26日時事は次の報道を行った。
「公明党の山口代表は26日夜、NHKの番組に出演し、集団的自衛権の行使容認をめぐる閣議決定の修正案について「二重三重の歯止めが利いており、拡大解釈の恐れはないと判断している」と述べ、受け入れる意向を表明した。公明党内には行使容認になお慎重論があるが、容認に向けて党内調整が加速する見通しだ。政府は公明党の意見集約を待ち、7月1日にも閣議決定したい考えだ。
山口氏は、集団的自衛権行使に慎重な姿勢を示し続けてきたが、番組では「個別的自衛権に匹敵するような集団的自衛権であれば、一部限定的に容認して、国民の権利を守り、国の存立を全うすることは許される余地があるのではないか」と語った。
公明党の26日の党外交安全保障調査会などの合同会議では、閣議決定の修正案について「国民の理解が得られていない」などと、さらに政府の説明を求めるべきだとの意見が相次いだ。
この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。
中道とはなにか、戦争のない社会、貧しい人を救うのが、立党の精神ではないのか。
いつも政権に寄り添っていると、本来の使命、目的を忘れ、現世利権にうつつを抜かすことになる。
公明党の社会的使命はなくなり、普通の党に堕落したということであり、公明党の社会的役割が消えたといえるのではないか。社会に向かってはっきりさせたということでしょう。
山口氏の「個別的自衛権に匹敵するような集団的自衛権であれば」
という発言は「個別的自衛権で十分である。」と、言う事ですよね。
どうしても「集団的自衛権」という文言を入れて憲法を骨抜きにする
憲法破壊を目的としているとしか思えません。
憲法を為政者の判断でいかようにも解釈できるなんて最低です。
公明党が平和を求めるのであれば、言葉遊びは止めて信念を突き通すべきだと思います。
そんな政党であれば是非支持したいと思います。
戦争狂いの系譜
精神構造
アドルフ ヒットラー総統(ドイツ) ロシア人嫌い
カーチス ルメイ少将(米国) ロシア人嫌い
ジョン マケイン上院議員(米国) ロシア人・中国人嫌い
前原 中国人嫌い
田母神 中国人嫌い
石原 中国人嫌い
安倍 中国人嫌い
ペトル ポロシェンコ(ウクライナ) ロシア人嫌い
上記の精神構造の系譜から判断して、集団的自衛権というのは、西のペトル ポロシェンコ、東の安倍が米国の先鋒となってユーラシア攻略作戦の配置に就くということを意味する。
但し、幸い、西では昨日から危機回避の動くが出てきた、メルケルとオランドがポロシェンコを抑えにかかった。残念なのは、そういうプレイヤーが東にいないこと。国民自らがが背後に潜む危機を知り、「専守防衛の伝統」と「国連中心主義」を堅持していくしかない。
若い方の中には公明党の変身を残念がっている人もいるだろうが、高齢者から見ると、最初は自民党と対決するかに見せて、最後が妥協する「いつものシナリオ通り」に過ぎない。
そもそも、公明党が本気で平和を願っているなら、自民党との連立が続くはずなどあり得ない。
戦争大好きの自民党と、「平和の党のふりをした党」だから、絶妙のコンビニなれるのではないだろうか。
こんな猿芝居にだまされる国民がいるから、女性蔑視ヤジや、被災者蔑視発言がなくならないのだ。
たしかに「集団的自衛権」という言葉を入れることにこだわっている印象はありますね。混合医療制度や労働時間規制の適用除外もいますぐ危険なことが起こるという感じはしないが、じわじわと規制を崩していこうという意図が見える気がする。そんなことを考えるのは安倍のおつむでないことは明白だ。
変なことを言うが、規制がなくなったとき一番強いのがグローバル企業だという点に問題の核心がある気がする。なんで略奪者が一番強いのだろう。どうして僕たちは略奪者を選んでしまうのだろうか?簡単なことだ。すべてお金が価値観のベースに忍び込んでしまっているからだ。そしてお金の力を最大限に利用しようとする人間のタキティクスが非常に巧妙なことに帰因する。前者は人間の意識や外的環境が変わっていくのを待つしかないが、後者はインテリが克服しないといけない課題だ。
復習の意味で公明党の支持母体創価学会を調べてみた。
「平和的社会の実現」を目標としており、教義的には日蓮正宗を末法時代の本仏と定めている。
1991年11月創価学会は、日蓮正宗から破門され、「宗門」と「信徒団体」という関係は消滅している。
日蓮正宗は何故破門したのか、「平和」を掲げながら、現世利益的行動に走りかねない体質を見越しておられたのであろうか。
宗教団体の活動そのものに規制を加えると言われれば公明党は参っちゃうのじゃないですか。日本は宗教団体の自由な活動を認めている数少ない国の一つでしょう。そこからいろいろ党間の取引が生まれると私は見ているんですけど。だから、孫崎先生みたいに素直に憤慨できないんです。冷めちゃってるというか、そう、誰かが言っていたけど、自民党内の大派閥と観た方がよく理解できると思うんです。
これまでの公明党の行動をみれば、集団的自衛権に合意することはある程度予想された。しかし、それでも平和の党としての公明党に一縷の望みを託してきた。残念ながら、その思いを公明党、創価学会は踏みにじってしまった。まだ事の重大性をわかっていない公明党、創価学会の幹部の責任は大きい。もはや公明党は公明党としての存在意義がまったくなくなり、それこそ、平和の党どころか、創価学会、公明党が、得体のしれない宗教団体に成り下がったと思われてもしょうがない状況になってしまった。正義と真実が見極められない公明党、創価学会は凋落するのみではないか。