お笑いコンビ、ザ・ギースの高佐一慈さんが日常で出会うふとしたおかしみを書き留めていく連載「誰にでもできる簡単なエッセイ」。
今回は高佐さんの思い描く「究極の幸せ」について。夜眠る前にある料理を思い浮かべることが、キングオブコント優勝にも匹敵するほどの幸福なんだとか。
高佐一慈 誰にでもできる簡単なエッセイ
第26回 究極の幸せ
夕食におでんを作った。
月に一度くらいのペースだろうか、時間に余裕のある日に作る傾向がある。
食材費は安く、簡単にできるので、週に一度でもいいくらいなのだが、これからも長く付き合っていきたいので、飽きないように月一くらいに収めている。
土鍋に水を入れ、昆布でダシを取り、白だしとめんつゆを入れ、火にかける。沸騰したら、大根、ちくわ、糸こんにゃく、たこ天、じゃがいも、ロールキャベツを鍋いっぱいに敷き詰め、蓋をして弱火でコトコト。
自分の好きなメンバーで具材を固め、できるだけたくさん作る。次の日の朝も食べれるようにだ。
土鍋の蒸気口から湯気がフンフン噴き出すのを横目に、箸や食器をこたつの上に並べる。冷蔵庫から缶ビールを取り出し、グラスに注ぎ、こたつに入って、一口、二口と飲む。苦味のある爽やかな炭酸が喉を通っていく。
そうこうしている内に、おでんは出来上がる。
蓋を開けると、真っ白な湯気の塊で、一瞬視界が遮られる。その直後、さっきよりも膨らんだ具材たちがぎゅうぎゅうになりながら、大きな鍋の中でグツグツと踊っているのが目に入る。
僕は火を止め、器に装う。
食べる。つゆの染み込んだ大根、ホクホクのじゃがいも、ブヨブヨに膨らんだたこ天。
美味い。特に冬の寒い日に食べるおでんは格別だ。
奥さんが帰ってきた。玄関のドアを開けるなり、鼻をクンクンと鳴らす。
「おでんだ!」
つゆが滴るちくわ、食感の良い糸こんにゃく、少しほつれたロールキャベツ。
器に装い、奥さんも食べる。
テレビを見ながら、二人でダラダラと過ごし、寝る時間に。
パジャマに着替えた僕は、電気を消して布団に入った。
目をつむると、土鍋に半分残ったおでんのことで頭がいっぱいだ。
おでんのつゆは、熱が冷めた時に、具材にぎゅーっと染み込んでいく。だから一晩寝かせると美味しくなるのだ。
「ああ、朝起きたら、鍋におでんがある!」
人生で一番幸せだなと感じる瞬間は、どんな時ですか? と問われれば、僕は間違いなく
「二日目のおでんを残して布団に入った時」
と答える。考えれば考えるほど、この瞬間が最強なんじゃないかと思う。これ以上幸せな瞬間なんてあるだろうか?
例えば、子供の頃。クリスマスイブの夜、布団に入った時。
明日の朝、目が覚めたら枕元にプレゼントがあることを想像し、ワクワクして眠りにつく。希望に満ちた幸せな瞬間だ。
しかし、どうだろう。サンタさんからのプレゼントが、確実に自分の欲しているものである保証はどこにもない。ガッカリする可能性だって孕んでいる。
現に僕が子供の頃、サンタさんに当時流行っていた「人生ゲーム」をお願いしたのだが、彼からのプレゼントは、「人生ゲーム平成版」という、僕が思っていたものとは少し違うものだった。友達の家で夢中になって遊んだそれとは、色や形、仕様が違っていることに「これじゃないんだよなあ」と、首をひねりながら遊んだ記憶がある。
その点、【二日目のおでんを残して布団に入った時】には絶対的な安心感がある。台所の、コンロの上の、鍋の中に鎮座するおでん。まるで聖母マリアのようだ。次の日の朝、蓋を開けたら、中におでん平成版が入っていた、なんてことはない。思い描くおでんがちゃんと入っている。