今日の「羽鳥慎一モーニングショー」も、森友学園の分析をとことん深堀りしていて面白かった。
官僚組織というものが寺脇研のおかげでよく分かるし、官僚の頭の良さもわかる。
いかに官僚がのちのちの事態の変化に供えて、周到に策を練っているかよく分かるし、それを書類にいかに反映させているのかも分かって、ほとほと感心する。
この番組は本当に勉強になる。 

しかし優秀な官僚がいかに用意周到な文面作成を行っていたとしても、一般庶民が直感で変だと感じる部分はやっぱり変なのだ。

政府が、籠池家から谷査恵子氏に送られた手紙の封書だけ見せて、中の文面を公表しないのは変だと思っていたが、それが私信で許可をとってないというだけの理由でもあるまい。
テレビディレクターの両角氏が指摘しているように、未だに挨拶分の一枚目が公表されないのも変である。
野党はぜひこれを暴いてほしい。 

そしてなんといっても財務省や国交省に、資料は残されているはずだから、これを提出しなければ変だ。
かつて薬害エイズ運動に関わったが、あのときも厚生省が隠していた非加熱製剤をめぐる議論の資料が、菅直人氏の一喝によって出てきたことがあった。
官僚は資料を安易に破棄したりしない。それをやっていたとしたら、官僚が劣化している証明になってしまう。

現在、資料を政府ぐるみで隠ぺいしていることこそが、安倍首相にとっての「不都合な真実」が存在することを証明しているのだ。

谷査恵子氏は立派に「公務」として、安倍昭恵の指示で各省に問い合わせ、各省は安倍夫人の意向だからこそ、素早く動いた。
こんなことは庶民目線から見ても分かる。
一般的な社会常識として分かるレベルのことだ。 

この件に関しては「忖度」ではない。
安倍昭恵が首相並みの権限を持っているからこそ、各省庁は指令を受けたと思って動くのだ。
もちろん夫人の後ろには首相の意向があると認識するのが「忖度」なのかもしれないが、実際に首相の意向だった可能性も捨てきれない。

安易に「忖度」という言葉を使用しない方がいいなと最近、思うようになった。
先日の「時事放談」で元財務大臣の藤井裕久氏が、官僚は前例踏襲主義の権化であって、「忖度」なんてしないと断言していた。
「忖度」とは「融通無碍」であって、そんなことを官僚がやっていたら、確かに国家システムは整然と機能しなくなるのかもしれない。

橋下徹氏は「役人は僕のことを忖度していた」と言っていたが、大阪府や市のレベルではそんなこともあるのかもしれない。
役人としてそれが優秀なのかと言えば、問題がある。
少なくとも国家レベルの超優秀な官僚にあっては、「忖度」ではなく、上からの「指示」のときだけ動くのだろう。

つまり、安倍夫人の「指示」は、安倍首相の「指示」なのだ。
だからこそ政府は谷査恵子氏のやったことを「公務」と認めない。ここは重要なポイントだ。
安倍首相や昭恵夫人の指示は「公」ではなく、「私」なのだ。
公私混同で、森友学園を優遇する支持を出して、官僚機構を悪用してしまった。
谷査恵子氏はあくまでも「公務」だが、首相や昭恵夫人は「私的行為」である。
谷査恵子氏は、安倍夫妻の「私的行為」の犠牲にされたのだ。 

権力とはまことに恐ろしい。
各テレビ局も、アッキード事件については、まだまだ議論することはあるはずだ。
権力の不当な行使を監視するのは、メディアの役割だ。
民主主義を健全に運用するには、国民の側の責任も大いに問われている。

 

 

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