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今までの「オタク論」は過去のものと化す? 『ダンガンロンパ』の先進性に学べ!
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今までの「オタク論」は過去のものと化す? 『ダンガンロンパ』の先進性に学べ!

2013-12-06 19:18
  • 15
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 ここしばらく、ずっと『ダンガンロンパ』ばかりやっていて、全く読書をしておりませ(ry
 後、ヒット数を稼ぐため、○○師匠を彷彿とさせるセンスのない週刊誌のリード文風タイトルをつけて(ry
 ……というわけで今回もまた『ダンガンロンパ』(今回で最後になると思うので許して)。採り上げるのは一作目に登場した山田一二三。オタクキャラです。
 一応表題を『ダンガンロンパ』としてはいるけれども、通例通り、要は「オタク史」を概観し、その最先端に『ダンガンロンパ』の山田一二三(や、『絶望先生』の万世橋君など)を位置づけ、またその種の「オタク論」を広げ、「男性論」へと敷衍しようとの試みなので、話題としては前半、及び後半には出てきません。
 以上、お含み置きください。

*     *     *

 一時期、ぼくはよく海燕師匠に噛みついていました。
 いろいろ理由はあるけれど(話しあいを途中で遁走されてムカついたとか)、一番の理由は彼が「オタクヘイター」だからです。
 というか、従来「オタクヘイター」として東浩紀師匠辺りをやり玉に挙げていたのに、最近、目立つところでそうした発言をする人間が減ったようなので、その代わりに彼を叩いていたといった感じなのですが。
 言うまでもなく、彼らの「オタク批判」に内実があったことは、今までただの一度もありません。『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』でも(海燕師匠のご友人である)ペトロニウス師匠の行った「オタク批判」を採り上げましたが、これなど「オタクは自己承認欲求を持っているからけしからぬ」といったすさまじさで、こうなると「オタクは食欲を持っているから(あんパンを盗んで食ったのではなく正当に購入して食ったけれども)けしからぬ」とか、「オタクは性欲を持っているから(幼女をレイプせずに、エロ漫画も読まずに空想でマスターベーションをしたけれども)けしからぬ」とかもアリになってしまいます。恐ろしいですね。
 ――いや、しかしですね、考えてみれば今更驚き憤るほどのことでもないのですな。
 例えばですが、ドラマに障害者と健常者が出てきた時、障害者が悪役というのは稀でしょう。多くの場合、「その存在を肯定される」という役割を担って登場してくるはずです。
 では、黒人と白人が出てきたら? 同性愛者と異性愛者が出てきたら? そして、女と男が出てきたら……?
 むろん、今時女性の悪役もまた珍しくないとの事実は、ある種の「女性の社会進出」や「ジェンダーフリー」の成果であるとも言えます。が、日常を舞台にしたドラマで、男性と女性が対立したら、多くの場合に女性が肯定的に描かれることでしょう。『ドラえもん』などで女子が優等生に描かれるのが基本と、腐川さんの記事で指摘した通りです*1。
男は、男だから、ワルモノ」なのです。
 つまり実のところ、通俗的なドラマがそうであるように、極言すれば「ヒョーロン」とか「シャカイガク」とかいうモノはそもそも、「最初っから男を叩くことを目的とした文章」という程度のモノだったのですな。「評論や社会学はドラマとは違うぞ」と言いたい人もいましょうが、逆に言えばイマドキのヒョーロンやシャカイガクなんぞ三文ドラマ以下、ということです。

*1事実、この記事では70年代以降の作品について述べましたが、更に時代を下ると「社会に出ようと生意気なことを考える女が、いろいろあって女は家庭に入るべきと悟る」みたいなストーリーは普通に作られていました。

 そしてオタクというのは(いろいろと定義はあるでしょうが、ここで極言するならば)男を丸裸にして、その社会的属性、つまり地位、権力などを剥ぎ取った存在です。
 むろん今までの男性への攻撃はその社会的属性に対して向けられることが通例ではあったものの、逆に言えばだからこそまさに「オタク批判」は「裸の男性性への純粋な攻撃」と言えるわけです。これは例えばドラマなどで「女社長」が「男のように権力を振り回す」から断罪され、「女としての弱さを見せる」から免責されるのと好対照であると言えます(また逆に、オタク男子への批判とは対照的に、オタク女子へは全く反転した肯定的評価が与えられますよね)。
 さて、「オタク批判は、男性性への純粋な攻撃である」。
 おkでしょうか。
 それ故、ヒョーロンカはオタク男子を決して肯定しません。
 同様に、オタク界の上の方にいる人々は、オタクが大嫌いです。
 ラノベの編集者とかと話していても、それは痛感します。今回採り上げるようなオタクキャラ、オタクネタはオタ作品に溢れかえっていますが、かなりの割合で、送り手の中にはそれを好まない人々がいるわけです。お断りしておきますが「編集者は作家が安易なオタク的な小ネタに走るのを好まない」といったことを言っているのではありません。彼らはオタクという存在そのものを直視させられることを、好んでいないように思います。
 さて、そのことを考える補助線として、今回、『さよなら絶望先生』の万世橋わたる君、『ダンガンロンパ』の山田一二三君、二人のオタク少年キャラにご登場いただきましょう。
 まずは万世橋君。いつも通り、キャラについてはウィキからコピペってきました。

万世橋わたる(まんせいばし わたる)声:上田燿司2年ほ組(へ組の隣)の男子生徒。硬派なオタクで、オタクとしてのアイデンティティーの一般化・低俗化を憂いている。二次元世界への理想が強いゆえに現実の女性には興味を持たぬ恋愛観を貫き、また「万世橋仮面」として現実世界で不逞な行為に及ぶオタクを成敗することも。(以下略)

 絵をググっていただければわかりますがこの万世橋君、「漫画で揶揄気味に描かれるオタク」そのままの姿をしており、別に男前な人物として描かれているわけではありません。が、「万世橋仮面」の活躍などに伴い、人気キャラとなっていきました。ちなみにこの「万世橋仮面」って呼称自体は、劇中には出て来なかったはずですが、確か幼女誘拐犯をやっつけ、「二次元だけにしておけ」と諫める、みたいなエピソードに登場したと思います。
 上に「硬派なオタク」とあるように、彼は「一般人が秋葉へ来んなよ!」といった発言をよくします。恐らく作者の久米田康治氏はそこにオタクの自閉性を揶揄する意図を込めたはずですが、ファンはその発言に邪気なく快哉の声を上げた。比較的古株のオタクが若干の自虐を含めて作り出したオタクキャラが、(想像するに)若い世代には屈託なくヒーローとして受け容れられた。
 上に書いた経緯は、まとめてしまえばそう言うことになるように思います。
『絶望先生』の単行本では読者の送ってきた似顔絵が掲載されるコーナーがあるのですが、万世橋君はそこでも人気キャラで、確か読者が彼に「オタクを舐めるな!」と叫ばせる似顔絵を描いてきて、作者が若干退き気味に「いや、別に彼はこんなことを言わないと思うよ」とコメントしていたことが印象的でした。
 そしてまた、山田一二三も近しい受け止められ方をしているように、ぼくには思えるのです。山田君についてもウィキをコピペりましょう。

山田 一二三(やまだ ひふみ)声 - 山口勝平超高校級の「同人作家」。身長170cm。頭部は栗のようになっており、丸々と太った下ぶくれ体型をしているが、足だけは妙に細い。いつも着用している丸眼鏡とリュックも特徴。以前在籍していた学校の文化祭で、自作の同人誌1万部が完売したという偉業を達成した伝説を持つ(ただし山田曰く「僕の芸術を理解しないクラスメイト達」からの「文化祭が汚された」とのクレームもあったという)。(中略)相手を「フルネーム+殿」と呼称する癖がある。パロディ発言やネタ発言も多いが、対人関係に壁を作ったりせず、周囲には溶け込んでいる。女性は二次元限定と決めており、三次元の女性には一切興味がないと豪語するが、実際は密かに三次元の女性に興味を抱く様子も見られる。

 彼もまた、絵をググっていただければわかりますが「漫画で揶揄気味に描かれるオタク」そのままの姿をしており、別に男前な人物として描かれているわけではありません。性格も同様で、上に「周囲に溶け込んでいる」とあるのもウソではありませんが、基本的には「主人公が山田君にオタク話につきあわされて困る」的な描写がなされています。
 つまり万世橋君同様、山田君の描写にもまた、作り手の自虐的なオタク観が見て取れるのです。
 以前も書いたように、山田君は萌えアニメにハマりつつも、「ぼくは本作を萌え目的で見ているのではなく作品としてのクオリティを云々」といった言い訳を盛んにします。しかし、彼と親しくなると本音を露わにして萌え作品への傾倒を吐露し、しかもそれがかつてのダークサイドに陥っていた自分を萌えが救ってくれたことに起因することを告白し出すのです。この辺り、前者はどうも『ハルヒ』に対する批評文のパクリらしく、後者は明らかに『電波男』の影響を受けています。そして感心しかける主人公に対して――「だからこそぼくは愛を込めてこの萌えキャラ○○タンを辱める薄い本を作るのです」などと宣言するのです。
 また、山田君は本田透以降ポピュラーになった「リアルな女にキョーミはない、ぼくは二次元へと飛翔したエリートだ云々」といった主張を繰り返すのですが、見ていくと上にあるように女湯や女子更衣室に他の男子たちよりも積極的な興味を持つ描写が、あちこちでなされているのです。これもまた、オタの上記の発言が一種のポーズであるとの作り手の認識を表しているように思います。もっとも最終的に山田君がハマったのがアルターエゴ、つまり二次元の男の娘である辺り、やはり「萌えエリート」である気もしますが、その時の彼の心情が「お母さん以外で自分の話を熱心に聞いてくれた初めての女の子だったから」というものであるのがまた、泣かせます(いや、相手は男の娘なのですが)。
 が、ブログなどを見る限り、ファンたちは妙に山田君に対して、高評価であるように感じるのです。上に書いた「オタク話をして退かれるキャラ」といった解釈よりは、むしろ「人当たりのいいヤツ」との解釈が主流であるように思います。
 例えば本作にはセレスという高飛車な女王様的キャラが登場します。この少女はかつての学園生活ではぼっちであった、しかし山田君とは妙に絡んでいた、といった描写があります。ぼくの見る限り、それは山田君の「三次元女子」への興味、または「ヘタレ」としてのキャラ描写であるように思うのですが、とあるブログでは山田君がセレスのことを気遣って、仲間たちの輪へと誘ったのではないか、といった憶測が書かれていました。正直、ちょっとあばたもえくぼ的な推測だと思うのですが、そう考えると山田君、すごくいいヤツです。
 ――ぼくの言わんとしていることがおわかりでしょうか。
 ぼくの感性そのものは、『絶望先生』や『ダンガンロンパ』の作者たちと近いところにあります。
 オタクを憎悪する層(先に挙げた編集者など)に対して深い怒りを抱きつつ、手放しに「オタクイズビューティフル」と叫ぶのもためらわれる、というどっちつかずなところに、ぼくはいるように思います。
 が、若い受け手たちはそうした言わば「オタク自虐史観」を恐らく、共有どころか理解すらしていない。
 感性は上の作家たちに近いと言いましいたが、ここでどちらが正しいの間違っているのという価値判断はひとまず、保留したいと思います。てか、実は正直なところ、判断しかねているのが実情です。
 ともあれ古株のオタクは「自虐的感性」を持っている。若い世代は持っていない。それ故、アニメなどのオタクキャラの活躍に、邪気のない快哉を送る。
 数年前、『となりの801ちゃん』などを皮切りに「腐女子ブーム」というものが起こり、(貴腐人たちがそれに苦々しげなリアクションを取るのとは対照的に)若い腐女子たちがそれに快哉を送っていたことを、ふと思い出します。ぼくはかねてより、腐女子たちはそれこそ『絶望先生』の藤吉さんなど、腐女子キャラに快哉を送る傾向があるが、男子にはそれがない、と感じていたのですがそれがここ数年、少し変わってきた印象です。

 さて、以降はハナシが一般的な男性女性論に、女災論に転じます。
 つまり、今書いた若手のオタクたちの傾向の変化と同じ感性が、「男性差別クラスタ」にも感じられるのではないか、というハナシです。
「女性専用車両」、「女性優遇サービス」について、ぼくは女性ジェンダーに根差したサービスだ、「あなたの性別という属性故にサービスしますよ」という甘言に飛びつくのは女性ジェンダー特有の現象だ、と論じてきました。恐らく「男性優遇デー」を設けても「女性優遇デー」を設けるよりも集客は見込めまい、ということですね。
 だから「男性差別クラスタ」はそうした男女のジェンダー差を鑑みてモノを言うべきで「差別だ差別だ」と繰り返すばかりでは解決しないよ、と今まで言ってきました(だって企業も商売ですもんね)。
 しかしこうした「男性差別クラスタ」というものの年齢層をもし調べて、仮に若い連中が多い、という結果が出たとしたら*2。それはもう、「セックスや結婚を忌避する男子が急増云々」と昨今の若年男性の性意識の変化が語られるように、男性たちの内面が変動しているのだと考える他はありません。
 そう考えれば近い将来、男たちが「女並に」自分の権利を要求し出すようになり、「男性差別」は自然に解消されることになるのかも知れません。
 が、それは手放しに喜ぶべきことでしょうか。
 それは他力本願に「サベツガー!」という人間の、おびただしい増加という事態に他ならず、それで日本が住みよくなるかというと、とてもそうは思えないのです。
 ぼくは何度も、「サベツガー!」と騒ぐやり方は「男性の中の、真のワルモノ」役を自分たちよりも弱い者に負わせることになりがちだ、と書いてきました。アメリカではそれが「プア・ファット・ホワイトマン」であり、日本ではオタクだ、という言い方をしてきたと思います。
 福島の第一原発での作業など(これはまあオタクとは関係ないけれど)結局一番危険で、しかし誰かがやらねばならぬ作業など、「強者ということになっている者の中の弱者」がやらされるのは自明なわけです。
 山田君、万世橋君のファンの方には念を押しておきますが、ぼくはこの二人やそのファンをdisってるわけではありません。ただ、このキャラの作り手たちはオタクに対しての冷静な目も失っておらず、そうした視点も大事だよね、というお話をしているわけです。
 そして、更にそれを敷衍して、「男性のケンリ」を主張する人々は余計に、そうした内省的な精神を失ってはならないわけです。でなければぼくたちは、あの国家主導で何兆という予算を食いつぶす、内省がゼロの人々に近づいてしまうのです。
『ウルトラマンレオ』では変身能力を失ったウルトラセブンが、背水の陣で新米戦士のレオを厳しく鍛えます。その時のセブンのセリフにこういうものがあります。

「男が外へ出て戦うのは何故だ? それは女の子が背後で、優しくお花摘み*3をしていられるようにするためではないのか?」

「男性差別クラスタ」は自分も戦いなどごめんだ、お花摘みをしたいと言い出した、男女平等()な草食系男子()です。
 そしてまた、それは大変によくわかります。
 ぼくたち男性も、お花摘みを楽しむ権利くらいはあるはずです。
 しかし問題は、今の日本ではいまだ、怪獣が大暴れしているということなのです。
 ぼくたち全員がお花摘みを始めた後、怪獣と戦うのは一体、誰なのでしょうか……?

*2こうした調査はないでしょうが、昨今こうした声が大きくなっている以上、若い連中が多い、と考えるべきでしょう。ドクさべのせいで何とはなしにオッサンが多いような先入観を持ってしまいますが。
*3今になって「お花摘み」じゃなく「おままごと」だった気もしてきましたが、割とどうでもいいので訂正しません。

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他5件のコメントを表示

>フェミニストに媚びつつ、「自分だけは他の愚かな男とは違うのだ」と主張し続ける進歩派男性の姿を思い起こします。

そうなんですよね、下層のオタクを見下す連中とフェミ男って本当によく似てる気がするんですよね。東浩紀師匠なんて「男ヘイター」と「オタクヘイター」の両方をやってるみたいですし。
フェミ男は自分以外の一般男性を叩くことで、フェミ女に媚びへつらい、忠誠を示し、名誉白人ならぬ名誉女性になろうとしてるのだと思いますが、じゃあその「一般男性」って何かといえば、フェミ女の頭の中にある男性像、最近だと「ホモソーシャルな男性」とか「ミソジニーな男性」みたいな、いるのかいないのかすら定かでない「非実在?男性」のことだったりするんですよね。フェミ男の目的はまっとうなジェンダー論を展開することではなく、フェミ女のイエスマンになることだから、その過程で白を黒と強弁したりしますし。
オタクヘイターも同様で、オタク嫌いの一般人のイエスマンになることが目的なんでしょうけど、オタク嫌いの一般人って実際のオタクのことなんて知りもしないし興味もないから、いるかいないかも定かでないステレオタイプなオタクを勝手に想定して、その自分の想定したオタク像の悪口を言ってるだけだったりするんですよね。
被差別領域にいるのは辛いことですから、「俺はあいつらとは違うんだ」と言って逃げだしたい気持ちも、まあ理解はできるのですが…。

疑問にお答えいただき、ありがとうございました。いろいろなことを考えることができました。
5位から1位の発表を楽しみにしてます。

No.8 131ヶ月前

兵頭さんお久しぶりです。前にちょっとしつこいくらい書きこんでて、周りの人を引かせてコメント減らしてる原因のような、迷惑かけてる感がありまして、暫くコメントを控えてました・・・不義理な感じですいません。
久しぶりに兵頭さんのブログ読ませてもらってるとやっぱり面白いなぁと思います。
特にダンガンロンパの一連の記事は、作品自体をなんとなくエグそうだなぁ・・・と倦厭していたのに興味も湧いてきたし、アニメだけでも見てみようかなと思っています。

話は変わるんですが、実は自分は少し保守思想に偏ってるところがあって、TPPで話題になった中野剛志さんの本に結構影響されてたりします。(その前は実はいい人なんじゃねという幻想で東浩紀さんを・・・)
中野さんの本を読んでて面白かったのは、戦後レジーム=左翼レジームというものに戦後の日本は支配されているという考え方です。(安倍総理も言ってますが自民支持というわけではないです)日米安保から日教組の教育、憲法9条問題から様々なものらしいですが。

この考えを聞いて俺はリベラル=フェミニズムが日本で過剰な力を持っているのも、女性が過剰に強い社会的な力を持っているのも、この左翼的な戦後レジームの影響ってことはないだろうか、となんとなく思ってしまうんです。
左翼レジームの中では、その枠組み内での評価が左翼的なものに規定されているので、学歴的にエリートになればなるほど左翼的な知識に優れていくし(東浩紀さんや宮大なんかも東大卒ですし)そういう価値観を持つほど評価されます。

兵頭さんが評論家やラノベ編集たちはオタクヘイターが多いと言われてたのも、この戦後レジームというのを当てはめてみると、オタク界とはいえある程度勝ち組の人というのは知的エリートだし、戦後レジームでの評価枠によって評価、選定されてきたので、オタクを毛嫌いするリベラルな価値観の人に偏るというのも仕方ないのかもしれないと思います。
(単純に、ある程度社会性があればオタクを嫌ってしまうのも仕方ないんですが、自分も手放しでオタク肯定はし辛いですが基本は擁護です)

戦後レジームが、日本的であろうとする保守性=ナショナリズム(?)自体を危険で幼稚なものと見なして否定するものなら、フェミニズムに影響された男女が男は男であるだけで悪い!と言うのも、左翼の人たちの日本は日本であるだけで悪い!みたいな感じは態度として似通ってるような気がします。
権力アレルギーというのもあるんでしょうが、フェミニズムの男アレルギーも似たようなものじゃないでしょうか。

結局男だから悪いとか女だから駄目とかでなく、それぞれ長短があって、戦中の日本は右に傾きすぎておかしくなってしまったけど、今の日本もまた左に傾きすぎてて(政治的には反動で右ですが)バランスがおかしくなっているのではないか、と思います。
リベラルやフェミっぽい価値観ばかり押し付けられるから、調子に乗って横暴になる女子が増えたり、抑圧されて女叩きなんかが出てきたりするんじゃないでしょうか。
リベラルっぽい態度、フェミっぽい態度は受けもいいので、コンプレックスを持ったオタク男子も受け狙いで迎合したくなるでしょうし、一般人にいたっては余計にじゃないかなと。
ただ正直戦後レジームとフェミニズムとの関係というのは個人的な感想以上のものではないんですが、参考にならなかったらすみません。

久しぶりなのにちょっとずうずうしかったかもしれませんが、自分の世の中の女性への理不尽に感じる気持ちというのは、自分の中のコンプレックスやルサンチマンはあるにせよ、やっぱり主張していいものなのかなぁという気がしました。
ただやっぱりつい感情的になるので自信を失いますが・・・長々と失礼しました。

No.9 131ヶ月前

横から失礼します。私もあまりしつこく書き込むのはご迷惑かなと思ったのですが、書き漏らした点もありまして。

>下層のオタクを見下す連中は、例えば庵野秀明などオタク界の有力者に自らを「憑依」させる傾向が大であるように思います。

庵野監督はオタク界の成功者でありながら、一般人からの「オタクは現実を見ていない」というオタク叩きを鵜呑みにして、「オタクは現実に帰れ」と『エヴァ』でやっちゃった人ですから、下層のオタクを見下す連中の憑依の対象としてもってこいなんでしょうね。本田透さんも庵野監督の「裏切り」を痛罵してましたし。
そんな大上段からオタクにお説教をかました庵野監督が、結局『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』でオタクフィールドに戻ってきちゃったのを見て、こちらはどんな顔をすればいいんですかね。笑えばいいんですかね。(ニッコリ)ではなく(プギャー)になりそうですけど。

戦後レジームとフェミについてですが、戦後レジームからの脱却を掲げる安倍総理の口からも女性の活用という言葉が出たり、戦後レジーム支配下には無いであろうアメリカ本国でもフェミ風潮が強そうなことから見て、「男女平等」は「人種差別反対」と同じくらいの政治的立場を問わないポリティカルコレクトネスになってしまっているのではないでしょうか。問題はその「男女平等」が女性に都合のいい点だけに目を向け、女災のような男が虐げられている点には一斉目を向けないことだと思うのですが、どちらにしても、仮に戦後レジームから脱却できたとしても、フェミ風潮が改善したり、女災現象が広く認知されたりということは、あまり期待できないような気がします。

でも、学校教育がフェミ風潮に毒されきっているから、学校優等生になりたい人ほどフェミに強く賛同するというのは、ありえそうな話ですね。また、社会がオタク差別風潮に毒されきっているから、社会的優等生になりたい人ほどオタク叩きに賛同するというのも、ありえそうな気もします。社会から排除されているオタクほど、社会とうまくやっていきたいと切実に願うのでしょうが、そうすると、社会から差し出される「オタク叩きに参加しろ」という踏絵を踏む動機が強まるという、うんざりするような悪循環。成功したオタクであればあるほど、その成功でもって被差別領域から逃れて社会から厚遇されたいと願い、社会のオタク叩きに迎合するという、犍陀多のごとき同族切り捨て。
笑えばいいんでしょうかね。うまく笑える自信はないですが。

No.10 131ヶ月前
userPhoto 兵頭新児(著者)

ひら様>

どうも、お返事おくれてすみません!

東師匠なんかはもう、「エラい人が男をバッシングしてたから、口マネしてオタクをバッシングしたよ。ママ、ボク偉いでしょ?」と思ってるだけなんじゃないでしょうか。あまり深い考えがあって言っているとは思えません。

>オタク嫌いの一般人って実際のオタクのことなんて知りもしないし興味もないから、いるかいないかも定かでないステレオタイプなオタクを勝手に想定して、その自分の想定したオタク像の悪口を言ってるだけだったりするんですよね。

そうそう、下手をすると「非実在一般人に向けて非実在オタクの首を捧げてる」ことになりかねない。その時の一般人もオタクの首も、両方とも自分自身だったというオチです。
同様にフェミ男はマッチョな男性を腐すけれども、自分自身が一番マッチョだったりしますよね。

庵野については別にそこまで嫌いではないんですが、『エヴァ』以降、コギャル()を使った実写映画を撮ったり、少女漫画をアニメ化してた(のに、そこにオタクネタを仕込んでるという何だかどっちつかずの)頃は生温かい目で見守るしかありませんでしたね。

No.11 131ヶ月前
userPhoto 兵頭新児(著者)

GIN様>

お久し振りです。
「しつこいくらい書き込んでいて」とおっしゃっていますが、そんなことはないですよ。
コメントしていただいた方がありがたいです。
東師匠は以前は「オタクの地位を上げてくれる一」というイメージがありましたよね。
ぼくはむしろ以前の彼の方が嫌いだったのですが。
(最近双葉とかでやたら叩かれてるのは猪瀬さんと仲がいいから? よく知らんのですが)

まず、フェミニズムが左派寄りの思想であることは間違いがないですよね。
一時期「ウヨフェミ」といった言葉を持ち出したがる人がいましたが、それは「国家権力主導でポルノの規制をしたがるフェミニズム」をウヨ呼ばわりしたい層が無理からに広めていたフレーズだったようです(だったら行政主導でジェンダーフリーを推進した連中だって右翼だと思いますがw)。

>オタク界とはいえある程度勝ち組の人というのは知的エリートだし、

そうですね。
基本漫画界など左派寄りですし、エラい人はどうしてもそっちの影響が強くなります。
そうした人たちにとってフェミニズムなどの「マッチョな男」を否定するロジックは「ムカつくキモオタども」をバッシングするのに非常に都合がよかったのでしょう。

最近読んだ保守寄りの人の本でも、おっしゃることに近いことが書かれていました。
大ざっぱにまとめると、日本のリベラル左翼というのは普通の左翼と違って、弱者を絶対視する思想であると。そうした思想が民主党のように与党になるのはまずいし、また野党としても(弱者に寄り添うという発想それ自体は立派ではあるけれど)硬直した弱者観を持ち続け、自縄自縛に陥っている(弱者である女性の味方のフリをするうちに貧困男性を叩くばかりになってしまっている)といったところが実情じゃないでしょうか。

>自分の世の中の女性への理不尽に感じる気持ちというのは、自分の中のコンプレックスやルサンチマンはあるにせよ、やっぱり主張していいものなのかなぁという気がしました。

これは「女性に対する不平を言っていいものか」ということでしょうか?
まあ、リアルではあまり言わない方がいい気がしますが……。

No.12 131ヶ月前
userPhoto 兵頭新児(著者)

ひら様>

順序の関係で、二つ目のコメントへのレスはこっちで……。
上に書いた保守派の本でも、(多分その人が伝統主義なんでしょうが)「サヨはジンケンジンケン言うけどかつての日本でも仏教的な慈悲とか、そういう人権感覚はあったわい!」と言うばかりで、「左派の人権感覚の古さ」みたいなものに対する切り込みはちょっと弱いな、と感じました。
阿倍さんは確かジェンダーフリーには反対していたはずですが、「女性の社会進出」を否定するのは近代的な平等の感覚に反するように思え、強く出れないんでしょう。

>社会から排除されているオタクほど、社会とうまくやっていきたいと切実に願うのでしょうが、そうすると、社会から差し出される「オタク叩きに参加しろ」という踏絵を踏む動機が強まるという、

ですよねぇ。
大塚英志というオタク評論家みたいな人がいるんですが、もう二十年以上昔に、「オタク界はダメ人間の受け皿という機能を喪失している」と指摘していました。しかしその傾向はオタ文化が隆盛した近年、いよいよ強まっています。
先の「編集者などがオタクをバカにしている」傾向は本当に、そういう感じです。踏み絵を踏まないと本は出させてもらえないのかも知れませんw

No.13 131ヶ月前

兵頭さんありがとうございます。
正直自分は距離感が下手なコミュ力の低い人間なんで、暫く前に自分ばかり書き込んでるせいで周りのコメント減ってしまったような気がしてびびってました・・・空気読めない感じです。
東浩紀さんとかはオタクヘイターだったり、オタクに都合のいいこと言ってくれる人だったりで、使い分けてる人なのかなと思います。
だんだんやっぱこの人嫌な人だわなぁ・・・と離れましたが、宮台とか宇野とかの方が直球でオタクヘイターっぽい印象でした。俺もオタクヘイターが嫌いという気持ちはよく分かると思いました。

戦後レジーム云々という部分は個人的な感覚みたいなものなので、あんまり根拠のない話でしたね・・・
なんとなく日本人は、日本的なアイデンティティを自己否定すること自体がアイデンティティのようになっている、というねじれた精神構造を持っている気がして(自虐史観みたいな感じです)それが男性的なマッチョを否定することがアイデンティティのようになっているフェミニズム男性っぽいなと。でも素人考えなんでそんなに意味はないかもです。

あと女性への理不尽さを主張してみてもというのは、口に出すわけじゃないんですけど、俺は女性に理不尽だと感じること自体間違いなんだろうか、、という風に自信をなくすので、兵頭さんのブログを久しぶりに読んでやっぱり理不尽なものは理不尽だなと思えるようになったという意味でした。

俺はちょっとコミュ力低くて、書き込みすぎたりするのでなるべくROMって大人しくしてようと思います。
久々でしたがお相手いただいてどうもでした。失礼します

No.14 131ヶ月前

兵頭様、返信ありがとうございます。

GIN様、横槍を入れてしまい、すみませんでした。兵頭様も「コメントしていただいた方がありがたいです。」とおっしゃっておられますし、もし私の横槍のせいでGIN様のコメントが減ってしまったら、ちょっと心苦しいですw

>あと女性への理不尽さを主張してみてもというのは、口に出すわけじゃないんですけど、俺は女性に理不尽だと感じること自体間違いなんだろうか、、という風に自信をなくすので

外の場では、女災はもちろん、現在の男女平等に疑問を持つことにもなかなか理解が得られないですものね。理解してくれる人が少ないと、どうしても自信を失ってしまいます。
でもネット上でこうした言説が増えて、理屈も整って、多くの人の賛同が得られるようになれば、状況も変わってくるかもしれません。

確かに安倍総理をはじめとした右派・保守派はジェンダーフリーに反対という方向ですね。「なんとなくフェミニズム」という風潮の改善は望めなくても、過激なジェンダーフリー化の抑制は期待できそう。一口に「フェミニズム」といってもいろんな段階がありますものね。(それにしても、今より悪化するということも十分ありうるのか…、すっかり忘れてた。)

>庵野については別にそこまで嫌いではないんですが

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』は興業的に大成功だったみたいですから、オタクたちは庵野監督の迷走からの帰還を温かく迎え入れたってことなんでしょうかね。「結局『エヴァ』かよw」と思ってしまった私は、うん、確かに心が狭いw 
私も庵野監督が嫌いってわけでもないです。「なんだかなぁ」と思うくらいで。

No.15 130ヶ月前
userPhoto 兵頭新児(著者)

GINさん>

>暫く前に自分ばかり書き込んでるせいで周りのコメント減ってしまったような気がしてびびってました・・・

いや、そんなことはないです。
というか元からそんなにコメントは多くはないですしw

>なんとなく日本人は、日本的なアイデンティティを自己否定すること自体がアイデンティティのようになっている、というねじれた精神構造を持っている気がして(自虐史観みたいな感じです)それが男性的なマッチョを否定することがアイデンティティのようになっているフェミニズム男性っぽいなと。

そうですね。
戦後(更に言えば高度経済成長後)マチズモが否定的に考えられるようになったこと自体は、理がないとは言えず、いい面もあったと思います。
でも、それならば女性性は絶対的な善なのかという話にもなりますし、そもそも権力を持った女性は何というか民主くらい厄介だよなあというのを、ぼくたちはあちこちで見聞しています。

>俺は女性に理不尽だと感じること自体間違いなんだろうか、、という風に自信をなくすので

なるほど。
基本的にはリアルではあまり口にしない方が賢明ではありますねw
また、よければ書き込んでください。

No.16 130ヶ月前
userPhoto 兵頭新児(著者)

ひら様>

>外の場では、女災はもちろん、現在の男女平等に疑問を持つことにもなかなか理解が得られないですものね。

ジェンダーフリーが批判されたことはまあ、「第一歩」だとは思うんですけどね。
ぼくは「フェミニズムはラスボスではない」と書きつつ、やたらとフェミニストを批判する。それは矛盾にも見えるかも知れませんが、一つには「わかりやすいワルモノとして、敵の中でもいくら何でもこりゃないわと思えるヤツをまずやっつける」という戦略なんですね。
最終的には「それを解消するには、一般の女性も自分の中のネガティビティに鋭敏になって欲しい」と持っていきたいけど、第一歩として中でも非道いものを批判するのがまだしも受け容れられやすいのではないかと(そのわりにうまくいっていませんが)。

逆に「男性差別」という言葉をぼくが嫌うのは、その言葉を使うのはいきなり男女の間に線を引いて、「被害者としての男性像を受け容れよ」と言い出す行為であり、恐らく女性にとっては今まで夢にも思わなかった要求で、とても受け容れられるモノではないのではないかと思えるからです。その意味でドクさべは何から何までぼくの逆を行っていると言えます。

庵野については『新劇場版』すら見てないしあんまり関心がなくなっちゃいましたね。
まあ、でも『エヴァ』のおかげでオタクは過ごしやすくはなったんじゃないでしょうか。

No.17 130ヶ月前
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