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『もしドラ』のヒットから見えてきた、日本社会の“転倒”した高校野球観|中野慧
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『もしドラ』のヒットから見えてきた、日本社会の“転倒”した高校野球観|中野慧

2021-04-01 07:00
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    本日お届けするのは、ライター・編集者の中野慧さんによる連載『文化系のための野球入門』の第6回「『もしドラ』のヒットから見えてきた、日本社会の“転倒”した高校野球観」。
    なぜ高校野球には「感動」が求められるのか。『もしドラ』のヒットに象徴されるこの倒錯した野球観の背景には、ゼロ年代以降の保守反動思想の隆盛、感動を呼び起こす装置としての独特な「儀礼」が存在すると指摘します。

    中野慧 文化系のための野球入門
    第6回 『もしドラ』のヒットから見えてきた、日本社会の“転倒”した高校野球観

    『戦争論』『ドラゴン桜』で描かれた「アイロニカルな保守主義」

     前回、2000年代の高校野球ブームの背景には、実際の高校野球や高校球児が「爽やか」であるかどうかはどうでもよく、「嘘だとわかっていても」「あえて」そこに没入してみせる「アイロニカルな没入」という消費様式がある、ということを述べました。

     では、なぜ00年代、高校野球への「アイロニカルな没入」が起こったのでしょうか。
     松坂大輔率いる横浜高校が様々なドラマを乗り越えて全国制覇を成し遂げたまさに1998年の夏、日本の文化空間でエポックメイキングな現象が起こっていました。
     そう、漫画家・小林よしのり氏が時評漫画『ゴーマニズム宣言』のスペシャル版である『新ゴーマニズム宣言Special 戦争論』で、第二次世界大戦時の日本の戦争、つまり「大東亜戦争」肯定論を展開し、大論争となったのです。
     それまでの日本社会では「先の大戦で日本が犯した侵略戦争を肯定するなんてありえない」──つまり、思想用語で言うところの「戦後民主主義」が非常に強い影響力を持っていました。しかし、小林氏の著作はその風潮に風穴を空けたわけです。それまでタブーだった「先の大戦で日本は良いこともした」「正義の戦争でもあった」といった言説が、やがて「言ってもいいこと」になっていきました。
     なぜ突然、そんな政治的・思想的な話題が出てくるんだ!? と思われるかもしれません。しかし、後に詳しく述べるように、日本における野球の普及と定着を分析する上で「戦前日本のイデオロギー」、そして「戦後民主主義」について理解することは極めて重要であると私は考えています。
     そして「戦後民主主義」というものは、一義的な定義は難しいですが、基本的には戦後に制定された日本国憲法の精神に則ったものといえるでしょう。改めておさらいすると、日本国憲法の三大原理は「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」です。そして、この日本国憲法に基づいて制定され、戦後民主主義のもうひとつの柱となった法律が「教育基本法」です。そして戦後民主主義に挑戦するというのはすなわち、「日本国憲法」「教育基本法」に謳われている「人権思想」などの価値観に挑戦するということでもあるわけです。現在、この『戦争論』がきっかけとなって、いわゆる「ネット右翼」が生まれたとされています。
     そして6年後の2004年、あるひとつの漫画がこちらも社会現象といえるほどの大ヒットとなりました。それが、東大合格を目指す受験漫画『ドラゴン桜』(2003〜2007年)です。
     『ドラゴン桜』は、それまで日本社会を覆っていた「戦後民主主義教育」を痛烈に批判した点が特徴的でした。戦後民主主義的な教育観の現れのひとつとして「人間を学歴で差別するのは非人間的だ。学歴なんかよりも大事なこと、教育が実現すべき価値がある」という言説があることは、広く理解されていることと思います。
     しかしドラゴン桜の主人公・桜木は「そんなのは綺麗事だ。実際に日本社会には厳然として学歴差別があるのだから、そのゲームシステムを上手く活用して成り上がっていくべきだ」ということを説いていくわけです。
     ちょうど『ドラゴン桜』の前年に、SMAPの「世界に一つだけの花」が大ヒットし、「ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン」という歌詞が多くの人を捉えていました。「世界に一つだけの花」は、まさに戦後民主主義の価値観を最大限に表現したものなわけですが、『ドラゴン桜』の桜木は、「オンリーワンなど幻想だ」「バカとブスは東大に行け!」と、戦後民主主義的な価値観に対する強烈なアンチテーゼを打ち出し、それが社会的な支持を得ていったわけです。
     『戦争論』『ドラゴン桜』ともに、「戦後民主主義への挑戦」という要素を持った、新しい保守主義の立ち上がりが、ブームを後押ししていたと考えられます。
     そんな世相のなかで、明らかに「前時代的」「保守的」「軍国主義的」なものの象徴のひとつであった高校野球が、「アイロニカルな没入」の対象となり、人気と求心力を高めていった──というのが私の見立てです。
     『ドラゴン桜』の作者・三田紀房自身は、以前から『クロカン』(1996〜2002年)、『甲子園へ行こう!』(1999年~2004年)など、高校野球をテーマにした作品を発表し続けていました。そんな三田の高校野球漫画の総決算となったのが、『ドラゴン桜』の少し後、2010年から2015年にかけて「週刊ヤングマガジン」で連載された『砂の栄冠』でした。
     同作は、透徹したリアリストである主人公の高校球児が、表面的には「爽やかな理想の高校球児」を演じつつ、裏側であらゆるダーティーな手段を講じて、デスゲームとしての高校野球をサバイバルしていく姿を描いたものでした。そう、『砂の栄冠』はまさに、『ドラゴン桜』的な社会観をベースに高校野球を表現した作品となっていたのです。

    スポーツマンシップよりも“ゲームズマンシップ”がつねに優先される高校野球

     毎年、高校野球に関するさまざまな論評が発表されていますが、00年代以降は特に、「反リベラル」な価値観を臆面もなく肯定するようになっていきました。
     たとえば野球界の感覚を知らない方からすれば驚くべきことだと思いますが、高校野球を含むアマチュア野球の世界では、しばしば「体罰の是非」が論争になっています。そもそも体罰というのは、教育基本法と同時期に制定された学校教育法で明確に禁止されているものであり、本来は「是非の議論」など成り立ち得ないものです。にもかかわらず、野球界だけでなぜか「体罰にも良いところはある」という議論が、大手を振って主張されている状況があります。


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