村山談話・河野談話に未来はあるか?
第56回 米軍調査報告に見る慰安婦の実態(その7)
慰安婦問題にはあまり関連しないが
「日本の軍人に対する反応」という項も紹介しておきたい。
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慰安婦と日本軍将兵との関係において、
およそ重要な人物としては、二人の名前が
尋問から浮かび上がっただけである。
それは、ミッチナ駐屯部隊指揮官の丸山大佐と、
増援部隊を率いて来た水上少将であった。
両者の性格は正反対であった。
前者は、冷酷かつ利己的な嫌悪すべき人物で、
部下に対してまったく思いやりがなかったが、
後者は、人格のすぐれた心のやさしい人物であり、
またりっぱな軍人で、彼のもとで仕事をする人たちに
対してこの上ない思いやりをもっていた。
大佐は慰安所の常連であったのに対し、
後者が慰安所にやって来たという話は聞かなかった。
ミッチナの陥落と同時に丸山大佐は脱出してしまったものと
思われるが、水上将軍のほうは、部下を撤退させることが
できなかったという理由から自決した。
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丸山房安大佐は別の尋問報告書では
「悪名高い丸山大佐」という項目まで作られている。
それによれば、大佐はその風采と、身の危険が生ずると必ず
蛸壺(待避壕)に潜り込む習癖から兵隊たちに
「谷わくどう」(谷間のひき蛙)と呼ばれていたという。
戦況悪化で部下の食事が米と塩だけだった時も自分専用の
鶏を飼い「なぜもっとたくさん卵を産まないのか」と
文句を言ったとか、
慰安所料金を値切り、慰安婦の取り分を60%から50%に
切り下げたため慰安婦にも不人気だったとか、
戦死と伝えられたが、部下に荷物をいっぱい担がせ、
自分は手ぶらで歩いているのを目撃されたとか、
とにかく最低だ。
水上少将の自決を供述した捕虜は「丸山はもし窮地に
追い詰められたら切腹するだろうか」との質問に
「丸山が果たして切腹の作法を心得ているか
怪しいものだ」と嘲るように答えたという。
左翼は日本の軍人が全員「丸山大佐」だったかのように言い、
自称保守は全員「水上少将」だったかのように言う。
もっとも、水上少将のような日本人は戦争でみんな
死んでしまい、戦後の日本人はみんな「丸山大佐」の
子孫じゃないかとも思えてくるが。