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記事 13件
  • 読書のつづき [二〇二〇年十二月]年の終り|大見崇晴

    2021-05-26 07:00  
    550pt


    会社員生活のかたわら日曜ジャーナリスト/文藝評論家として活動する大見崇晴さんが、日々の読書からの随想をディープに綴っていく日記連載「読書のつづき」。世界が翻弄された一年も淡々と暮れてゆく二〇二〇年十二月。ひたすら残念感ばかりが伝えられる菅政権まわりの仕様も無さに嘆息する一方で、小松政夫、なかにし礼、林家こん平ら昭和の芸事師たちの物故を寂しく偲ぶ年の終り。正宗白鳥や橋本治、ピーター・ウィンチら十冊には絞れなかった年間ベストの読書を振り返りながら、歌うたいの地金が値踏みされる無観客の紅白で行く年を見送ります。

    大見崇晴 読書のつづき[二〇二〇年十二月]年の終り
    十二月三日(木)
     菅政権の内閣参与がNHKのEテレ廃止を提言しているとのこと。この政権は教育を何だと思っているのか。呆れて物も言えない。それどころか、周波数帯を削減して何を実現するのか。BSCSといったデジタル放送は日本を含め世界的に求められていない。スポーツの放送ならDAZN、それ以外の映像コンテンツはNetflixやDisney+などインターネット配信が活況である。いまごろデジタル放送にこだわるような内閣参与がいる政権だと考えると、これから支持というのは下がり続けるだろう。どれだけトレンドに遅れているのだ。どうせ、NHKから国民を守る党が世間で話題になっているから、その調子で商材に使えると踏んだのだろう。浅はかにもほどがあるが、これがいまの政府の中枢を締めているのだから、愕然とせざるを得ない。
    十二月四日(金)
     大村愛知県知事へのリコール運動、その署名が「知事リコール署名に不正疑惑…「同一人物が複数書いた疑い」 住所に向かうと「書いていない」の声も」という記事が出てきている。これが事実であれば、運動に参加していた河村名古屋市長、高須克弥氏、その彼をマンガに描いていた西原理恵子氏にはちゃんと責任を負ってほしい。茶化して笑いにするのだけは勘弁してほしい。そういう子供じみたことを大人がするから、政治が停滞しているのだ。
    十二月五日(土)
     アメリカでは生活保護もなく、餓死しているひとが増えているとの報。
    十二月六日(日)
     「憲政の神様」咢堂尾崎行雄の洋館解体を回避させたのが山下和美先生だと知って、大いに驚くと同時に納得をする。山下和美先生のマンガは『摩天楼のバーディー』から読み始め、『天才 柳沢教授の生活』を愛読していたが、『数寄です! 』ではそれまでと打って変わってのエッセイコミックで、これが山下先生ご自身が終の棲家を数寄屋建築にするため建築家に相談して実現に取り組むというもので、題材自体が奇天烈かつ常識人である山下先生に突拍子もない決断を導くのが数奇な運命で、愉しく読んでいた。この連載(というか建築)を通じて山下先生は建築業界全般に明るくなっていたので、支援運動を踏み切りやすかったのだろう(それでも大変には間違いない)。
     もとは少女マンガを執筆していたが、青年マンガに転向して成功を収めた山下先生は、そのコマの割り方が驚くほど理知的で、『BOY』に収録された短編だったと思うが、そのアクションシーンには関心させられたことがある。また、山下先生は後進のマンガ家さんへの視線が温かいと私は思っており、海野つなみ先生の『逃げるは恥だが役に立つ』が講談社漫画賞を受賞したときの講評が、とても慈愛に満ちたものだったように記憶している。
    十二月七日(月)
     ポリティカル・コレクトネスを主張するひとたちを批判するために、文化大革命やポル・ポトを持ち出しているひとたちがいるのをネット上で見掛けて、このひとたちがどれだけ文化大革命について知っているだろうと呆れてしまった。たとえば、岩波現代文庫で出ている『文化大革命十年史』、扶桑社から出ていた『毛沢東秘録』、文春文庫で出ている『周恩来秘録』などはちゃんと目を通したのだろうか。文化大革命というのはイデオロギー的な闘争という面よりも、「大躍進」で失脚した毛沢東が権力を奪還するために若者(紅衛兵)を利用した政治闘争だったというのが今日では一般的な理解であるように思うが、そのような最低限の知識を本当に持ち合わせているのだろうか。いるのであれば、ポリティカル・コレクトネスを用いて政治闘争で打ち勝とうとする首領の名前ぐらいは挙げてほしいが、そんな芸当はできないだろう。「なんだかわからないが、共産主義に結びつけて批判すれば、相手を黙らせることができる」程度の動物的反射で口にしているのだろうから、そうした風潮に乗るというのは、これぞわかりやすい日本の反知性主義だとは思う。こういう発言をするひとは、地雷を踏んでいって周囲を巻き込むので、できれば身近にいてほしくない。
    十二月八日(火)
     汚職が報じられていた西川公也元農水大臣が内閣官房参与を辞任。
     ユニバーサル・ミュージックが、ボブ・ディランの版権を買い取ったとのこと。気づいてみれば、ユニバーサル・ミュージックはアメリカ企業ではなくフランスの企業になっていた。ノーベル文学賞授賞者の作品を管理するのが、文学の国フランスの企業だと考えると、なんだか納得をしてしまう。調べてみると、配信ビジネスがマネタイズできるようになったこともあり、近年ミュージシャンが版権を売ることが増えているらしい。
    十二月九日(水)
     高山《学魔》宏の翻訳となる『ガリヴァー旅行記』が刊行されるとの報。予定にはあったが、出ないままで終わるのではないかと思っていた。積ん読が多いから読む時間が取れるかわからないけれど、人に薦めたくなる本だ。
     「CREA」が季刊誌になるとのこと。
     サントリー文化財団から『別冊アステイオン それぞれの山崎正和』が出版されるとのこと。「日本のダニエル・ベル」山崎正和氏の仕事は振り返るに値すると思っている。私の世代は彼の多面的な仕事を軽視している気がする。
    十二月一〇日(木)
     読売新聞が今週、あえての自民党派閥特集を組んでいたので、これを味読させていただいた。読み甲斐がある記事というのは、こういうものだな。
     NHKで放送されていた「浦沢直樹の漫勉neo」、今日はチェーザレ・ボルジアをマンガ化している惣領冬実先生の特集。惣領冬実先生の少女マンガは多く読んでいる私としては、小学館で「上がり」になりかかっていたころに連載していたマンガのスピンアウトものとして『天然の娘さん』を描いていたのだが、これがとても面白かったのだ。小学館は単行本にして六巻ぐらいのラブコメを描くようにマンガ家に連載を任せる傾向があるのだが、惣領冬実先生は破綻なく達成したあと、その脇役たちの人生が戦中・戦後の女性の自立に関わるものだったと三代記を描き出してしまうのである。こんなものを描いたら、ラブコメに戻れなくなってしまう。次に何を描くのだろうと思ったら、講談社に移籍をして『MARS』という大時代、古めかしい大ロマンみたいな少女マンガを描かれたので大変に驚いた。
     その『MARS』のあとに、先生は何を描くのだろうと思ったら、どんどん大ロマンを追求していって、チェーザレ・ボルジアである。しかも「漫勉」によると、他にも描きたい大ロマンがあるという。読者としては嬉しい限りである。
    十二月一一日(金)
     小松政夫さん死去。近年、NHKが自伝をドラマ化するなどして、もしやという気がしていたが、ご本人が出演している場面ではお元気そうだったので油断をしていた。ショックが大きい。伊東四朗さんと刑事ドラマで共演したとき、犯人役を見事に演じていて、ちっとも演技が鈍っているようには見えなかった。闘病しながらの出演だったようで、どれだけ気を張ってカメラに向き合ってこられたのだろう。
    十二月一二日(土)
     第一作が出た頃から愛読している友田とんさんが、NHK総合でも名前が呼ばれたというので、喜ばしい。
    十二月一三日(日)
     iPhoneを不如意で落下させたところ、カメラが壊れてしまった。このCOVID-19の感染拡大と、五輪開催にまごつく政府のダブルパンチで、第五世代用のアンテナ設置や周波数帯の普及は来年の下半期から、ようやく本格的になるだろう。そう考えると、いまiPhoneを買い替えてもメリットはなさそうだから、当分は故障したまま使い続けるのがベターだろう。カメラが使えないのは難儀だが。やれやれ。
     和田アキ子はなぜBIG3のことを「たけちゃん、さんまちゃん、タモちゃん」と「ちゃん付け」で呼ぶのに、所ジョージについては「所っち」と呼ぶのだろう。謎である。
    十二月一四日(月)
     北海道でCOVID-19の感染が拡大。また、神奈川で軽症と診断された患者の死亡が報道されている。これでもって、ちかぢか緊急事態宣言を発出することになるだろう。
     読売新聞の各国でのデジタル規制法案特集が面白い。
     紀平英作『ニュースクール』を読み直し。
     「元TBSアナ・久保田智子さん、復職と特別養子縁組で母になったことを報告」というニュースがあって熟読した。女性に限らず大学に戻ったのちの復職、また養子を受け入れることなどは、少子化の日本ではこれから注目せざるを得ない。他人事ではないのである。
     ジョン・ル・カレの死去のニュースを聴いて、何か本を買おうかと思う。バカン、アンブラー、モーム、グレアム・グリーン、リテルと大抵のスパイ物作家の小説を一作は読んでいるのに、ジョン・ル・カレだけ一冊も読んでないのである(明らかに少数派だと思うが)。
     帰宅後、「THE W」を見る。Aマッソのネタは、奇を衒いすぎではないだろうか。感心はするのだが、笑いに繋がるかと言うと、遠回りしている気がする。吉住が面白かったので、そのまま優勝してほっとした。
    十二月一五日(火)
     スヌープ・ドギー・ドッグがコロナビールと巨額契約との報に大笑いしてしまう。このひとは大麻やジンや依存性が高い(彼が住む国では)合法の奢侈物のスポークスマンじみてきている。いやスポークスマンというよりは、それらにバッチリはまっているひとというか。
    十二月一六日(水)
     地頭力という単語を見かけるたびに「じとうりょく」と読んでしまう。「泣く子と地頭には勝てぬ」の、あの地頭である。
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  • 読書のつづき [二〇二〇年十一月]時代は変わる|大見崇晴

    2021-04-24 13:00  
    550pt

    ※去る4/22配信の記事に誤りがありましたため、修正して再配信いたします。著者・読者の皆様にご迷惑をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます。

    会社員生活のかたわら日曜ジャーナリスト/文藝評論家として活動する大見崇晴さんが、日々の読書からの随想をディープに綴っていく日記連載「読書のつづき」。混迷を極めたアメリカ大統領選挙のニュースを、世界が固唾を呑んで見守った二〇二〇年十一月。オルタナ右翼やQアノンなど、ネット社会の負の側面をこれでもかというほどに助長したトランプ現象の背後には何があったのか、アメリカの政党政治史や現代哲学の思弁的実在論ブームなどの本をひもときながら、読書家としての考察を繰り広げます。

    大見崇晴 読書のつづき[二〇二〇年十一月]時代は変わる
    十一月一日(日)
     文化の日がまもなくである。そんなことを思っているうちにアメリカ大統領選挙である。よりにもよって(?)明治節にぶつかる日が今回のアメリカ大統領選挙の投票日である。バイデンが圧勝するという報道がなされたのが夏頃のことだったが、気づけば接戦の雰囲気がある。けれど、『シグナル・アンド・ノイズ』で有名な統計学者のネイト・シルバーが運営する「ファイブサーティーエイト」だと、従来共和党が強い選挙区や、前回トランプが奪い取ったラストベルト(五大湖付近の工業地帯)もバイデン支持の格好だ。これでも競ってくるのだから驚く。トランプはラストベルトを確保しようと遊説を繰り返しているが、これに付き従っているひとたちはCOVID-19の感染を広めるのではないか。そういったことが気がかりである。トランプの支持者はマスクすらしていないひとたちなのだから。
    十一月二日(月)
     そろそろ投票日間近である。そわそわするが、よく考えたらわたしが投票するわけでもない。わたしの国でもない。それでも興奮するというのが選挙の醍醐味という気もするが、さすがに前のめりすぎるだろう。
     とはいえ、わたし自身はトランプの敗戦を望んでいる。というのも、トランプだとGAFAの取締りは中途半端になってしまうと懸念をしているからだ。GAFAというのは、新しい独占様式を確立してしまったと、わたしは考えている。公正な競争というのが行われないのはよくない。YouTubeを見ると、アメリカは一層過激だが、日本ですらトランプに関連する陰謀論(いわゆるQアノン)を商材としたYouTuberがいる。彼らは収益を得ているが、その収益というのがデマだろうがなんだろうがページビューを確保して広告塔としての価値を見せつけようとする企業から支払われる広告料である。悪貨は良貨を駆逐するではないが、事実を軽視した情報が流れていく。その情報に踊らされるひとがいる。その踊ったひとのCookieなどを用いて広告が表示される。そうした広告や情報によって「検索したワードに最適化された」状態に囲われていくひとがいる。主義主張が異なるのはまだしも、客観的な事実すらも歪めた情報を商材として消費させられるひとたちがいる。これはどう考えてもいびつだ。このいびつさはアメリカの通信品位法230条が原因である。ユーザーの投稿によってコンテンツ制作のコストを極限まで下げたプラットフォーム(TwitterやFacebook)に、ユーザーが名誉毀損や事実を曲げた情報を記載しても、その責任の一切をプラットフォームが負わない。
     この場合SNSなどのプラットフォームは言論の自由を重視して責任を負わないできた。この場合の自由とは「思想の自由市場」というものに由来するものである。「思想の自由市場」とは、信教の自由に関してミルトンが説き、J・S・ミルが検討し広めたものだ。しかし、現状は健全な市場となっていないと言えよう。思想の売り買いの市場の場となるインターネット上のプラットフォームにとって、取引が多ければ多いほど、既存のプラットフォーム(新聞、テレビなどなど)よりも取引が活発であることから、コンテンツプロバイダーして魅力的となるためである。コンテンツプロバイダーの競争において、取引(情報の発信)量だけの競争となったとき、インターネット上のプラットフォームの圧倒的な優位がここに生まれる。しかし、取引量を活発にするために、そこで流通する商品(思想)の質が問われていない。ミルが考えていたのは、そうした市場ではない。既存の考えを乗り越えるものは打ち出されなくてはいけないが、それに説得力がなければ既存の考えを補強するものとして機能する。そのような思想のやりとりをミルは想定していた。
     だが、自由市場を形成することによって商品の質が維持ないし向上されるという期待はすでにして裏切られている(そうでなければ、どうしてトランプが繰り返した数々のデタラメがTwitterを介して流通しただろう)。というか、フィルターバブルやエコーチェンバー効果といった自分の考えを補強するものを追い求め、そして実際に見つけてしまうインターネットの検索性が現代の問題である。個々人の視野には自分に都合の悪い情報が入らないように技術的に最適化されるのであるが、これは「思想の自由市場」なるものが成立していない(少なくとも個々人は特定の思想しか供給されない不自由な市場に囲い込まれている)。
     こうなると、SNSは単なる思想の市場ではなく、特定傾向の思想を発信するコンテンツプロバイダーとしての側面を持ってしまう(が、顧客である個々人に最適化しているという建前で身構えている)わけで、新聞テレビといった旧メディア同様に発信情報に対して責任を持たすという枷をかける必要があるだろう。SNSは「思想の自由市場」の名のもとに個々人ごとに手に取りやすい思想という商品を売ることができるために、広告料を受益するという「やらずぶったくり」をしているわけである。トランプ以前からあった傾向が、トランプによって先鋭化したのだから、レイドバックしてGAFAのしかるべき分割ないし制約を課す観点からいっても、トランプ以外のアメリカの政権を期待する理由である。
    十一月三日(火)
     旗日である。明治節である。例年であれば、この時期が文学フリマだった気がする。今年の文学フリマは十一月二十二日の開催である。
     ラジオを聴いていたらTBSラジオの「たまむすび」で町山智浩氏がバイデンが圧勝かと思っていたがトランプの猛追がすごいと盛り上がっている。何もそんなに盛り上がらなくとも、と思うぐらいに盛り上がっている。氏はアメリカに在住しているのだから盛り上がって当然なのだが、それにしたって、というかんじである。曰く、アメリカは全国的に都市部と過疎地域で投票傾向が二分しているそうだ。都市部はバイデン、過疎地域はトランプを支持しているそうだ。
    十一月四日(水)
     ついにアメリカ大統領選挙の開票だが、当初の想定どおりバイデンがカリフォルニアを制したことでリードしているように見える。それでもトランプがじりじりと追い上げている。と思ったら夕刻ぐらいになったらトランプがリードしていた。これでもうバイデンに目がないと思ったら、「ファイブサーティーエイト」など各所がバイデン優勢は変わらないと報じている。どうやら郵便投票が未開票で、この大量の郵便投票のほとんどがバイデンだというのだ。バイデン支持者はCOVID-19を恐れて投票場に赴かず、郵便投票がほとんどなんだそうだ。それでも木村太郎は予想通りにトランプが勝つだろうと意気軒昂で、デーブ・スペクター(わたしは彼が共和党支持者だと思っていた)が沈んだ顔をしていた。デーブ・スペクターが真面目なことや沈んだ顔をするというのは、相当な世界的な危機以外にないので、これは大変なことになってしまったなと、今更に顔をしかめてしまった。
    十一月五日(木)
     なんだか気づいたらバイデンが辛くも勝利したようだ。「ファイブサーティーエイト」とFOXニュースが、バイデン勝利の報を伝えている。どうしてかと思ったら、アリゾナ州をバイデンが勝利していた。ここの票数を勝利の前提にしていたトランプはもはや勝ち目がないというのだ。たしかに開票作業が終了していない州の票数を手計算してみると、トランプが勝つ条件は厳しいものがある。現時点でバイデンが取りそうな票は以下の通りである。これに十五票を積み増せば勝利である。そこまで票数を伸ばせる州がバイデンにはある。トランプにはない。

    ネバダ    :6 アリゾナ   :11 ウィスコンシン:10 メイン    :4      合計:31

     トランプは敗戦の弁を述べてはいないが、圧勝の弁を述べていない。そのこと自体が彼が敗戦した証である。
    十一月九日(月)
     諸々。なにかと事が片付かない。日記を書く余裕もない。淡々と日々をすごしていきたい。
     シェーファーのフラットヘッドの万年筆を手に入れた。当分はこれを使っていきたい。新宿のキングダムノートまで足を運んでパイロットの竹林(深緑色)を注文。肩こりがひどいのでアスピリンを服用。「この恋あたためますか」(このドラマの森七菜は百ワットの笑顔でとてもいい)を先週見逃しているので、なんとかして今日中にTVerでおっかけ視聴をせねば。
     これを機に少しはアメリカの政治状況というのを知ったほうがいいかと思って、岡山裕『アメリカの政党政治』(中公新書)を買う。建国から現代に至るまで、二大政党制が確立して、それが何度かの変貌を遂げたことが記されていて、大変ためになった。宇佐美滋『アメリカ大統領を読む事典』をむかし読んでいたから、ジャクソニアン・デモクラシー、南北戦争、ニュー・ディール、偉大な社会と党勢が大きく変わった現象や政策を知ってはいたが、大統領中心ではなく政党を軸に見てみるとこうも景色が変わるのか。
     メディアを眺めてみると、ようやく「ローリング・ストーン」が民主党候補が勝利とご陽気な調子で報じていた。少しぐらいは前向きな報道があってもよいだろう。
     久しぶりに笙野頼子の小説を読んでみたが、こんなにも袋小路にはいったような、ハイコンテクストな小説だったろうかと戸惑ってしまった。彼女が小説を執筆するにあたって読んでいた小説家たち(筒井康隆などなど)を知らないと楽しめない部分が増えているのではないか。そうして、そうなってしまった彼女の小説は引用や借用の過剰さから、「なにもしてない」ようなものから、極めて社交的な小説へと変貌しているのではないか。それは本人の意に反しての結果かもしれないが。
     日記に以前ボーン・アゲイン・クリスチャンのことを書いたばっかりに、福音派などなどを調べなくてはいけなくなった。うろ覚えでものを書くのも考えものだ。
     イオンでヒアルロン酸が入った保湿液が大きなボトルで売られている。案外に安いのでこれを買って乾燥しやすい箇所を塗りたくる。これで毎年乾燥性湿疹に苦しめられそうな状況から脱せられるか。
     帰宅。トム・ウルフ『そしてみんな軽くなった トム・ウルフの一九七〇年代革命講座』が届いていた。やはりいい本だ。しかし、学生時代に読んでいたときは気づかなかったが、この書籍タイトルは、つかこうへいのパロディであったのか(元は『初級革命講座飛龍伝』である)。七〇年代のシラケを表現しているという意味では共通したものがあるから、納得である。
     オタクがフェミニズムが云々オタクカルチャーはという具体的な資料や事実を明かさない妄言が流れてきて、呆れる。
    十一月十日(火)
     『はじめてのジョナサン・エドワーズ』が届く。漫画がおどろおどろしい。それにしても十一月も三分の一が終了してしまった。月日が流れるのは早い。この分だと、あっという間に年越しだ。まあ、疲労なく一日を過ごしていければ、それで良し。
     2ちゃんねるの管理人だったひろゆきが、いまさらになってバイデンとトランプについて話題として取り上げているという。しかし、デマの温床であった2ちゃんねるを運営し、その手法が4chanなど海外にまで伝播させた人物が何を語るのだろう。これから黒歴史として2ちゃんねるは国際的にも語られ論じられ、否定的な評価を受けるのだとは思うが。むしろ何故ここまで能天気にやっていたのかが、ちょっとわからない。
     Makuakeというクラウドファウンディングで紹介されていたThink Lab Homeが面白そうだ。部屋の中に個室を作って雑音を遮り、集中をしたくなる気持ちはわからなくもない。
     ブックオフで大竹弘二『正戦と内戦 カール・シュミットの国際秩序思想』を買う。これは以前に荻窪のささま書店かどこかで買おうとしたが諦めたところ、二度と新刊書店などでも見つからなかったものだ。あとで調べてみるとAmazonのマーケットプレイスで四十万円近い値段になっている。こんなに高騰化する理由がにわかに思いつかなかったが、すこし落ち着いてみると最近評判がすこぶる良い蔭山宏『カール・シュミット』(中公新書)が、この本をもとにして進められた講義をまとめたものだと書いてあった気がする。してみると、それが原因だろうか。
     親族の入院。相変わらずドタバタしているとのこと。周囲も疲れている。
     菅政権、日本学術会議の件は一切何も進まず。河野大臣が何かを担当したらしいが、何を進めたかはさっぱりわからず。「旧弊打破」やら「人材に偏り」とまるで左翼のような言辞で日本学術会議に手を突っ込もうとしたのは保守の風下にも置けぬ。そして、こうした発言を言質にとられ首相自身が身動きがとれなくなるのは前政権と変わらず。まるで官邸周辺にミスリードを誘う人物がいるかのようである。
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  • 読書のつづき [二〇二〇年十月] 一寸先は闇|大見崇晴

    2021-03-17 07:00  
    550pt


    会社員生活のかたわら日曜ジャーナリスト/文藝評論家として活動する大見崇晴さんが、日々の読書からの随想をディープに綴っていく日記連載「読書のつづき」。第二波の感染も落ち着き気味で、読書の捗る秋だった二〇二〇年十月。日本学術会議の任命拒否問題やGo To キャンペーンのような利権誘導型政策への懐疑など、発足したての菅内閣がさっそくやらかしを重ねて支持率を落とすなか、『いだてん』にも登場した昭和政界のフィクサー・川島正次郎が残した「政界、一寸先は闇」の名言が令和の世に刺さります。

    大見崇晴 読書のつづき[二〇二〇年十月] 一寸先は闇
    十月一日(木)
     朝方の電車で眠り込けていたら、うっかり胸ポケットに挿していた万年筆(ペリカンのM600)を列車の中に落としてしまっていた。駅に降りて気づいたあと慌てて問い合わせをする。調べてもらうと遺失物管理のデータベースに登録されていたので、ゆうパックで届けてもらうことになった。
     レーモン・クノーの『サリー・マーラ全集』を買おうかと思っていたのだが、うっかり忘れてしまった。この小説でもって世界文学におけるモダニズムと少女偏愛が語れるような気がしているのだが、クノーの『地下鉄のザジ』のような希望がある──世の中には多様な生があり、歳をとることは成長だと肯定できそうな面もある──物語はよいけれど、ナボコフのような文学技法の一部として取り扱うのは感心しないというか、あれは何が面白いのだろうかという気が、わたしにはある。ナボコフの小説は仕掛けが大袈裟になればなるほど、白々しくなってしまって、わたしは読んでいる途中に飽いてしまう。短編集と『賜物』ぐらいしか楽しく読めた記憶がない。
     いわゆる「冷蔵庫の女」(物語を作動させるために被害者となる女性)を、さも当然の如き存在として取扱う作家というのは、どうにも信用ができない。倫理観であるとかフェミニズムであるとか、そういったこととは関係なく、物語も人物も定形でしか描けない作家というのは技術的に未熟ではないかという疑いを持っているのだ。そうした意味では、ハメットやチャンドラーを再読してみたい気持ちはある。被害者(候補)から依頼を受けて仕事をする受け身の男性を多く描いた作家たちではないか、という印象を持っているのだが、そのような印象が正しかったかの確認作業なのではあるが。
     それにしても万年筆が欲しい。車内に落とした喪失感からの反動なのだろうか。アウロラのオプティマもパイロットの漆塗りも欲しい。
    十月二日(金)
     文章を書くのに手間取っている。本業でも日記でも、である。折りたたみで使いやすい文机でも欲しいものだ。そうでなければ、井伏鱒二のような文机が欲しい。陽のあたる場所に正座をして向かい、原稿用紙と万年筆ぐらいしか物が置かれてないような文机。しかし、そういう間取りで生活をしたことがない。卒論を書いたころから、わたしは坂口安吾を収めた著名な写真のように、資料が氾濫したところで文章を書き続けた気がする。それでも憧れるのは井伏鱒二である。
     集中しやすい環境が欲しいという意味では、AppleのAirPodsも欲しい。外部からの雑音をシャットアウトしたい。
     帰宅をしてテレビを点けると日本学術会議への入会が拒まれた研究者の名前が明らかになっていたのだが、宇野重規・加藤陽子と、学問的実績は万人が認めるところで、政治的なスタンスとしては保守中道としか言いようがない穏健なひとたちだったので驚いてしまった。こうなると、政権が研究者たちに難癖をつけているようなものだ。選ばれたひとらの政治的なスタンスが要因で学術的な業績を認められないというのであれば、政治的なことを口にする研究者はみな日本学術会議に参加できないようなものだ。しかし、政治というのは人間が生活を送っていればどうやっても拘らざるを得ないもので、そういう意味では死んだ人間か政権が好意的な人物以外は参加できなくなってしまう。だからこそ世界中で学問の自由というものが認められているはずだが、そうしたものを無視する政権というのは、学問の自由など屁とも思っていない国家(たとえば中華人民共和国)にそっくりになってきている気がする。
     「ぼくらはカルチャー探偵団」編集の『短編小説の快楽』を久しぶりに読んでいたのだが、はからずも、わたしの短編小説の趣味は金井美恵子に近づいていると気づいた。まあ、悪いことではないのだけれど。深沢七郎の『東京のプリンスたち』のような、他の国のひとに読まれて恥ずかしくない短編小説というのは、なかなか書かれないものなのだ。
    十月三日(土)
     そろそろ加湿器を設置して暖房を効かせたほうがいいような季節であるように思うのだけれど、十月になっても秋めいた気もしないし、冬の寒さというものも余り感じない。
     バジル・ウィリー『十九世紀イギリス思想』が届く。面白い。著者の他の著作にも当たったほうが良さそうだ。唯美主義に連なる芸術運動は、ワーズワースに端を発するという見方には納得する。レズリー・スティーヴンの『十八世紀イギリス思想史』と併せて読みたい。ふと思ったが、坂田靖子の名作『バジル氏の優雅な生活』のバジル氏は、バジル・ウィリーから名前が採られたのだろうか。
     薄めのMDノートが届いたのでバレットノートを取りやすくなった。
     NTTとKDDIが災害対策で協業するとの報道。
     ダイエットに二時間ほど散歩。今日一日は蒸し暑かった。途中にブックオフに寄る。買ったのは以下の本。
    辰野隆『忘れ得ぬ人々と谷崎潤一郎』
    ハンチントン『分断されるアメリカ』
    大沼保昭(聞き手:江川紹子)『「歴史認識」とは何か』
     ハンチントンの『分断されるアメリカ』は二〇〇〇年ごろの刊行物なので、十何年経過して分断が誰の眼にも明らかなほど前景化されて、その事態そのものを統治(というよりは権力維持)の手段として用いる為政者(トランプ)が登場することになったのだろう。その間に解決がなされなかったとも言えるのかもしれない。そう考えると、世界中で失われた何十年を送っていたのだろうかと溜息をつきたくなる。
    十月四日(日)
     郵便局でエリアス『文明化の過程』下巻を受け取る。
     千葉市美術館に足を伸ばし、「宮島達夫クロニクル」展を観た。「地の天」、大変素晴らしかった。この作品で宮島がオマージュした榎倉康二「予兆──海・肉体」であること、さらに両作品とも展示を見れたことは収穫だった。
     ブックオフで以下を買う。
    桂文楽『あばらかべっそん』
    小島貞二『高座奇人伝』
    山下勝利『芸バカ列伝』
    立花隆『アメリカジャーナリズム報告』
    双葉十三郎訳/レイモンド・チャンドラー『大いなる眠り』
    鮎川哲也『下り”はつかり”』
    梶山三郎『トヨトミの野望』
    アリストテレス『ニコマコス倫理学』(上)
    浅田彰・島田雅彦『天使が通る』
     梶山三郎『トヨトミの野望』は、日本で一番有名な自動車メーカーの内情が明かされた企業小説、という評判を聞いて買った。しかし読むのが億劫になって、まだ一頁も読んではいない。梶山三郎という筆名で、古い小説の読者であるわたしは、ほう力みなさって、と思う。
     戦後日本の経済小説といえば、大まかには三つぐらい大きな潮流があり、ひとつは会社員たちの悲喜こもごもを描いた源氏鶏太、もうひとつは小説仕立てでありながら実名報道が憚れるため小説扱いにした面もある梶山季之、最後にはどちらかといえば企業という組織の内部にドラマを見出した城山三郎といったあたりになるだろう。梶山季之がプリンス自動車(のちに日産に吸収される)の内幕を描いた『黒の試走車』を意識しながら、城山三郎ばりにトヨタという組織を描いたというあたりが筆名ひとつで伺える。文学史に残る(それどころか、梶山季之は「噂の真相」のスタッフが憧れた「噂」という雑誌を刊行していた大出版人である)作家たちの名前を拝借して小説を書くという意気込みは、いまどき珍しい。噂によると中京圏では実録ものとして読まれているとかいないとか。
     トヨタは小説にするに足る企業であるとは思うが、個人的には、みずほ銀行のような、十年に一度ぐらい大規模システム障害を発生している企業の内幕を面白おかしく描いてほしい。そこにはトヨタ以上の権謀術数の世界があるはずである。梶山や城山といった同時代の作家と張り合うようにして、バルザック的な大ロマンを企業のうちに求め、そして誰よりも成功した山崎豊子という巨大な存在もいるのであるから。日本の社会派小説で、戦後で残すに足るのは、間違いなく松本清張と山崎豊子である。昨年(二〇一九)に何度目かのリメイクを果たした『白い巨塔』は、岡田准一の好演と小林薫の怪演も相まって、十分に堪能させてもらった(山崎豊子の作品は、『不毛地帯』の大門一三もそうだけれど、関西弁の主要人物が怪気炎を上げれば上げるほど、映像的に面白くなる)。
     それはさておき、寝不足のためか空間認識が狂っている気がする。かといって、どうしたらよいものか。さっぱりわからず。参った。
     毎週愉しみにしている『麒麟がくる』だが、足利政権の中枢に明智十兵衛が入り込むに至って、『太平記』じみてきた。脚本を担当しているのが同じ池端氏なのだから当然といえば当然なのかもしれない。それにしたって面白い。どこを切っても面白く、演劇的に、史劇的な伏線の張り方も、いい。来週の日曜日がもう待ち遠しい。
     ゆうパックで配送を頼んでいたペリカンのM600が届く。
    十月五日(月)
     COVID-19に感染しているトランプが、一時病院から抜け出して、支持者を前に自動車から手を振るパフォーマンス。治癒したからといって、他人に伝染させるリスクがあるから即復帰できないのが、この病気の厄介なところだ。そうした厄介さなど大したことではないようにトランプは振る舞っているが、それがアメリカの感染者大幅増を招いている気がする。テレビに映っている有名人がマスクをしているかいないかを見て、同じようにマスクをつけたり外したりしている人間が、わたしの家族にもいる。世界中そんなものだろう。そんななかカメラに映りたがる国のトップがマスクをしていないのだから、医療関係者にとってみれば厄災以外なんでもないだろう。
     一昨日・昨日と以下の本を注文。
    中川純男編『哲学の歴史3 神との対話』
    T・S・エリオット『エリオット全集』全五巻
     ダイソーで新作のマルチケース(三三〇円)を買ってみたが、よく考えたら使う場面がなかった。
    十月六日(火)
     病院から人間ドックの結果について連絡があった。おおむね悪いところはなかったとのこと。二〇分ほど電話で説明を受ける。心配をしていた血糖値も問題なかったのでほっとした。
     Amazonで注文していたOrobiancoの野帳カバーが届いていた。大変良い。MDノートの新書判を入れて使っている。
    十月七日(水)
     病院からメール。今後はWebとメールで食餌の管理をしていくとのこと。新しい時代の到来を感じる。電話診察というのが広まっていくのだろうなあ。
     今日は夕方頃から雨が降り冷え込むとのこと。体調に気をつけたい。
     COVID-19の感染が気になるので加湿器をダイソーで買ってみたが、二%程度しか加湿されない。もっとも、個人用でUSB給電するタイプでは、このぐらいでも上出来なのかもしれない。
     ようやく秋めいてきた。寒くなったからか、身体が強張って肩こりがでるようになった。疼痛もある。
     ほぼ日手帳カズンのカバーの大きさで、ちょうどよいノートカバーを探しているが、なかなか見つからない。マスキングテープ専用のカッターとテープ(灰色と水色)を買った。
     エディ・ヴァン・ヘイレン死去の報。随分前から癌闘病の報道が伝えられてきたから、ついにその日が来てしまったか、というかんじだ。わたしの世代はヴァン・ヘイレン再評価世代(グランジ・ロックがブームになった際に、ボーカルのカート・コバーンが彼のアイコンとしてエディを取り上げた)なのだが、まさかオジー・オズボーンよりも先に死ぬというのは想像もしていなかった。ジャンルで言えば同じヘヴィ・メタルのアーティストであるが、ギターの名手として知られるエディと異なり、オジーは目立とう精神のあまりに生きた鳩やコウモリを食べたりしていたわけで、コウモリからCOVID-19が発生したのではないかと言われている昨今、ひとり世界に先駆けて感染症のデパートになろうとしていたのである。そんなオジーよりも先に逝くとは、である。
    十月八日(木)
     ANAの賞与カットが話題になっていた。世の中伝染病で不景気だ。
     最近、電車内で人口密度が高くなってきている。これは「GoToキャンペーン」の効果なのだろうか。しかし、こんな調子でひとびとが観光をして大丈夫なのだろうか。気温と湿度が下がってきたので、飛沫感染のリスクは確実に上昇している。それに対応する医療制度や体制の構築が進んでいるというのは、さっぱり報道されていない。報道されていないというより、政府は何もしていない。こんなことだと冬本番になったら感染者が爆発的に増えてしまうのではないか。
     家計簿を探したが、好みのものがみつからない。
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  • 読書のつづき[二〇二〇年九月]長生きも芸のうち|大見崇晴

    2021-02-09 07:00  
    550pt


    会社員生活のかたわら日曜ジャーナリスト/文藝評論家として活動する大見崇晴さんが、日々の読書からの随想をディープに綴っていく日記連載「読書のつづき」。すっかり亜熱帯化した夏の終わりから秋にかけての気候のしんどさに大見さんも体調を狂わされているなか、ほとんど熱量の感じられない菅義偉内閣が発足してしまった二〇二〇年九月。またも起こってしまった有名女優の自死の衝撃で、日本の作家たちの生き様・死に様の対比に自らのロールモデルを求める気分が引き出されます。

    大見崇晴 読書のつづき[二〇二〇年九月]長生きも芸のうち
    九月三日(木)
     この数日、体調が優れていない。熱があるわけでも何でもないのだが。疲労がたまって、何もする気が起きない。
    九月五日(土)
     疲れで眠りっぱなしの一日だった。
     ウィンチ[1]『倫理と行為』を少し読む。

    すなわち、実在が有り、そしてそれが言語に意味を与える、という事情ではない。何が実在的であり、何が非実在的であるか、これ自体も言語が持つ意味の中で示される。更に、実在と非実在との区別、及び実在との一致という概念、これら自身も我々の言語に属している。といっても、これらが言語の他の諸概念と同列である、と述べるつもりではない。これらは明らかに言語においても要の位置、ある意味で限界づけをする位置を占めているからである。(p.16)
    にも拘らず、実在的なものと非実在的なものとの区別は、この区別が言語の中でどのような仕方で働いているかを理解せずには、実際には不可能だろう。それ故、実在的、非実在的という概念が用いられている時にもどのような意味が与えられているかを理解しようとすれば、我々はそれらが現に──言語の中で──持っている用法を調べなければならないのである。(p.16 - p.17)
    なるほど、ある特定の科学的仮説が実在と一致するか否かを問い、これを観察と実権でテストすることは可能である。即ち、実験の方法と、仮説に登場する理論語の確定した用法が与えられれば、仮説が正しいか否かという問は、私や他人の思いから独立なものに訴えて決着がつけられる。しかし実験が明らかにするデータの一般的性質は、実験で用いられる諸方法にうめこまれた基準によっての特定であり、またこの基準は基準で、それを用いるような科学活動に精通した人にとってのみ意味を持つのである。(p.17)
    なるほど、神秘的な力が働いているか否かを決定する方法は確かに存在するが、この方法は我々が「経験的」確証ないしは反駁として理解しているものと同じではない。このことは実は同語反復なのである。というのも、「確証する」手続きにおけるこのような相違こそ、まずもってある事柄を神秘的な力として分類する主たる基準だからである。(p.26)


    [1]ピーター・ウィンチ 一九二六年生、一九九七年没。イギリスの哲学研究者。社会科学の研究に貢献した。『社会科学の理念』は名著とされる。

    九月七日(月)
     この数日はスランプだったけれど、ピーター・ウィンチを読んでから、すこしやる気が出た。それとは別にデューイについて読書を進行させないといけないのだけれど。
     今年の九月は中旬から関東の台風シーズンになりそうとのこと。昨年は電柱が倒れて停電に三日間も困らされた。まいった。
     そういう意味では、今年の秋はいつから始まるのだろうか。二〇〇七年そっくりの天候だと説明が気象予報を調べるとなされているが、二〇〇七年も二〇一〇年も何も二一世紀になってから、ずっと猛暑が続いているから、何がどう似ていて、何がどう違って今年の夏の特徴なのかもわからなくなってきつつある。日本は温暖化で亜熱帯になりつつあるとわりきらなくてはいけないのだろうか。暑さ寒さも彼岸までと言われていた時代は遠い昔のことになってしまいそうだ。
     映画『マトリックス』にも出演していたコーネル・ウェスト(彼がインタビューに応える形の著作『コーネル・ウェストが語るブラック・アメリカ: 現代を照らし出す6つの魂』(原著刊行は二〇一四年)は、W・E・B・デュボイスの再評価に関する記述など、大変勉強になった)の著作が好きなのだが、『人種の問題―アメリカ民主主義の危機と再生』が出ているとは知らなかった。

    [2]コーネル・ウェスト 一九五三年生。アメリカの哲学研究者。プリストン大学教授。過去にハーバード大学に勤務していたが、アメリカ財務長官を務めたローレンス・サマーズが学長に就任したのち、対立し退職している(なお、サマーズはその後に女性蔑視発言を起因として学長不信任案を可決され辞職している)。映画「マトリックス」シリーズに「ウェスト評議員」として出演していることでも知られている。
    [3]W・E・B・デュボイス 一八六八年生、一九六三年没。アフリカ系アメリカ人として博士号を取得した初めての人物。『黒人のたましい』のような文学史に残るエッセイ、『フィラデルフィアの黒人』で後のシカゴ学派を先取りした社会学の著作などあり、非常に多作であった。近年再評価の機運が高まっている。

    九月九日(水)
     結局昨日は忙しく、寝るのも遅くなった。今日は早く眠りたい。
     そろそろ読書に時間を費やせそうな目処がたってきたので、以下の書籍を注文した。
    古田暁訳『アンセルムス全集 改訂増補版』
    ジョエル・ウィリアムソン『評伝ウィリアム・フォークナー』
    オーガスティン・ブラニガン『科学的発見の現象学』
     今年は買っても使わないデバイスを増やさないようにと心がけてきた。万年筆は買ったとしても、あと一本ぐらいで済ませたい。PCはMacBookがほしいが、現状のPCで用が足りるので買う必要はなさそうだろう。iPhoneは買い換えないといけないはずだけれど、5Gに対応した端末と設備が整うのは来年になりそうだから、今年は見送ることにしよう。
     伊勢谷友介が大麻の所持で逮捕。しかし遅きに失した気がする。わたしは別に芸能界のことに明るくないが、伊勢谷友介の薬物に関するスキャンダルは週刊誌で何度か報じられていた。そうした悪評と見栄えの良さと成功者然とした振る舞いが、宮藤官九郎脚本のドラマ『監獄のお姫さま』で悪徳社長に起用された理由だったのではないかと、わたしはてっきり思っていたのだが(ゆえに、高杉晋作や吉田松陰といった長州藩出身の人物を伊勢谷友介が演じるのは、大麻解禁運動で知られる安倍昭恵氏との交流があってのものではないかと錯覚したほどだ)。それにしても、これで『龍馬伝』と『花燃ゆ』などの大河ドラマは再放送がなされなくなってしまうのだろうか(「いだてん」に対する社会的制裁はそのようなものだった。わたしはそのような制裁とは異なる制裁や、ドラッグからの再起支援策の拡充のほうが重要と思うので、マスコミの騒ぎ方もインターネットの騒ぎ方も、自分たちの社会のことではなくて、他人事と思いすぎているように見えて、時折この社会で生活することに不安を覚えてしまう)。
     この日記は手書きでMDノートないしツバメノート(ともに方眼)で書いたものを、Markdown文法でデジタル化しているのだが、CSSを上手に設定すれば出版用やWebサイト用の出力がしやすいから、それに取り組むべきな気もする。しかし、わたしはヴィレッジセンターのHTML教本でWebページを作っていたものの、肝心のCSSが普及する前にWebページを作ることを止めてしまったので、技術的な蓄積はほとんどない。その道は険しい。
    九月一〇日(木)
     熊田陽一郎『美と光』を注文する。システム手帳用のパンチが届く。
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  • 読書のつづき[二〇二〇年八月]日本の夏、停滞の夏|大見崇晴

    2021-01-22 07:00  
    550pt

    会社員生活のかたわら日曜ジャーナリスト/文藝評論家として活動する大見崇晴さんが、日々の読書からの随想をディープに綴っていく日記連載「読書のつづき」。酷暑と第二波真っ只中の連日の感染拡大の報に、大見さんの読書生活も確実に蝕まれていった二〇二〇年八月。台湾民主化の父・李登輝の死去や香港での民主化運動の弾圧など東アジア政治に暗雲が垂れ込め、歴代最長となった安倍政権にも退陣の声が囁かれる中で、日本の停滞を見つめる戦後75年目の夏が過ぎてゆきます。
    大見崇晴 読書のつづき[二〇二〇年八月]日本の夏、停滞の夏
    八月一日(土)
     もう八月になってしまった。今月はクレジットの利用代金が高額で何十万。とはいえ、ほとんどが交通費なので仕方がないのだが、こうしてみると交通費をクレジットカードで支払うのも考えものかもしれない。もっとも昨年のキャッシュレス決済・ポイント還元事業を政府が推進してから、いろんな決済をクレジット決済にする習慣になってしまったから、現金払いに戻せる自信もない。
     クレジット払いをしていて不安になるのは、このCOVID-19伝染の沈静化が進まないかぎりは、いつか急に手元資金が尽きるようなことがあって、クレジットを返済できなくなる日が訪れる気がしてならないためだ。出費を減らすには本を買わないことが一番簡単かもしれない。積ん読がたくさんあるのだから、それを丁寧に読み込んでいけばよいのだと思うけれど、なかなか誘惑に勝てずに本を買っている。
     今日は明け方四時に眼が覚めてから一度覚醒したあと、十時まで寝込んでいた。昼食後に横になると、自然とまた眠りこけていた。蓄積疲労が抜けないんだろうか。
     注文しておいた古書が続々と届く。
     地元の図書館に借りていた本を返却する。
     なんとも息が切れるかんじがする。地元古書店で矢作俊彦[1]『悲劇週間』を買う。呆れるくらいに見たい番組がない。見逃していた「かりそめ天国」を見る。日本の古書店で以下の本を注文した。
    田中成明『現代法理学』
    ペレルマン『法律家の論理』
    『イギリスの政治思想』I~IV
     東出昌大と杏が離婚。この疫病が広まる最中、不信の対象が家庭にいるのは精神的負荷になるから理由もわからなくはない。
     I・A・リチャーズ『新修辞学原論』を少し読む。バークレーが引かれていた。
     今日の東京のCOVID-19新規感染者は四七二人とのこと。これでテレワークが広まってくれないか。満員電車は御免被りたい。
     李登輝[2]の死を受けて中国の官僚政治家の歴史に関する書籍を改めて読む。そういえば、このあたりについて「自己宣伝」という観点から草森紳一が本を書いてたはずだが、実際はどうなのだろう。このころの中国の政治家たちの言葉は含蓄がある。林彪の毛沢東批判など分析として面白い。「あの豚のような独裁者は、まず人に意見を言わせてから否定しようとする」「否定から入るな、という否定で冒険主義を進める」。やはり権謀術数というのは中国史に学ぶところがある。日本であれば太平記や平家物語、吾妻鑑に梅松論などがそれに当たるのだろうか。江戸時代などには太平記読みが多かったというのに、その意義が見落とされている気がする。
     音泉のプレミアム版がPCブラウザからもアクセス可能になったと言うので、ログイン設定を済ませる。
     しっかりとは読めていなかった表象文化論学会のハラスメント規定を読みなおす。
     角川グループ、新社屋がある所沢にはマンホールも角川グループのアニメやマンガのものが設置されているそうだ。街のディズニーランド化を実現しているようで、『物語消費論』のころの大塚英志氏の構想や仮説を現実化してきている。そういう意味では、大塚英志氏ご自身がバブル期に「空間プランナー」などと怪しい肩書きを名乗ったことを自嘲的に語っていたはずが、今なら何と発言するのだろう。そして、角川歴彦氏と大塚英志氏がいなくなったら、企業としてのアイデンティティを見失ってしまうのではないか。そのことが懸念されてしまう。
     香港警察が海外に居住している民主化運動家たちを取り締まろうとして指名手配を始めた。香港に戻れば逮捕されるだろうとのことだが、そうでなくとも親中国であれば身柄が拘束される恐れがあるのではないか。イギリスかアメリカでないと安心ができない。
     新規感染者が劇的に増えているように思われる昨今だが、七月二三日からの四連休で一気にウィルスが広まったのだろう。原因ははっきりしている。二週間後の盆のころになれば少し数字が落ち着いて、更にその二週間後の九月頭くらいになると盆休みを原因した感染者増加があるんじゃないか。そのあたりで通常なら秋国会(臨時国会)が召集されて、各種特措法が通過するはずである。八月十五日の終戦記念日のあとに安倍総理辞任の声が高まる気がするが。
     レイモンド・ウィリアムズ[3]『テレビジョン』を買い忘れていることに気づいた。
     広島カープの最下位、昨年から佐々岡が投手陣の整備を任されていたことを考えると、この大惨事になったのは「妥当」というより他ないし、佐々岡は結局二年続けて投手陣整備に失敗したわけだから、原因と結果を見つめ直してほしい。それができなければ、来年の秋には監督辞任の足音が聞こえてくる。

    [1]矢作俊彦 一九五〇(昭和二五)年生。日本の小説家、マンガ家。ダディ・グース名義でマンガ家としてデビューするが、『マイク・ハマーへ伝言』(一九七七)でハードボイルド小説作家としての評価を確立。一九八〇年にマンガ家の大友克洋の原作者として『気分はもう戦争』に関わる。『気分はもう戦争』は物語でも絵でも革新的とされ、大いに話題を呼んだ(作家や文芸評論家たちが批評の題材にした)。八〇年代には司城志朗とタッグを組み冒険小説を発表し好評を博す。『スズキさんの休息と遍歴』(一九九〇)は、自動車雑誌「NAVI」編集長鈴木正文(現「GQ Japan」編集長)をモデルにした小説だが、日本の小説で最もヴォネガットの『チャンピオンたちの朝食』からの影響を露にした作品となった。この小説が三島由紀夫賞候補作となったこともあり、以後純文学作家としての側面が大きくなる。日本が関西と関東で分割され、吉本興業が関西政界を牛耳るというブラックな世界を描いた『あ・じゃ・ぱん』(一九九七)でBunkamuraドゥマゴ文学賞を、『ららら科學の子』(二〇〇四)で三島由紀夫賞を受賞。『悲劇週間』(二〇〇五)はフランス文学翻訳者の堀口大學を主人公に据えた小説であるが、フランス文学(の翻訳文体)へのオマージュにもなっている。
    [2]李登輝 一九二三年生、二〇二〇年没。台湾の政治家。第四代目の中華民国の総統を務めた。大陸からの移民ではなく、台湾に従来から生活をしていた本省人であり、初の直接選挙によって選び出された総統であったことから、台湾民主化の父とされる。現在知られているような台湾のイメージは李登輝時代に築かれた部分が大きく、それ以前は一九四七年から一九八七年までの四〇年は「白色テロ」と呼ばれる戒厳令下であった。
    [3]レイモンド・ウィリアムズ 文学・文化評論を中心に活動をしていた研究者。一九六〇年代から評論の対象はマスメディアにも広がり、『コミュニケーション』(一九六六)、『テレビジョン』(一九八四)のような著作も刊行している。ウィリアムズの影響を受け、カルチュラル・スタディーズと呼ばれるサブカルチャーも含めた文化研究が大学でなされるようになった。

    八月二日(日)
     草森紳一の『江戸のデザイン』を注文する。
     眼精疲労がひどい。
     関川夏央『文学は、たとえばこう読む』が面白そうだ。
     理髪店でカットを済ませる。
     今日で大河ドラマの『麒麟がくる』は十回ぐらい放送を見送っていると思うのだが、このままで当初の予定通りの放送回数を消化することができるのだろうか。越年をしないと難しい。
     アキラ100%が秋田の観光大使と知って驚く。吉本の芸人でなくとも、ちゃんと地方公共団体の仕事を受けている芸人もいるのだな。とはいえ、冬の地方営業は、小島よしおもそうだけれど、裸で寒そうだ。
     TBSの良原アナ、まだ全然こなれてないけれど、どうにもこなれる雰囲気がない。ガツガツしていなくて好ましく思えるか、それともハングリー精神のなさと捉えるか。
     なんとなく、むかしの文芸誌「重力01」を読んでみたが、経済学者の西部忠の議論や意見が敷衍されていないのは何なのだろう。重要な示唆的な発言も多いのだが。

    大杉 ちょっと話をずらしますが、一時、鎌田さんが「重力」に女性を加えるか加えないかっていう話をしていたじゃないですか。でも原理への服従ということで、それで果たして女性が加わることがあり得るのかっていう問題をちょっと考えたんですけれど、NAMも女性が少ないらしいし。 鎌田 原理への服従で女性が加わる? 僕にとっては服従だけど、強すぎる言い方だったら撤回します。経済的自立が原理だから、その通り動いてみよう、そういう感じ。(「重力01」p.17)

     このひとたちは一体なにを話しているのだろう。少なくとも座談会を編集するときに、もう論旨が汲み取れるような日本語にするものだが。そういう恥じらいや読者の視線といったものが頭に浮かばないのだろうか。と思って読み進めると座談会構成を大杉重男[4]が担当しているとあって、これでは雑誌が短命に終わるのも仕方がないかなと思わされた。
     それから大杉重男氏に対して保坂和志氏が批判的だという記事をどこかで見かけたが、その一連のやりとりがあったことを踏まえた上で次のような発言を読むと、「だからなに?」以上の言葉が出てこなかった。あてこすりにも程がある。

    大杉 保坂のは将棋雑誌の一般読者からも不評だと思う。『羽生』なんて嘘ですよ。保坂は羽生が最初からすべてを見通している神みたいに語っているけれど、羽生はやっぱり終盤力で勝っているのではないか。(「重力01」p.18)

     大杉氏世代の文藝批評家がそれ以前の批評家たちと異なり、若年層からの人気を勝ち取れなかったのも、こうした「ためにする」議論が多かったからなのだろう。
     今年の東京は、七月は一日しか晴れの日がなかったそうだ。ガルシア・マルケスの『百年の孤独』の舞台となったマコンドのようだ(もっとも、あちらは年単位で雨が続いたはずだが)。そうと知ると、最近気が塞いでいたのは、天候が原因だったのかもしれない。
     インドのパンジャーブ州で密造酒を飲んだ人たちが大量死。メチルアルコールを含んだ(戦後間もなくの日本で言えば)「バクダン」だったことが原因だそうだ。何故こんなにも密造酒が出回ってしまうのだろう。インドの流通事情、酒税について知りたいところだ。なにかしら密造に庶民が走ってしまう構造的な原因がある。しばしば「戦後のどさくさ」という定型句が使われるが、そのころの日本と同じようなことが日常的に起こっているというのは、平時の国としては考えものである。
     昨日の読売新聞で二階氏がインタビューに答えているのを読む。「もうはまだなり、まだはもうなり」という格言を思い出してしまった。
     声優の桑原由気[5]のネットラジオを課金して視聴しているのだが、好きが講じて寄席を開いていることを彼女が話していて、真顔でサンシャイン池崎が引いているのに笑ってしまった。K-PROというのは、いま女性たちにとって、ひとつのロールモデルになっているのかもしれない。

    [4]大杉重男 一九六五(昭和四〇)年生。日本の近現代文学研究者。群像新人文学賞(評論部門)を受賞した「『あらくれ』論」は、筒井康隆に激賞された。以後、徳田秋声を中心に研究を進めている。「重力」は二〇〇一年ごろの評論を中心とした雑誌。
    [5]桑原由気 一九九一(平成三)年生。日本の女性声優。漫才コンビ天津の向と「桑原由気寄席」を開催している。「桑原由気と面白いひとたちのらじお」では、ゲストに呼ばれたトム・ブラウンのみちおが自分の観ていたアニメの声優と共演できることを喜んでいた。同番組のゲストは、佐久間一行、トム・ブラウン、サンシャイン池崎、虹の黄昏、Aマッソ、ネルソンズ、蛙亭、真空ジェシカなど。

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  • 読書のつづき [二〇二〇年七月]『MIU404』を慰めにする夏|大見崇晴

    2020-12-17 07:00  
    550pt

    会社員生活のかたわら日曜ジャーナリスト/文藝評論家として活動する大見崇晴さんが、日々の読書からの随想をディープに綴っていく日記連載「読書のつづき」。新型コロナ第二波対策のパフォーマティブな喧伝と既定路線の結果しか見えない東京都知事選が進行する一方で、「Naverまとめ」のサービス終了や「ほぼ日」の本社移転など、ネットメディアの曲がり角を印象づける報で幕を開けた二〇二〇年七月。ゲリラ豪雨が相次ぐ不安定な気象と心身の不調に苛まれつつも、民放ドラマの久々の快作『MIU404』を慰めに、論理と修辞をめぐる書々の耽読は進みます。
    大見崇晴 読書のつづき[二〇二〇年七月]『MIU404』を慰めにする夏
    七月一日(水)
     昨夜それなりに眠ったはずなのだが、眠い。目を開いていても閉じていても、世界が靄がかっているような気がする。
     週末にはトランクルームに積み上げられた本を処分しなくてはいけない。トラスコ中山の台車でも買おうか知らん。
     少しは日程管理をしたほうがいいと思ってTrelloをインストールしてみたが性に合わない。
     岩波書店から出ている『〔新増補版〕ギリシア・ラテン引用語辞典』が無性に欲しくなったのだが、よく考えたらギリシア語もラテン語も読む機会がないことに気づいてしまった。とはいえ欲しい。ほしいが置く場所もない。
     NAVERまとめ[1]、本年九月三〇日でサービスを終了するとのこと。今年はもともとイベントが多い一年で、アメリカ大統領選[2]ぐらいまではサービスが存続するかと思ったが、PVを稼げないと判断したのか、それとも上期でちょうど良いと思ったのか、という時期でのサービス終了である。これはCGM(消費者生成メディア)でのマネタイズが困難になったということなのだろう。インターネット上のメディアは再編成が始まる。
     「ほぼ日」[3]の本社が移転するとのこと。青山から神田神保町への移転だそう。創刊したばかりという「ほぼ日」のメルマガに掲載されていた。これで小物屋さんからカルチャースクールに業態が変わっていくのだろうか。企業の立地というのは奇妙なもので、場所が変わるとそれだけで色が変わる。企業理念といった言葉が軽く吹き飛ぶぐらいに、場所や建物といった環境に人間は左右されるのだと思わされることがしばしばだ。前に「ほぼ日」が移転した前後は、吉田カバン[4]やBEAMS[5]とのコラボ商品が増えた時期だった。NORTH FACE[6]とのコラボ企画もあったのではないか。建屋が青山にあれば、そうしたブランドのひとたちとの打ち合わせもしやすかったことだろう。そんな青山から神田神保町に移転するというのだ。岩田宏が人間の悲哀を詩にした、あの神田神保町にである。店舗の多さから考えれば、「ほぼ日」は古書のイベントやカルチャースクール的な面が自然と強くなるような気がする。するが、さて。
     これまで「ほぼ日」というメディアは、業界人の賄い飯のような楽屋裏をタダ同然でインターネット上にリリースし、その内容に共感した読者が手帳を買ったり、イベントのチケットを買ったりして、企業らしい体裁を整えた。朧げな記憶では、株式上場まではたまに読むこともあったが、上場後といえば、なんといったら良いか、むかしながらの広告事業と手帳販売で成り立っているような企業に見えた。博文館の末期もこんなかんじだったのだろうかと思ったりもしたが、事業としてはこれまで以上に大きくなっているはずなのである。
     それでも「ほぼ日」に驚かされるというか、感銘を受けるようなことと言うのは、なくなってしまった。どんな香具師めいた口説きで落としたかはわからないが、ボサノヴァの創始者であるジョアン・ジルベルトを銀座有楽町は東京国際フォーラムに引っ張り出して歌わせたのは、「ほぼ日」だったのである。まあ、それだって十七年前、二〇〇三年のことで、それ以降わたしは「ほぼ日」に案外驚いていないのかもしれない。ギター一本で世界の音楽を変えたお爺さんを引っ張り出したことが偉いというのも呆れる話で、本当はもっと、みながギター一本でも良いから革命を起こしてもよいのかもしれないし、その当たり前にわたしが気づいてしまっただけかもしれないが。
     そして困ったことに、わたし自身はこの数年「ほぼ日手帳」を使っていないのだ。いま書いている日記でも明らかな通り、文章量が多い日には何ページも亘ってノートに文字を書き付けている身としては、一日一頁しか書き込めない制限自体が使い勝手の悪さに感じられるのだ。わたしはその日の予定など気にならない。それよりもその日に何が起こったかが気になる人間で、そういう人間には手帳という体裁は相性が悪いのだ。ノートとカレンダーがあれば大抵のことは事が済んでしまうのは、良いのか悪いのか。
     チャールズ・テイラー[9]『今日の宗教の諸相』、ネット上の感想を見かけていると面白そうだ。借りるか買うかしよう。
     寝際にロラン・バルト『旧修辞学』を読む。

    [1]NAVERまとめ 韓国のIT企業NAVERが二〇〇九年七月一日開始したWebサービス。インターネット上の記事などにリンクを張り、情報を整理した「まとめ」をユーザーが公開できるサービスだった。二〇二〇年九月三〇日にサービスを終了した。
    [2]アメリカ大統領選 二〇二〇年十一月三日に実施されたアメリカ大統領・副大統領を選出する選挙。民主党からはバイデン、共和党からはトランプが立候補した。十一月七日ごろにはアメリカ中西部やラストベルトと呼ばれる工業地帯での支持を取り返したバイデンが勝利したという情勢認識が一般となり、十一月二三日にはGSA(一般調達局)がバイデン陣営への政権移行に関わる予算を執行したことにより、実質的な勝利認定が済んだ。
    [3]「ほぼ日」 株式会社ほぼ日。コピーライター糸井重里が一九九八年六月に開設した「ほぼ日刊イトイ新聞」が企業化され、二〇一六年に株式会社化、二〇一七年三月十六日にJASDAQに上場。物販販売(おもに手帳)で収益を上げている。
    [4]吉田カバン 日本の鞄メーカー。一九三五年に創業。社名よりも自社ブランドであるポーター(PORTER)が人口に膾炙している。BEAMSとのコラボ商品でも知られる。縫製が頑丈なことに定評がある。
    [5]BEAMS 段ボール製造業だった新光株式会社が、一九七〇年代に輸入雑貨を取り扱う店舗を開業後、セレクトショップ・輸入雑貨店として人気を博す。一九九〇年代の裏原宿ブーム前後でブランドとしての知名度を上げ、現在に至る。
    [6]NORTH FACE 一九六六年にアメリカのカリフォルニアで創業されたアウトドア用品と衣服を主としたブランド。
    [7]岩田宏 一九三二年生、二〇一四年没。日本の詩人、翻訳家。翻訳家としては本名の小笠原豊樹名義で発表していた。翻訳家としての仕事は手広く、かつ定評があり、マルチリンガルだったこともあって多岐にわたる。イリヤ・エレンブルグ、ソルジェニーツィン、マヤコフスキーといったロシア文学、ロス・マクドナルドとマーガレット・ミラー夫妻のミステリー小説、ブラッドベリやスタージョンなどのSF文学、ジョン・ファウルズのような村上春樹らにも影響を及ぼしたであろうオカルト文学などを手掛けており、海外文学を手に取ったひとで岩田宏の訳業に接しないことのほうが難しい。
    [8]ジョアン・ジルベルト 一九三一年生、二〇一九年没。ブラジルの歌手、ギタリスト、作曲家。ボサノヴァの創始者。一九五八年にアントニオ・カルロス・ジョビンと録音した楽曲がボサノヴァで初めて録音された曲とされる。一九六三年にスタン・ゲッツと録音した『ゲッツ/ジルベルト』がヒットし、今日でも演奏される「イパネマの娘」が世界的なヒットとなる。気難しいことでも知られており、二〇〇三年に初来日してライブ演奏をしたことは驚かれた。
    [9]チャールズ・テイラー 一九三一年生、カナダの政治哲学者。政治的にはコミュニタリアン(共同体主義者)と呼ばれる保守的な立場をとるが、コミュニタリアンと呼ばれる知識人が、もともと反原子力の運動に晩年を費やしたことでも知られるE・P・トムソンなどと創刊した雑誌「ニュー・レフト・レビュー」のメンバー(他にアラスデア・マッキンタイア)が少なくないように、リベラル・コミュニタリアン論争は単なる革新と保守による論争ではなかった。二〇〇八年に稲盛財団より京都賞「思想・芸術部門」を受賞。

    七月二日(木)
     急に晴れだしたからなのか、腰が痛む。ヘルニアの再発でなければよいのだけれど。
     今更ながら自分の文章が読みやすいかどうかが気になってきた。不安解消にノートをつけながら以下の本を読んでいる。
    福沢一吉『論理的に読む技術』
    福沢一吉『論理的思考』
    井田良、佐渡島紗織、山野目章夫『法を学ぶ人のための文章作法』
    ロラン・バルト『旧修辞学』
    七月三日(金)
     高見浩[10]によるヘミングウェイ『老人と海』の新訳が新潮文庫で出るとのこと。これは読みたい。仕事が慌ただしかった。「脱力タイムズ」を視て寝る。

    [10]高見浩 一九四二年生、日本の翻訳家。ヘミングウェイの全短編、主要な作品の翻訳で知られる。他にも福祉国家化していくスウェーデンの社会を背景に描かれた警察小説「マルティン・ベック」シリーズ、サイコホラーを流行させたトマス・ハリス、映画・文学ともに一九九〇年代に流行したノワール物の作家エルモア・レナードなど、その後の文化・文学に大きな影響を及ぼす作品の翻訳を多く手掛けている。

    七月四日(土)
    部屋片付け。バルト『旧修辞学』を読む。ノートを取りながらだったので肩が凝った。
    七月五日(日)
     都知事選は小池氏が再選。政策を抜きにすれば、巧みな選挙戦術だった。二位になったのが宇都宮健児で、これで久しぶりに都知事選が保革の争いに戻りつつある。都知事選で医療や福祉のような社民的な論点に眼が向けられるようになったことは、COVID-19の影響があるとは思うが、そうだとしても潮目が変わったように思う。準国政選挙とも言えそうな都知事選での論点は、ここ何年も五輪と再開発ばかりだった。
     しかし、より驚いたのは、維新から出馬した候補が、ギリギリになって出馬した山本太郎よりも下位に沈んだことだった。他の候補よりも早く宣言して、熊本県副知事を辞職して──台風被害で大変なのに──準備万端での立候補となったのに、あっという間に抜かれていた。これはもう、維新という政治集団の鮮度が落ちきったのではないかと思えるような、深刻な敗北に見える。
     そんな維新の候補に投票しているのは、どの層の人間であるか調査がテレビで放送されていたのだが、三十代四十代の男性からだそうだ。わたしの同世代である。要するに維新には一部中年男性に対して強力な訴求力があるということなのだと思うが、そこに中年男性であるわたしは、見たくない思想的現実を見てしまう。
     維新的なものの埋没というのは、与党の補完勢力(自民党の別働隊)として機能する野党が求められなくなっている、ということである。言い方を換えれば、大きな流れに身をすべて任せる気はないが軽く棹をさす程度は反発をしたという自意識を政治行動に移すという投票行動を起こすのは、現在の日本では主として中年男性であるということなのだろう。この都知事選の結果を受けて、来年秋には任期満了となり自動的に選挙となる衆議院では、一層と野党再編の動きが進むだろう。それは社民的なものや立憲主義(法治主義)の価値を再発見してのことだろう。その線で国民民主党は解体してしまうのだろう。党をまとめる求心的な課題というものがなく、是々非々で政策を論じ合いたいという程度にしか見えない政党はただでさえ脆いのに、この小選挙区制度では耐えうるとは思えない。維新と国民民主は、いつものメニューに飽きた中年男性が気まぐれに注文する季節のメニューみたいなものになりつつある。
    七月六日(月)
     腰痛と肩こりが辛い。気象と連動しているのかもしれない。大荒れの天気だ。
     佐々木健一『美学辞典』を横に置いてバルト『旧修辞学』を読み進める。丸善オアゾ店で以下を買った。
    アレン・ギンズバーグ[11](柴田元幸訳)『吠える』
    ロマン・ヤコブソン[12]『ヤコブソン・コレクション』
    ポール・グライス『論理と会話』
     『吠える』以外は修辞学に関連した書籍としての購入だが、『ヤコブソン・コレクション』は彼の主要な論文を一冊の本で読めるようになっていて、大変にありがたい。わたしが学生のころは古書店を回って何冊もロシア・フォルマリズム関連の本を買わないと、これらは揃わなかった記憶がある。

    [11]アレン・ギンズバーグ 一九二六年生、一九九七年没。アメリカの詩人。ビート文学の代表的な詩人。ボブ・ディランがギンズバーグに影響を受けており、ディランのライブでギンズバーグが出演したことなども有名。ゲイであることを隠さなかった。
    [12]ロマン・ヤコブソン 一八九六年生、一九八二年没。構造主義と呼ばれる思潮に大きな影響を及ぼした学者。研究対象は範囲が広いが、もともとは詩の構造分析を行っていた。第二次世界大戦下にアメリカに亡命。この地でレヴィ・ストロースと出会い、知己となる(ストロースはユダヤ人の受け入れが活発だったニューヨーク知識人の一員となっていた)。ヤコブソンとの交流は、ストロースに『親族の基本構造』を執筆させるきっかけとなった。

    七月七日(火)
    七夕。電車内が混雑していて、日常に戻りつつある。しかし、そもそも日常とはなんなのだろうか。
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  • 読書のつづき [二〇二〇年六月中下旬] 万年筆とヒッピーと水流|大見崇晴

    2020-11-18 07:00  
    550pt

    会社員生活のかたわら日曜ジャーナリスト/文藝評論家として活動する大見崇晴さんが、日々の読書からの随想をディープに綴っていく日記連載「読書のつづき」。Zoomでの読書会などが浸透して新しい行動様式が生まれる一方、街にはたがの外れた日常感を帯びる人々が水流のように漂ってもいる梅雨のおり。アウロラ、パイロット、モンブランといった老舗ブランドの万年筆を使い分けながら、手書きとキーボード入力での「書くこと」の感覚の違いを改めて見つめ直します。
    大見崇晴 読書のつづき[二〇二〇年六月中下旬] 万年筆とヒッピーと水流
    六月十二日(金)
     都内に連日の出勤をしたので疲れを覚える。午前中に妙な眠気があった。カロリー不足が原因かと思い、昼食は日高屋で担々麺大盛りを注文。
    六月十三日(土)
     地元の図書館で以下の本を予約した。
    常盤新平[1]『翻訳出版編集後記』
    常盤新平『私の「ニューヨーカー」グラフィティ』
    今泉文子『ノヴァーリスの彼方へ ロマン主義と現代』
    ピーター・アクロイド『T.S.エリオット』
     エリオットの伝記は愉しみだ。彼への関心が増したら全集を買うことにする。

    [1]常盤新平 一九三一年生、二〇一三年没。日本の編集者、翻訳者、作家。早川書房の編集者としてキャリアを積み、一九六〇年代ごろには早川書房のほぼ全般を職掌とする。このころにテレビドラマ『探偵物語』の原作などで知られ日本にハードボイルドや犯罪小説を根付かせた第一人者であった小鷹信光と、メディアの内幕を暴くノンフィクションを紹介する書籍を早川書房が多く手掛けるきっかけを作った(このころに翻訳されたものに、ハルバースタムの『メディアの権力』(一九七九)などで参照されていたと思しいジョン・コブラー『ヘンリー・ルース』、フレッド・フレンドリー『やむを得ぬ事情により エドワード・マローと理想を追ったジャーナリストたち』)。このハヤカワ・ノンフィクションの系譜は、ラリー・コリンズとドミニク・ラピエール『さもなくば喪服を』の翻訳を校正した井田真木子がのちにノンフィクション作家として著名になるなど、ニュージャーナリズムを日本に根付かせるものとなった。海外文学の翻訳を手掛けていたころに都会的な文章の彫琢にこだわっていたが、その際に参考にした山口瞳の小説に感銘を受け、私淑することになる。国立に居を構えていた山口瞳のもとに新年会などで通うようになり、いわゆる「山口組」の一員となる。一九八六年には『遠いアメリカ』で直木賞を受賞。その後もエッセイや翻訳、海外文学の紹介など旺盛な活動を続けた。広くは知られていないが、同じ池波正太郎の愛読者でありながら、植草甚一に対しては憎悪と言ってよいほどの恨みを文章にしている。

    六月十四日(日)
     大塚英志『大政翼賛会のメディアミックス』読書会用のレジュメ、担当分を作り終える。この本の種明かしになる部分と、付論についてもレジュメを作りたいが、後者については体力的に難しいかもしれない。レジュメをクリーム色のノートにまとめているのだが、普通の修正テープでは白が目立ってしまって、見栄えが悪い。なにか良い方法はないものか。
     このコロナが終息したらフルハルター[2]でペリカンのM800を一本注文したい。しかし、この場合の終息とはなにをもって終息とするのだろう。
     調べ物をしていたら、三島由紀夫全集(一九七〇年代のもの)の三十巻がなくて困る。買うべきか。

    [2]フルハルター ドイツ語で「万年筆」を意味する単語。店主である森山信彦氏が一九九三年に開店した万年筆専門店。

    六月十五日(月)
     オッカム先生が評価されていたのと、兄事していた方が経営されていた古書店──現在は夫人が経営を引き継いでいる──に在庫があったので、ブルース・アッカマン『アメリカ憲法理論史 その基底にあるもの』を注文する。
     唯美主義[3]や労働者階級の文化に関心を持っていた十代のころはイギリスにばかり意識していたが、二十代ごろになってボブ・ディランを聴き続けるようになってから以来、わたしはアメリカという国が気になっている。同じ一つの国なのかと疑ってしまうほどアメリカは広くて、キリスト教ひとつをとっても宗派がたくさんあって、もともとヨーロッパを追われたプロテスタントの国なのに、プロテスタントの宗派でもいくつかあって、ボブ・ディラン[4]もアメリカが保守化していく八〇年代にボーン・アゲイン・クリスチャン[5]になっている。それに加えて州ごとに法が異なり、マイノリティ(黒人やヒスパニック、LGBT)に対して明文的に扱いが異なったりもする。それなのに大統領というトップを選ぼうとする。わたしにはアメリカという国がよくわからない。わからないから少しづつアメリカに関する本を買って読んでいて、これもその買い物のひとつになりそうである。とはいえ、いつ読むのだろうか(わたしは積ん読をしがちである)。
     有楽町にある三省堂で松苗あけみ[6]先生の新刊『松苗あけみの少女まんが道』を買おうとしたが品切れになっていた。松苗あけみ先生のマンガと先生が挿絵を担当していた文学評論を読む高校生時代を送っていたので、わたしにとって松苗先生は大スターである。西荻窪に引っ越してきたころは、松苗先生のご実家があったのが西荻窪だと知らなかったので、大変に驚いた。当時住んでいた部屋の比較的近所で、ご実家の近くには日本のヒッピーにとって聖地のひとつとも言えるナワ・プラサード[7]があって、その正面の小さな路地を歩くと小物屋さん(昨年ぐらいに閉店してしまった)があって、それは松苗先生のお姉様が経営されているという話を聴いたことがある。その横には二郎系のラーメン屋があって、そこで夕食をとっていたことが肥満になった一因だったのだが、よく席で隣り合わせた萱野稔人[8]さんは『ミナミの帝王』を読みながら勢いよく食べても太っていなかった(それどころかダイエットで有名になってしまった)ので、いま思えば運動不足だったのだろう。
     閑話休題。
     わたしの西荻窪物語は本筋ではなく、高校生時代「ぶ~け」[9]を愛読していたので、あの伝説的なマンガ雑誌について知りたくて新刊を探していたのである(九〇年代末、まだ休刊していなかった。山内規子[10]先生が連載を持てた最後の新人漫画家だったんではなかったか。最後のスターは稚野鳥子[11]先生だった)。
     当てが外れたので、書店にあった西寺郷太『始めるノートメソッド』とロルバーン用修正テープ(これはクリーム色で先日から探していたものだ)、フリクションの蛍光ペン、ボールペンを買う。『始めるノートメソッド』はJ-POP/ロックのコーナーに並べられていて、中々見つからなかった。
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  • 読書のつづき[二〇二〇年六月上旬] 「明るいニヒリズム」の喪われた国で|大見崇晴

    2020-10-20 07:00  
    550pt

    会社員生活のかたわら日曜ジャーナリスト/文藝評論家として活動する大見崇晴さんが、日々の読書からの随想をディープに綴っていく日記連載「読書のつづき」。ジョージ秋山の訃報から随想する「明るいニヒリズム」の喪失、BLM運動の騒乱、GoToキャンペーンの迷走など、コロナ禍の軋みが社会の空気を鬱屈させていく中で、大政翼賛会プロパガンダに遡る昭和メディアミックス史の探求をはじめ、淡々と読書は捗ります。
    大見崇晴 読書のつづき[二〇二〇年六月上旬] 「明るいニヒリズム」の喪われた国で
    六月一日
     このコロナで騒ぐ時世に電車を乗り継いで出勤。人混みを避けるように普段より早く出掛けたが日本中が同じように行動しているらしく、品川駅に着いてみるとテレビで見ていたように人でごった返していた。
     大河ドラマの『麒麟がくる』[1]を毎週愉しんで見ているのだが、どうも本当に明智光秀を天海僧正[2]とする説を採用するような画作りになっているように思えてならない。もし、私の思い込み通りであれば、斎藤道三と明智光秀が関わり合いを持つシーンが多いことも合点がいく。本来なら浮世を離れ僧職にある人間が俗世の危機に際しては還俗して泰平に駆け付けるというドラマである。
     ジョージ秋山[3]死去。昭和を代表する「明るいニヒリズム」の持ち主だった。代表作となった『浮浪雲』[4]も、それをパスティーシュした『銀魂』[5]も共に連載自体は終了してしまっている。平成も遠くになりにけり、だ。
     『浮浪雲』が平成の終わり頃に連載を閉じたときは、ニュース番組でも放送され、大きな話題となった。今日日の若者は『浮浪雲』が連載されていた「ビッグコミックオリジナル」[6]という雑誌の性格を知らないだろうから念の為書くが、「ビッグコミックオリジナル」というのは勤労男性が日常をやり過ごすために読まれていた雑誌である。あの雑誌で描かれていたのは、泰平な社会でうだつが上がらない大の大人が、日常の破れ目を探しては日常の有り難みを確認して、泰平な世の中(あちら側からは娑婆と呼ばれる)に回帰するための物語である。そのような処方箋としてマンガが連載されていたのだ。
     『浮浪雲』の主人公・浮浪が幕府転覆の陰謀を察知して未然に防ごうとも、『三丁目の夕日』[7]で登場人物がふとしたきっかけで異界を覗き込んでも、『あぶさん』[8]でアルコール中毒(としか思えない)の景浦[9]が代打で燻っても、景浦の所属する南海ホークスがダイエーに買収されても、景浦の所属するダイエーがソフトバンクに買収されても、景浦が不惑を超えても、景浦がDH制度があるパシフィック・リーグにも関わらず投手として登板することになっても、不惑を過ぎて正選手となっても、平成唯一人の三冠王となった松中[10]を退けて四番打者として景浦が君臨しても、王貞治監督重病のため景浦がヘッドコーチを兼任することになったとしても、日本中のほとんどのひとが関知しない日陰者たちの物語であって、自分は日向の側にいると思っている(か信じたがっている)多くの人々が盲信的に愛しているのは「永遠に不滅」の巨人軍と高度成長期の日本であって、たまさか退屈に思えて倦み飽きたとしても、その豊かさを手放してはならないと気づくために「ビッグコミックオリジナル」は存在し機能してきたのだ。泰平であることに、それ故に娑婆で這い上がるチャンスに巡り会えないなどと、大の大人が嘯くこともないように、「ビッグコミックオリジナル」はそこにあり続けた。「明るいニヒリズム」とは、何をしても世の中が変わらないような泰平の世で、そこから脱落することを恐れるものの諦念である。
     しかし、そうしてみると日本という国が、かつて福田赳夫[11]が「昭和元禄」[12]と揶揄したような自由と豊かさを手放しつつある現在、「ビッグコミックオリジナル」のようなコンセプトの雑誌が成立するか否か。そのような不信を携えて日々私は生き始めている気もする。そうと知っているひとも案外にいないかもしれないが、『総務部総務課山口六平太』[13]は作画担当の高井研一郎の病死によって四年前に連載を終了しているのである。
     三省堂有楽町店で飯田隆『分析哲学 これからとこれまで』[14]を買う。
     ロラン・バルト『S/Z』、『エッセ・クリティック』を注文。
     リリアン・ロス『パパがニューヨークにやってきた』と小野田博一『13歳からの作文・小論文ノート』が届く。

    [1]『麒麟がくる』  二〇二〇年一月一九日から放送されているNHK大河ドラマ。明智光秀を主人公に据え、戦国時代を描く。主演は長谷川博己。光秀の主君である織田信長の正室・帰蝶を演じる予定だった沢尻エリカが違法薬物の使用によって逮捕されたことで放送開始が延期された。代演は川口春奈。新型コロナウイルス感染症の流行から放送を一時中止していた。『ウルトラセブン』を強く意識したサブタイトルが毎回採用されていることで話題を呼んでいる。
    [2]天海僧正 安土桃山時代・江戸時代の僧侶。徳川家康の参謀を務めたとされる。前半生の経歴が不明瞭なため、明智光秀など武将が出家して名乗ったという説が残っている。これらの説は史実とはされていないが、多くのフィクションで採用されている。
    [3]ジョージ秋山 一九四三年生、二〇二〇年五月一二日没。日本の漫画家。戦後の貸本漫画時代から活動した。丸い絵柄を生かした子供向けの作風だったが、劇画ブームと相前後して、『銭ゲバ』、『アシュラ』、『ザ・ムーン』と問題作を次々と発表。同時期に『浮浪雲』の連載を開始し、四十四年間の長期連載となった。
    [4]『浮浪雲』 一九七三年から二〇一七年まで「ビッグコミックオリジナル」に連載されたジョージ秋山のマンガ。幕末を舞台に、元武士の問屋の日常を描く。徳川慶喜や新選組と交流を持っているという設定などは、影響下で執筆された空知秀秋『銀魂』にも流用されている。渡哲也やビートたけしを主演とした実写ドラマ化がなされている。
    [5]『銀魂』 空知秀秋のSF日常マンガで、二〇〇四年から二〇一八年まで「週刊少年ジャンプ」で連載され、二〇一九年に専用アプリで完結した。アニメは人気となり、何度となく制作され、放送された。実写映画化もされた。長期連載ということもあり、BL二次創作の需要が長命だった。
    [6]「ビッグコミックオリジナル」  一九七二年に創刊。月二回発行する小学館のマンガ雑誌。「右手に朝日ジャーナル、左手に週刊少年マガジン」という言葉が生まれたように、週刊少年誌が青年層も読者として掴んだ六〇年代後半を承けて、小学館が刊行した青年マンガ雑誌。一九六八年に刊行を開始した「ビッグコミック」の増刊誌という位置づけだった。
    [7]『三丁目の夕日』 西岸良平のマンガ。一九七四年から連載を開始。二〇一三年からは月一回の連載へと切り替わった。架空の街である夕日町を舞台にしている。絵柄に比して暗めの物語であるため若年層からは存在はそれほど知られていなかった。長期連載となり連載を知る世代が増えた九〇年代にアニメ化、二〇〇〇年代になって実写映画化された。
    [8]『あぶさん』 水島新司の野球マンガ。一九七三年から二〇一四年まで「ビッグコミックオリジナル」で連載された。酒豪の大打者・景浦安武を主人公にしている。実際のプロ野球選手が登場する野球マンガであるが、いわゆる水島マンガと呼ばれる固有の世界で野球の物語は進行している。作者が愛してやまないホークスのシーズンを描いた大河マンガ。主人公・景浦は、『野球狂の詩』などのマンガでも重要な役割を担う岩田鉄五郎(作者水島を投影した人物)のスカウトで、野球界に入る。一九七三年に高校卒の選手として入団したため、景浦は選手として脂が乗った一九九〇年代には三〇代後半だった。連載当初は『野球狂の詩』と同様に、野球にまつわるヒューマンドラマが描かれることが多く、そのためもあってか、景浦は大酒飲みの代打専門の選手として描かれた。走攻守にわたって万能で、人格も優れ、ビートたけしが水島新司に史上最高の野球選手を尋ねた際に「景浦」と答えたとされている。現実と虚構の境目がなくなっていく水島新司作品らしいエピソードである。
    [9]景浦 『あぶさん』の主人公、景浦安武。一九七三年から二〇〇九年までホークス一筋の野球選手だった。大酒飲みの自己管理ができない野球選手という設定は、連載前半までで、後半になるにつれ万能選手という位置づけがなされていく。一九九〇年から一九九三年まで三季連続の三冠王に輝いている。
    [10]松中 松中信彦。一九七三年生の野球選手。平成唯一(二〇〇四年)の三冠王に輝くなど、平成を代表する大打者。ホークスを退団した二〇一五年以後、自由契約となるが契約を結ぶプロ野球球団がなく、現役を引退した。
    [11]福田赳夫 一九〇五年生、一九九五年没。日本の政治家。大蔵省の官僚であったが、一九四八年に戦後を代表する疑獄事件の一つ、昭電疑獄で逮捕される。一九五二年に衆議院選挙に当選し、政治家となる。一九五三年に自由党に入党。自由党の議員らによって自民党が結党された際には、これに参加。一九六〇年に主流派から外れそうになっていた岸派を糾合する形で党風刷新運動を始める。いわゆる派閥解消を掲げているが、実際には新たな派閥運動であった。佐藤栄作政権下では、保利茂・田中角栄とともに政権の要石となる。岸信介は自派閥を継承した福田に政権の禅譲を促したが、絶頂期にあった佐藤はみすみす機会を失ってしまう。この結果、福田は田中に総裁選で破れる。福田が田中角栄よりも十歳以上年長であったことを考えると、この時期の敗北は政権奪取の途が閉ざされる可能性があった。人口に膾炙するキャッチコピーを生むことが多く、「昭和元禄」やインフレ・デフレを名指した「狂乱物価」などがある。タカ派が多いイメージの旧岸派にあって平和主義を唱え、日本赤軍がハイジャックをした際には、人質交渉など過酷な出来事があったが、「人命は地球よりも重い」という言葉を残している。福田の派閥である清和会は平和主義と旧岸派のタカ派政治が主義として混在している、対外的には奇妙な派閥である(福田の息子である福田康夫は、A級戦犯合祀を回避するため靖国神社に替わる国立追悼施設の創設を支持するなど、イデオロギー的に派閥が一枚岩ではない)。田中角栄がロッキード事件によって首相を辞任したのち、大平正芳と密約を結んで福田が先に首相に就いたが、のちに総裁選で二人は争うことになる(大福戦争)。この権力闘争の中、現役の首相のまま大平正芳が急死し、福田は党内でも微妙な立場になる。党内抗争が一息ついた一九八〇年代になると、昭和の黄門を名乗るようになり、日本テレビなどで放映された元首相を囲む会などで、現役最長齢の元総理として怪気炎を上げていた。息子はのちに首相となった福田康夫、孫は衆議院議員の福田達夫である。
    [12] 「昭和元禄」 好景気に浮かれている状況を諭した福田赳夫の造語である。
    [13]『総務部総務課山口六平太』 「ビッグコミックオリジナル」で連載された凄腕の総務課社員を描いたマンガ。原作は林律雄、作画は高井研一郎。一九八六年から二〇一六年の三〇年間連載が続いたが、作画の高井が死去したため、連載を終了した。
    [14]飯田隆『分析哲学 これからとこれまで』 二〇世紀の英米圏で主流となった哲学を分析哲学と呼ぶことが多いが、その潮流の過去と現在について触れた(哲学論文と比すれば)軽めのエッセイをまとめた書籍。分析哲学のイメージからは従来遠かった文学や美学で成果を収めたスタンリー・カヴェルについてのエッセイなど、碩学ならではの文章を読むことができる。出版社が設けた『分析哲学 これからとこれまで』読者のための分析哲学ブックリストには日本の研究者による分析哲学の重要な著作が集められている。


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  • 読書のつづき[二〇二〇年五月第二〜五週] 悪い夢を見ているようだ|大見崇晴

    2020-09-10 07:00  
    550pt

    会社員生活のかたわら日曜ジャーナリスト/文藝評論家として活動する大見崇晴さんが、日々の読書からの随想をディープに綴っていく日記連載「読書のつづき」。八月に訃報の流れた内海桂子師匠の入院に始まり、平田オリザやきゃりーぱみゅぱみゅのネット炎上にまつわる洞察、橋本治の足跡への憧憬、そして検察庁法改正問題が喚起する木堂犬養毅の血脈への随想まで、現代と昭和史を往還しながら令和の不穏への警笛が鳴らされます。
    大見崇晴 読書のつづき[二〇二〇年五月第二〜五週] 悪い夢を見ているようだ
    五月七日
     内海桂子[1]さんが今年の一月から歩行困難で入院したとの報道が出た。舞台に出られるように回復されることを祈る。千葉では三越があったころ、毎年正月に師匠のイベントが催されていたものだ。その場で誰よりも大声で喋るから、いつも活況だった。九十七歳の師匠が元気であれば、われわれも心強い。
     外国の事情に疎い本邦でもバンクシー[2]の名前は徐々に浸透しつつある。六本木ヒルズでイベントが開催されるほどだ。そのうちにバンクシー音頭でも無断で制作されるのではないか。そういう火事場泥棒的な面が日本にはある。
     インターネット上で「カシオミニ」というワードがバズっていたので、何があったかと思ったが、コロナ中の連休向けに白泉社が『動物のお医者さん』[3]を無料公開していたらしい。わたしは「カシオミニ」よりも「おれはやるぜ」の印象が強く記憶に残っているが、なんにせよ、そうしたフレーズが集団で思い出されるように、このマンガは名作である。今後も読まれてほしい。
     高見順の年譜を確認していたら、荷風が市川に引っ越した前後で、高見順も稲毛に引っ越していた。微妙に近い地域に住んでいて、この二人の作家は付かず離れずだったようだ。
    「山田ルイ53世のルネッサンスラジオ」[4]が放送六百回記念ということで、文化放送で特番となった(普段はポッドキャストでないと聴くことができない)。本番組のヘヴィーリスナーとして知られる東野幸治がゲスト出演していた。東野氏曰く「まぼろしラジオ」[5]の原型は「ルネラジ」にあるらしい。そこに驚いたが、ヘヴィーリスナーならではの反応で、構成作家ウノT氏について触れ、松原うどん氏についても語るというディープさだった。たしか、わたしは松原うどん氏の名刺を持っているはずだが、そんな関心を持っているのは檀家(ルネラジリスナーのこと)ぐらいのもので、ヘヴィーリスナーには楽しい放送だったが、これは果たして地上波で流す放送だったかどうか。「ラストメッセージ」のコーナーも、もっと常連以外にも愉しみやすい単体で成立するものがよかったのではないか。
     ヤフオクで落札した橋本治『武器よさらば』を読んでいるが、この本はとびきりに奇妙な本だ。固有名詞がたくさん伏せ字になっているのだが、なぜそのような私信を書籍化しようと思ったかは、わたしなんかにはわからない。そして困ったことに、わたしは伏せ字の内容を手にとるようにわかってしまうのだ。新人類だニューアカだなんだと世間が浮かれていた八〇年代の日本で、橋本治はこんなにも醒めきって世の中を見ていたのかと驚くし、左右関係なく権威ある出版社と仕事をすることに距離を置こうと自らに誓っていたことにも驚かされた。いつか橋本治の全集が編まれる日があるかもしれないが、そのときには使い走りでもよいから手伝いたいと、改めて感じた。
     そろそろ寝るかと思っていたところに岡本行夫[6]氏急逝の報。新型コロナに感染してとのこと。あまりのことに喪失感が大きい。まだ、この国の将来を指し示してほしかった。

    [1]内海桂子 一九二二年生(とされる)、二〇二〇年八月二二日死去。日本の喜劇人。内海好江とのコンビで人気を博す。学長を務めていた今村昌平とのつながりから横浜放送映画専門学院(現:日本映画大学)で講師を務める。講師時代にウッチャンナンチャンを見出し、自身の所属事務所であったマセキ芸能社を紹介する。内海好江が一九九七年に胃癌で死去。以後も漫才協会会長(のちに名誉会長)として活躍。ナイツを弟子に迎え、彼らにモノマネや近況エピソードを語られることなどで、再度脚光を浴びる。Twitterアカウントを開設し、活発な投稿があったことから若年層からも注目された。都度、時代に適合しながら自分を変えず、昭和・平成・令和と活躍を果たした。
    [2]バンクシー 生年月日不明のアーティスト。二〇〇一年頃から壁にペイントした作品などが見つかりだす。二〇〇五年にヨルダンで作品が見つかり話題を呼ぶ。二〇一〇年にバンクシーを追った映画「イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ」が発表される。二〇二〇年日本でバンクシー展が開催される。
    [3]『動物のお医者さん』 佐々木倫子が一九八七年から一九九三年に雑誌「花とゆめ」に連載したマンガ。北海道で獣医師を目指す青年たちを主人公にしている。主人公公輝が飼っている犬種シベリアンハスキーが大いに人気を博すきっかけとなった。テレビドラマ化された際には、主人公の祖母・タカ役に岸田今日子、恩師である教授・漆原には江守徹が配役されるなど、原作のイメージを壊さないキャスティングが好評となった。
    [4]「山田ルイ53世のルネッサンスラジオ」 通称「ルネラジ」。二〇〇八年に放送を開始し、現在は主にポッドキャストによる配信が主となりながら六〇〇回を突破した。文化放送制作の番組であるが、文化放送で放送されることはあまりない。二〇〇九年のナイターオフの時期には土曜日のゴールデンタイムに放送をしていたが、先輩番組にあたる「アニスパ」のパーソナリティ浅野真澄・鷲崎健をゲストに迎えた際に、放送枠が何度か変わったことを伝えると、局から期待されていないとアドバイスをされたが、そのとおり以後流浪の番組と化す。文化放送で制作しながら文化放送で放送されないポッドキャスト番組であり、制作に関わった関係者も他局に移籍するなど、苦難に満ちた放送を続ける。それでも縋り付くように聞き続けたリスナーは、髭男爵山田ルイ53世の熱心な信奉者であることから「檀家」と呼ばれるようになった。スカパーの広告枠を取り付けるなどして、以後もゲリラ的な放送をしていたが、一発屋芸人ならではの過酷なロケや悲惨な営業をぼやいていたが、それを「新潮45」の編集者が聞きつけて日本ジャーナリスト大賞に輝く「一発屋芸人列伝」の連載へと繋がった。なお、「一発屋芸人列伝」連載時の編集者らは新潮社を退社しており、それが一層とこの番組の印象を禍々しいものとしている。神州纐纈城のごとく、地下にて生き血を啜り命脈を保つ。
    [5]「まぼろしラジオ」 二〇二〇年二月二三日に東野幸治がラジオを放送したいという衝動に駆られて放送を開始したYoutube番組。「檀家」リスナーでは周知されていたことだが、数少ない芸能人での「ルネラジ」リスナーである東野幸治が、「ルネラジ」のフォーマットを参考にしながら放送したことが驚かれた。
    [6]岡本行夫 一九四五年生、二〇二〇年没。日本の外交官、実業家。東西冷戦が終わり、新世界秩序が叫ばれた時代に、日本を代表する外交官として活動。インターネットなど新時代の技術を用いた産業を目の当たりにしたこともあり、インターネットビジネスを日本で普及させるにあたって助力した。『岡本行夫 現場主義を貫いた外交官 90年代の証言』に詳しい。

    五月八日
     亡くなった岡本行夫氏のことは、五百旗頭真先生がオーラルヒストリーを担当した『岡本行夫 現場主義を貫いた外交官』が面白かった。ああいう本はもっと読まれてもよいと思う。
     平田オリザ[7]氏のTwitterでの振る舞いや発言が話題になっていた。批判があるのも納得する内容である。実際、現在の製造業のことを知らないで平田氏は呟いてしまったのだと思う。氏のそばにいるひとはさっさとアカウントを取り上げるべきだと思う。
     「布製マスクの都道府県別全戸配布状況」という厚生労働省のWebページを眺めてみたが、中小企業の新入社員がコピペで作ったような代物で、この国の将来を本格的に憂えてしまうものだった。官僚機構は誰の目にも明らかなほどボロボロになっている。
     PLANETS初期からのメンバー(という書き方はをするのは、いくらなんでも「同人」という言葉は古めかしいからなのだが)、藤谷千明さんが、十代を装ったアカウントを用いて、人気アーティストの名前を悪用している副業マルチアカウントを追跡した記事を書いているが、これが滅法矢鱈と面白かった。ぜひ多くの人に読んでもらいたい。
     TBSラジオのCMに、過去の番組放送をリミックスしたものが使われているのだが、わたしはこれがとても好きだ。が、今日になって驚いたのは、このリミックスがRAM RIDER[8]氏の手によるものだったからだ。RAM RIDER氏というと、勝手ながら、わたしにとっては文化放送の印象なのである。きっと、多くの人にとってはなんで文化放送なのだ?と思うかもしれないが、そんなことは知ったことではない。折を見ては「ポアロのあと何分あるの?」に出演して、ポアロの楽曲をミックスしてきたRAM RIDER氏を知っているものとしては、ポアロの二人が多く出演している文化放送の印象が強いのだ。それでもって、水道橋博士のメルマガに連載を持っていることを含めて、高円寺的なひとという印象である。Skypeが登場するか否かぐらいからネットラジオや配信を見ていた──つまりニコニコ動画やYouTube以前である──世代からのリスナーにとっては、RAM RIDERというのは、あのRAM RIDERなのである。
     ふと気づいてしまったのだが、みずほ銀行の元頭取がNHK会長に就いた翌年に渋沢栄一を主人公にした大河ドラマを放送するというのは、問題が生じないのだろうか。いや、放送を決定したのは元頭取がNHK会長に就任する前だから問題はないのだが、放送内容について不要な介入がなければよいのだが、と心配をしてしまうのである。わたしのようにNHKに料金をきちんと払っていた人間としては、私企業との利益相反なく、クリエーターが誇りをもって仕事に迎える環境を作っていただきたいな、とNHK会長に対して望むのみなのである。
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  • 読書のつづき[二〇二〇年五月第一週] 大型連休に為する事|大見崇晴

    2020-08-06 07:00  
    550pt

    会社員生活のかたわら日曜ジャーナリスト/文藝評論家として活動する大見崇晴さんが、日々の読書からの随想をディープに綴っていく日記連載「読書のつづき」。緊急事態宣言が延長され、例年繰り返してきた読書生活のリズムにも狂いが生じる大型連休。ステイホームで部屋掃除ばかりが捗る中で、往年のテレビバラエティの旗手らの変調や世間の「カモ」たちの動向を横目に、歴史なるものの功に思いを馳せます。
    大見崇晴 読書のつづき[二〇二〇年五月第一週] 大型連休に為する事
    五月一日
     部屋片付け。カルペンティエール『方法異説』[1]、チェスタトン[2]『チョーサー』[3]が見つかる。独裁者もの[4]が読みたくなっていた昨今だから、ちょうど良かった。
     長谷川宏[5]訳のヘーゲル『美学講義』[6]を落札。
    「全力!脱力タイムズ」がテレワークを前提としたコントを放送。この手のものではいち早い。
     注文しておいた以下の書籍が届く。
    ・デイヴィッド・ロッジ[7]『絶倫の人 小説H・G・ウェルズ』 ・ロバート・ブレイク『英国保守党史』 ・ジャン・クリストフ・アグニュー『市場と劇場』
     ロッジとブレイクの本は、第二次世界大戦前、カズオ・イシグロが描いた過去のイギリスが描かれているようなもの。イギリスという国は二つの大戦を経て、植民地を手放し、連合王国の栄光を失った。世界の覇権というものがあるならば、第一次世界大戦が終戦したあたりでイギリスからアメリカ合衆国に、それは移行している。そうだとしても、当時のイギリスは依然として植民地を多く抱えた宗主国に変わりなかった。
     パンク・ロックを代表するボーカリストであるジョン・ライドン[8]はザ・キンクス[9]のファンとして知られている──このこと自体が英国の複雑さを物語っている。ジョン・ライドンは家系をたどればアイルランド移民であり、差別の対象だったわけであるから──が、キンクスには『アーサー、もしくは大英帝国の衰退ならびに滅亡』という名盤がある。このアルバムは、イギリスの絶頂期にあたるヴィクトリア女王の時代が過ぎ去り、オーストラリアに移住する家族の物語をコンセプトに作られた。発売されたのは一九六九年だが、ビートルズが『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』[10]を発売したのが一九六七年だから、それから二年遅れてのことになる。ロック史、というよりは商業音楽史の重要なエポック・メイキングのことなので、さも常識のように『サージェント・ペパーズ』と略されるビートルズのアルバムは、レコードアルバムが楽曲を集めたコンピレーションというものから、コンセプトに沿って録音された芸術であると、多くの聴衆の理解(受容意識)を変えた作品だった。
     ある意味においてはへんてこなことである。イギリスのロックシーンは世界を席巻しているのである。しかしキンクスは「大英帝国の衰退」を歌わなくてはいけなかった。このへんてこさは当時のイギリスを考えると理解ができる。ビートルズは一九六五年にエリザベス女王から勲章を受章したが、これはイギリスがビートルズのレコードで外貨を多く獲得できたからというものだ。それほどまでに商業音楽というものは巨大化していたわけだが、イギリスはすでにして工業において他国に遅れを取り始めていた。だからこそビートルズの輝きは、より鮮明に思われたわけである。産業革命が起こった国であるイギリスは、脱工業化のまっただなかにあった。工業と貿易で世界に覇を唱えたイギリスは国のつくり自体を大きく変えなくてはいけなかった。それゆえの「衰退」であり、オーストラリア行きである。そのオーストラリアは、形式的にはイギリス国王を君主としているからイギリスみたいなものだが、二〇世紀には実質的には独立国家になっている。イギリス本国にとって、領土の開墾という意味よりも、富の源泉である国民が流出しているという意味のほうが大きくなっている。
     連合王国であるイギリスの悩みというものを、小説や演劇などよりも、ポップ・ミュージックであるロックがわかりやすく、かつ芸術的に成立したものとして表現してしまうのが、第二次世界大戦のイギリスである。レコードを中心とした音楽産業はイギリスを抜きにして語ることが難しいだろう。しかし、大戦後の小説をイギリス抜きでも語れてしまいそうなぐらいには、目立たなくなっていく。その理由はいったい何なのだろう。

    [1]『方法異説』 キューバの作家アレホ・カルペンティエールが一九七四年に発表した長編小説。小説は水声社から寺尾隆吉の訳で二〇一六年に刊行された。「啓蒙的暴君」である架空の独裁者を描く。
    [2]G・K・チェスタトン ギルバート・キース・チェスタトン。イギリスの作家、評論家。一八七四年生、一九三六年没。熱心なカトリック信者としても著名。推理小説の古典となっている「ブラウン神父」シリーズは彼の手によって生まれた。一九〇九年に発表した『正統とは何か』はキリスト教擁護論の古典であり、多くの保守主義者が参照する一冊となっている。
    [3]ジェフリー・チョーサー イギリスの詩人、外交官。一三四三年ごろに生まれ、一四〇〇年没する。ボッカチオの物語集『デカメロン』の影響を受け、『カンタベリー物語』を執筆した。未完となったが『カンタベリー物語』はイギリスを代表する文学作品として評価されている。
    [4]独裁者もの(独裁者小説) 第二次世界大戦後、植民地だった地域はそれ以前から引き続き次々と独立したが「開発独裁」と呼ばれる軍事力を背景にした独裁政権が多かった。ラテンアメリカも多分にもれず独裁国家が多かったため、一九七〇年代に体制を皮肉った文学が流行を見せた。代表的な作品はカルペンティエール『方法異説』(一九七四)、アウグスト・ロア=バストス『至高の存在たる余は』(一九七四)、ガブリエル・ガルシア=マルケス『族長の秋』(一九七五)など。
    [5]長谷川宏 日本の在野研究者。一九四〇年生。一九六八年東京大学大学院哲学科博士課程を終了。学生運動に参加したこともあり、大学に就職しなかった。一九九〇年代から読書会の成果であるドイツ哲学者ヘーゲルの翻訳を続けて刊行する。訳書はヘーゲル『哲学史講義』(一九九二~一九九三)、『歴史哲学講義』(一九九四)、『美学講義』(一九九五~一九九六)、『精神現象学』(一九九八)など。
    [6]『美学講義』 ヘーゲルがベルリン大学で開いていた美学の講義を、受講していた学生のノートを元に書籍化したもの。一般的には聴講生だったホトーのノートに依拠したものが広まっている。近年シュナイダーという速記者が残したノートを元にした講義録も出版されている。
    [7]デイヴィッド・ロッジ イギリスの作家、英文学者。一九三五年生。一九九八年に長年にわたる功績から大英帝国勲章が授けられた。大学の研究者を題材にとった『交換教授』などで知られることになったが、近年はヘンリー・ジェイムズやH・G・ウェルズの伝記小説を著している。
    [8]ジョン・ライドン イギリスのミュージシャン。一九五六年生。ニックネームは「ジョニー・ロットン」で、この名前で呼ばれていた時期にセックス・ピストルズに参加。一躍パンク・ロックの代名詞的存在となる。アイルランド系移民の子供で、幼少期に差別を受ける。七歳で髄膜炎を患って昏睡状態に陥るなど弱者の立場を経験していた。衰退にあるイギリスで体制(現状)を皮肉った「アナーキー・イン・ザ・UK」、「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」、「プリティ・ヴェカント」などの作詞を手掛ける。過激な詞が原因で保守派の暴漢からナイフで襲われた。セックス・ピストルズ脱退時に「ロックは死んだ」と発言し、このことは広く知られることになった。脱退後は、クラウト・ロックと呼ばれた西ドイツの実験的なロックや、ジャマイカで生まれイギリスでも独自に発展していたダブを愛好していた友人らとP.I.L.(パブリック・イメージ・リミテッド)を結成。一九九三年と二〇〇七年にセックス・ピストルズを再結成したが、そのたびに「金のためだ」と取材に応えた。二十一世紀に入るとリアリティーショーに多く出演し、テレビタレントとしてを活動の領域に加えた。女性ミュージシャンへのリスペクトが多いことでも知られ、スリッツやレインコーツ(のちにソニック・ユースのメンバーとなるキム・ゴードンが所属)を評価し、後押しをした。
    [9]ザ・キンクス イギリスのロックバンド。一九六四年にレイとデイヴのデイヴィス兄弟によって結成された。オアシスがデビューする以前は兄弟仲の悪いバンドの代名詞のように必ず名前が挙がっていた。デビュー年のシングルである「ユー・レアリー・ガット・ミー」はヴァン・ヘイレンによってカバーされた名曲。ディストーションサウンドを広めた楽曲として知られる。「ウォータールー・サンセット」は男女の恋愛風景を描いた名曲として知られる。七〇年にヒットした「ローラ」は自分を誘惑した美女が実は男性だったことを歌ったもので、ミュージカル「キンキー・ブーツ」に影響を及ぼした。
    [10]『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』 ザ・ビートルズのアルバム。一九六七年に発売され、グラミー賞では「最優秀アルバム賞」、「最優秀コンテンポラリー・パフォーマンス賞(ロック部門)」、「最優秀ポップ・ボーカル・アルバム賞」、「最優秀アルバム技術賞(クラシック以外)」、「最優秀アルバム・ジャケット賞(グラフィック・アート部門)」を受賞した。架空のブラスバンド「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のショウを収録したレコードというコンセプトをとっており、バンドの自己紹介からアンコール曲で締めくくられる構成となっている。

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