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第428号 2022.3.2発行

「小林よしのりライジング」
『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが現代社会を鋭く分析「トンデモ見聞録」や小説「わたくしのひとたち」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)

【今週のお知らせ】
※「ゴーマニズム宣言」…世の中に、正しい意見しか言わない人などいない。わしだって、皇統は男系男子継承を守るべきだと言っていた時期がある。それが完全に誤りだとわかったら躊躇なく考えを改めた。大事なのは間違わないことではなく、間違いに気づき、改めることができるかどうかだ。雑誌「表現者クライテリオン3月号」が「皇室論」を特集し、巻頭に『「皇室論」を国民的に加速せよ!』という座談会を載せている。司会者の藤井聡氏と出席者の施光恒氏とは交流があり、勉強させてもらっている所は多く感謝しているが、この座談会における発言には全く同意できなかった。「表現者クライテリオン」の皇室論を検証していこう。
※泉美木蘭の「トンデモ見聞録」…医療と薬の起源をさかのぼると、古くは紀元前4000年頃のインドで行われていた、薬草に魔術と心霊術をセットにしたような「治療」に行きつくらしい。当時は、薬草にしても行き当たりばったりの人体実験だったはずだが、現代のコロナ騒ぎに乗じてしゃしゃり出てきた医者も、無責任な金儲けに走る製薬会社を妄信して、行き当たりばったりの人体実験を推進する、ほとんど魔術に囚われたような存在だ。同時に、古くから、多勢に流されずに正しい見解を主張したものの、完全に無視され、デマ扱いされてしまった立派な医学者もいる。医学者がくりかえす野蛮な歴史とは?
※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」!この馬鹿馬鹿しい状況に、精神が暗黒面に落ちていきそうな気分になることはない?コロナ禍に対する怒りが蓄積し、そのうち世の中に不穏な動きが出てくるのでは?アメリカ以外に同盟を組める国があるとすればどこの国?鼻うがいってしている?最近テレビに出ない理由は何?コロナに怯えるような今の日本人に国を守るために戦う覚悟があると思える?ウクライナの現状を見て国際法の意味とは何なの?…等々、よしりんの回答や如何に!?


【今週の目次】
1. ゴーマニズム宣言・第455回「クライテリオンの皇室論を検証」
2. しゃべらせてクリ!・第384回「涙のぽっくん! お父ちゃまのベロに全力の訴え!の巻【前編】」
3. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第249回「医学者がくりかえす野蛮な歴史」
4. Q&Aコーナー
5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
6. 編集後記




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第455回「クライテリオンの皇室論を検証」

 世の中に、正しい意見しか言わない人などいない。
 わしだって、皇統は男系男子継承を守るべきだと言っていた時期がある。
 単に「男系男子で続いてきたのなら、絶やすのはもったいない」という程度の認識、そしてわしが「側室に憧れていた」という理由、さらに「保守系の言論人がほぼ全員一致でそう言ってるから、そんなものかと思っていた」だけだが、それが完全に誤りだとわかったら躊躇なく考えを改めた。
 大事なのは間違わないことではなく、間違いに気づき、改めることができるかどうかだ。「誤ったら死ぬ病」が多すぎる。
「王様は裸だ」と言い続けることが思想である。

「表現者クライテリオン」という雑誌がある。
 故・西部邁氏が発行していた雑誌「表現者」の後継誌で、現在の編集長は京都大学大学院教授の藤井聡氏。藤井氏とは同誌の2019年3月号で対談(『ゴーマニズム宣言2nd season 3巻』に収録)、同年4月の「第81回ゴー宣道場」や2021年3月の「オドレら正気か?関西LIVE」にご登壇いただくなど、交流がある。
 その「表現者クライテリオン」が3月号で「皇室論」を特集し、巻頭に『「皇室論」を国民的に加速せよ!』という、藤井氏が司会する座談会を載せている。
 その出席者の一人が九州大学大学院教授・施光恒(せ・てるひさ)氏で、施氏には2020年10月の第92回ゴー宣道場にご登壇いただき、来月24日発売の『コロナ論5』では対談を行っている。

 藤井氏、施氏ともに勉強させてもらっているところは多く、その点は感謝している。
 だが、この座談会における発言には全く同意できなかった。二人とも男系派だからだ。
 藤井氏は冒頭、論点整理として「第一に皇位継承は日本の伝統の中心に位置するもの」であり、そして伝統には「時効」があるという。
 ここでいう「時効」とは、時間が経過したら法律等が無効になるという一般的に使われる「時効」ではなく、むしろ逆に「長く続いてきたものには重大かつ深淵な意味が宿っているという意味」だというから紛らわしい。
 ともかく藤井氏は、伝統は長く続いて来たものだから「重大かつ深淵な意味が宿っている」と言いたいらしい。
 そしてその上で藤井氏は、こう言っている。

したがって伝統として継続してきたものの前ではむしろ積極的に改変改革を慎み、粛々と継続しなければならない、という原理があります。だからその原理を踏まえれば、これまで例外なく続けてこられた、「皇位継承を男系男子に限る」、という「男系論」を採用するのが当然だということになります。

 これを読んで、わしはびっくり仰天してしまった。
「これまで例外なく続けてこられた、『皇位継承を男系男子に限る』、という『男系論』」……
 藤井氏は、過去に10代8方の女性天皇がいたことを、知らないのか!?

 結局のところ藤井氏の論点整理では、男系継承を正当とする理由が「伝統だから」「長く続いてきたものだから」と、それだけである。これではあまりにも雑駁と言わざるを得ない。
 そもそも日本で男系継承が重んじられるようになったのはシナから儒教文化が入って以降のことであって、日本にはそれ以前からの伝統もあった。
 そしてそれによって母系を中心とする社会や、男女を問わず継承される双系の社会が形成されていたのだ。
 それなのに藤井氏はなぜ、その後に入って来たシナ男系主義のみを「伝統」として議論しようとするのか?

 しかも、ここでいう藤井氏の「伝統」の捉え方は根本的におかしい。
「伝統として継続してきたものの前ではむしろ積極的に改変改革を慎み、粛々と継続しなければならない、という原理があります」と、いみじくも「原理」という単語を使っているが、まさにこれは単なる「原理主義」である。これでは、ただひたすら「前例踏襲」をすることが「伝統の継承」だということになってしまう。
 それに、単に「長く続いてきたものには重大かつ深淵な意味が宿っている」というのなら、因習陋習も、長く続いてきたからには「重大かつ深淵な意味が宿って」いて、「改変改革を慎み、粛々と継続しなければならない」ということになってしまう。
 伝統と因習の区別は難しい。その判断をするのが歴史や時代に育まれた常識に基づくバランス感覚であり、保守主義者であればそういう感覚をこそ大事にしなければならないのではないか。
 原理主義と保守主義は違うのだ!

 伝統とはどういうものか、『天皇論』を読んだ人ならわかると思うが、かつて美智子上皇后陛下は、伝統の大切さを十分強調しながらも、こうおっしゃっている。
「一方で、型のみで残った伝統が社会の進展を阻んだり、伝統という名の下で古い習慣が人々を苦しめていることもあり、この言葉が安易に使われることは、好ましくありません。」
 さらに上皇后陛下は、野球のWBC2009年大会で優勝した選手たちを例に挙げ、こうおっしゃった。
「WBCで活躍した日本の選手たちは、よろいも着ず、切腹したり、「ござる」とか言ってはおられなかったけれど、どの選手もやはりどこかサムライ的で美しい強さを持って戦っておりました。」

 伝統は時代によって変化していく部分もあるし、表面に現れる形が変化しても、内に秘められた伝統の「エートス・魂」が厳然と残っている場合がある。
 他ならぬ上皇后陛下ご自身が、皇太子の結婚相手は皇族か一部華族の出身者に限るというのが「伝統」とされていた時代に、民間から皇太子妃となり、さんざん「伝統の破壊者」呼ばわりされてきた方だ。
 しかし、美智子さまほど立派に皇室の伝統を受け継ぎ、次代に手渡した方はおられないということに、今では異論をさしはさむ人などいないだろう。

 さらに言えば、「男系」が伝統だというのなら、「側室」も伝統だったのだ。側室があったから男系が継続できたのだから、「男系」と「側室」はワンセットの伝統である。
 側室を事実上なくしたのは大正天皇、制度上も正式に廃止したのは昭和天皇だが、大正天皇や昭和天皇は「伝統の破壊者」だったのだろうか?
 あくまでも伝統は「改変改革を慎み、粛々と継続しなければならない」ものであるというのならそう言わなければならないし、男系を伝統として守れというのなら、側室も伝統として復活させよと主張しなければおかしい。
 ところが藤井氏は論点整理の第二として、サラっとこう言うものだから、わしはあっけに取られてしまった。