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第303号 2019.2.12発行

「小林よしのりライジング」
『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが現代社会を鋭く分析「トンデモ見聞録」や小説「わたくしのひとたち」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)

【今週のお知らせ】
※「ゴーマニズム宣言」…平成は、小林よしのりの時代だったのだ!『おぼっちゃまくん』アニメ化に始まり『ゴーマニズム宣言』連載スタート、表現の自主規制問題、薬害エイズ問題、オウム事件、「つくる会」運動、『戦争論』発売から歴史認識問題、『台湾論』発売からブラックリストの男へ、そしてイラク戦争の開戦…。小林よしのりを見れば平成がわかる!!
※「泉美木蘭のトンデモ見聞録」…セブンイレブン、ローソン、ファミリーマートのコンビニ大手3社すべてが、今年8月末までに「成人向け雑誌」の販売を中止すると発表した。その理由は「来店客の女性の割合が増えた」「訪日外国人が増加している」「東京オリンピック・パラリンピック、大阪万博など国際的なビッグイベントが控えている」。コンビニでの成人向け雑誌販売中止は果たして正しい決断なのか!?
※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」!安倍首相の「悪夢のような民主党政権」発言をどう思う?民間企業、官僚、政治家の不正が次々と問題になっているけど、この状況はいつかは好転する?バカッターが増えているのは何故?相次ぐバイトテロの発生…子供はどう教育すべき?仕事に行き詰った時など奥様に甘える事はあるの?児童虐待はどう解決すべき?…等々、よしりんの回答や如何に!?


【今週の目次】
1. ゴーマニズム宣言・第312回「平成のわし、活躍しまくり」
2. しゃべらせてクリ!・第260回「御坊家雪まつり! 巨大雪茶ルマを見に来んしゃい!の巻〈後編〉」
3. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第114回「コンビニでの成人向け雑誌販売中止について」
4. Q&Aコーナー
5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
6. 編集後記




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第312回「平成のわし、活躍しまくり」

 平成って、わしがすごく活躍した時代だったのよ、知ってる?
 先日は保守思想誌「表現者クライテリオン」が「平成の小林よしのり」でインタビューに来たし、今度は西日本新聞が「平成の小林よしのり」でインタビューに来ることになっている。
 それで意識したのだが、平成は、小林よしのりの時代だったのだよ。

 そういえば『おぼっちゃまくん』のテレビアニメ放送開始は、平成元年1月15日だった。
 1989年1月15日のスタートは前年から決まっていたのだが、昭和天皇の御病気で全国を上げての自粛ムードになってしまい、こんなアニメが放送できるのかと危ぶまれた。
 そして昭和64年(1989)1月7日、昭和天皇崩御。
 これはもう放送延期もやむなしかと思っていたら、その後、自粛ムードは予想外に早く解消して、1週間後には世の中の雰囲気もほぼ平常通りに戻り、放送は予定通り開始された。
 そんなわけで、決して意図してそうなったわけではないのだが、『おぼっちゃまくん』は「平成最初のテレビアニメ」となったのだった。
 思えば、手塚治虫が死んだのが平成元年2月9日。手塚は昭和3年生まれだったから、ほとんど昭和と共に生まれ、昭和と共に逝ったようなものだ。
 手塚治虫の昭和が去り、小林よしのりの平成が来た…なんて言ったら、さすがに言い過ぎか?
 その平成も、再来月いっぱいで終わりを迎える。
 そんなわけで、今回は平成のわしの活躍を、年ごとに振り返っておこうと思う。なお、登場する人物の肩書等はすべて当時のものである。

平成元年(1989)
 テレビアニメ『おぼっちゃまくん』放送開始。
 この年、わしは『おぼっちゃまくん』で第34回小学館漫画賞児童向け部門を受賞した。
 しかし審査員の老漫画家が講評で「絵は下手だし品はない」「次回からはヒットしているとか、アニメになったとか関係なしに選びたい」とボロクソ言ったためにブチキレて、受賞スピーチで「絵が下手で、品のない漫画を描いて漫画賞をもらった小林です。この漫画賞の汚点になるかもしれないのに、わしの作品に賞を与えてくれた審査員の勇気に感謝します」と皮肉をかました。
 これはかなりの問題になったようで、次回から審査員は総入れ替えになった。
  
平成2年(1990)
 アニメが大ヒットとなり、『おぼっちゃまくん』を描きまくっていた。
「コロコロコミック」は月刊誌だが、本誌の他に別冊、増刊にも描いていたし、コロコロの初代担当編集者が移動していた関係で「小学4年生」でも連載、他にも「少年サンデー」や、コロコロの妹雑誌「ぴょんぴょん」(というのがあったらしい)に出張掲載したこともある。
 時はまさにバブル絶頂期で、『おぼっちゃまくん』は完全に時代を捉えていた。

平成3年(1991)
 この年も『おぼっちゃまくん』を描きまくっていた。
 そして『おぼっちゃまくん』のヒットによって、『東大一直線』をはじめとする過去の作品が続々と新装版で出版されていった。
 一方、月刊誌「宝島」でも、『おこっちゃまくん』というタイトルの見開き2ページのエッセイ漫画を描いていたが、編集者が作品を全く理解していないので、嫌になって自分で連載を打ち切った。
 すると、「週刊SPA!」の渡邊直樹編集長が「うちで描いてほしい」と言ってきて、これが『ゴーマニズム宣言』につながる。

平成4年(1992)
 年明けから「週刊SPA!」で『ゴーマニズム宣言』の連載開始。
 スタート時は隔週2ページだったが、評判が良く、11回目から毎週連載になった。
 他愛ないエッセイ漫画的な内容も多いが、後の『差別論』の原点といえる『差別だらけの社会を糾弾せよ!』『青春の差別』はすでにこの年に描いている。
 また、編集者の企みで薬害エイズ訴訟の傍聴に出かけ、怒りでブチキレそうになったという心情も描いている。
 一方で『おぼっちゃまくん』も、1回50ページ・前後編の長編エピソードを描くなど、表現の幅を広げていった。