にあるらしい。そこに驚いたが、ヘヴィーリスナーならではの反応で、構成作家ウノT氏について触れ、松原うどん氏についても語るというディープさだった。たしか、わたしは松原うどん氏の名刺を持っているはずだが、そんな関心を持っているのは檀家(ルネラジリスナーのこと)ぐらいのもので、ヘヴィーリスナーには楽しい放送だったが、これは果たして地上波で流す放送だったかどうか。「ラストメッセージ」のコーナーも、もっと常連以外にも愉しみやすい単体で成立するものがよかったのではないか。
ヤフオクで落札した橋本治『武器よさらば』を読んでいるが、この本はとびきりに奇妙な本だ。固有名詞がたくさん伏せ字になっているのだが、なぜそのような私信を書籍化しようと思ったかは、わたしなんかにはわからない。そして困ったことに、わたしは伏せ字の内容を手にとるようにわかってしまうのだ。新人類だニューアカだなんだと世間が浮かれていた八〇年代の日本で、橋本治はこんなにも醒めきって世の中を見ていたのかと驚くし、左右関係なく権威ある出版社と仕事をすることに距離を置こうと自らに誓っていたことにも驚かされた。いつか橋本治の全集が編まれる日があるかもしれないが、そのときには使い走りでもよいから手伝いたいと、改めて感じた。
そろそろ寝るかと思っていたところに岡本行夫[6]氏急逝の報。新型コロナに感染してとのこと。あまりのことに喪失感が大きい。まだ、この国の将来を指し示してほしかった。
[1]内海桂子 一九二二年生(とされる)、二〇二〇年八月二二日死去。日本の喜劇人。内海好江とのコンビで人気を博す。学長を務めていた今村昌平とのつながりから横浜放送映画専門学院(現:日本映画大学)で講師を務める。講師時代にウッチャンナンチャンを見出し、自身の所属事務所であったマセキ芸能社を紹介する。内海好江が一九九七年に胃癌で死去。以後も漫才協会会長(のちに名誉会長)として活躍。ナイツを弟子に迎え、彼らにモノマネや近況エピソードを語られることなどで、再度脚光を浴びる。Twitterアカウントを開設し、活発な投稿があったことから若年層からも注目された。都度、時代に適合しながら自分を変えず、昭和・平成・令和と活躍を果たした。[2]バンクシー 生年月日不明のアーティスト。二〇〇一年頃から壁にペイントした作品などが見つかりだす。二〇〇五年にヨルダンで作品が見つかり話題を呼ぶ。二〇一〇年にバンクシーを追った映画「イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ」が発表される。二〇二〇年日本でバンクシー展が開催される。
[3]『動物のお医者さん』 佐々木倫子が一九八七年から一九九三年に雑誌「花とゆめ」に連載したマンガ。北海道で獣医師を目指す青年たちを主人公にしている。主人公公輝が飼っている犬種シベリアンハスキーが大いに人気を博すきっかけとなった。テレビドラマ化された際には、主人公の祖母・タカ役に岸田今日子、恩師である教授・漆原には江守徹が配役されるなど、原作のイメージを壊さないキャスティングが好評となった。
[4]「山田ルイ53世のルネッサンスラジオ」 通称「ルネラジ」。二〇〇八年に放送を開始し、現在は主にポッドキャストによる配信が主となりながら六〇〇回を突破した。文化放送制作の番組であるが、文化放送で放送されることはあまりない。二〇〇九年のナイターオフの時期には土曜日のゴールデンタイムに放送をしていたが、先輩番組にあたる「アニスパ」のパーソナリティ浅野真澄・鷲崎健をゲストに迎えた際に、放送枠が何度か変わったことを伝えると、局から期待されていないとアドバイスをされたが、そのとおり以後流浪の番組と化す。文化放送で制作しながら文化放送で放送されないポッドキャスト番組であり、制作に関わった関係者も他局に移籍するなど、苦難に満ちた放送を続ける。それでも縋り付くように聞き続けたリスナーは、髭男爵山田ルイ53世の熱心な信奉者であることから「檀家」と呼ばれるようになった。スカパーの広告枠を取り付けるなどして、以後もゲリラ的な放送をしていたが、一発屋芸人ならではの過酷なロケや悲惨な営業をぼやいていたが、それを「新潮45」の編集者が聞きつけて日本ジャーナリスト大賞に輝く「一発屋芸人列伝」の連載へと繋がった。なお、「一発屋芸人列伝」連載時の編集者らは新潮社を退社しており、それが一層とこの番組の印象を禍々しいものとしている。神州纐纈城のごとく、地下にて生き血を啜り命脈を保つ。
[5]「まぼろしラジオ」 二〇二〇年二月二三日に東野幸治がラジオを放送したいという衝動に駆られて放送を開始したYoutube番組。「檀家」リスナーでは周知されていたことだが、数少ない芸能人での「ルネラジ」リスナーである東野幸治が、「ルネラジ」のフォーマットを参考にしながら放送したことが驚かれた。
[6]岡本行夫 一九四五年生、二〇二〇年没。日本の外交官、実業家。東西冷戦が終わり、新世界秩序が叫ばれた時代に、日本を代表する外交官として活動。インターネットなど新時代の技術を用いた産業を目の当たりにしたこともあり、インターネットビジネスを日本で普及させるにあたって助力した。『岡本行夫 現場主義を貫いた外交官 90年代の証言』に詳しい。
五月八日
亡くなった岡本行夫氏のことは、五百旗頭真先生がオーラルヒストリーを担当した『岡本行夫 現場主義を貫いた外交官』が面白かった。ああいう本はもっと読まれてもよいと思う。
平田オリザ[7]氏のTwitterでの振る舞いや発言が話題になっていた。批判があるのも納得する内容である。実際、現在の製造業のことを知らないで平田氏は呟いてしまったのだと思う。氏のそばにいるひとはさっさとアカウントを取り上げるべきだと思う。
「布製マスクの都道府県別全戸配布状況」という厚生労働省のWebページを眺めてみたが、中小企業の新入社員がコピペで作ったような代物で、この国の将来を本格的に憂えてしまうものだった。官僚機構は誰の目にも明らかなほどボロボロになっている。
PLANETS初期からのメンバー(という書き方はをするのは、いくらなんでも「同人」という言葉は古めかしいからなのだが)、藤谷千明さんが、十代を装ったアカウントを用いて、人気アーティストの名前を悪用している副業マルチアカウントを追跡した記事を書いているが、これが滅法矢鱈と面白かった。ぜひ多くの人に読んでもらいたい。
TBSラジオのCMに、過去の番組放送をリミックスしたものが使われているのだが、わたしはこれがとても好きだ。が、今日になって驚いたのは、このリミックスがRAM RIDER[8]氏の手によるものだったからだ。RAM RIDER氏というと、勝手ながら、わたしにとっては文化放送の印象なのである。きっと、多くの人にとってはなんで文化放送なのだ?と思うかもしれないが、そんなことは知ったことではない。折を見ては「ポアロのあと何分あるの?」に出演して、ポアロの楽曲をミックスしてきたRAM RIDER氏を知っているものとしては、ポアロの二人が多く出演している文化放送の印象が強いのだ。それでもって、水道橋博士のメルマガに連載を持っていることを含めて、高円寺的なひとという印象である。Skypeが登場するか否かぐらいからネットラジオや配信を見ていた──つまりニコニコ動画やYouTube以前である──世代からのリスナーにとっては、RAM RIDERというのは、あのRAM RIDERなのである。
ふと気づいてしまったのだが、みずほ銀行の元頭取がNHK会長に就いた翌年に渋沢栄一を主人公にした大河ドラマを放送するというのは、問題が生じないのだろうか。いや、放送を決定したのは元頭取がNHK会長に就任する前だから問題はないのだが、放送内容について不要な介入がなければよいのだが、と心配をしてしまうのである。わたしのようにNHKに料金をきちんと払っていた人間としては、私企業との利益相反なく、クリエーターが誇りをもって仕事に迎える環境を作っていただきたいな、とNHK会長に対して望むのみなのである。