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ネットなどで、AIの専門家が「いずれ超知能が1つ生まれて、人類を軽く超えていくのでは?」みたいな話をよく聞くじゃないですか。AIが自己改良を繰り返して爆発的に賢くなるのだ!って話で、いわゆる“シンギュラリティ”ってやつですね。

 

もしこの予測が正しいのであれば、あらゆる問題をAIが単独で解決できるようになり、人間の出る幕はなくなっちゃうわけです。シンギュラリティ後、人類はAIの判断に従うだけの傀儡と化し、仕事も意思決定もほとんどAIに委ねるみたいな暮らしになる可能性もあるわけです。なんとなく陰鬱な未来像ですな。

 

では、この未来予測がどこまで正しいのかってことですが、サイエンスに出た論説(R)が示唆的だったので、内容をチェックしておくといい感じです。これは「人間の知能ってそもそもどういうものなの?」を掘り下げたレビュー論文で、ひいては「私たちはAIをどう使っていけばいいか?」のヒントも与えてくれる内容になってるんですよ。ということで今回は、このあたりの話を整理しつつ「これからのAIとの付き合い方」を考えてみようかと。

 

 

 

そもそも人類の“知能”とは何か?

 さて、この論文は最近のAI研究をもとに、「いずれ、すべてを理解する最強のAIが生まれるのでは?」みたいな説の妥当性を検討したものです。映画やニュースの影響もあって、私たちはつい「AIが進化すると単一の超知能が生まれるのだ!」みたいに考えがちですが、果たしてこれはどこまで正しいのか、と。

 

そこで、この問題を考えるにあたり、まず押さえておきたいのが「知能とは何か?」という基本的な話であります。そもそも、多くの人は知能を“個人のスペック”として考えがちじゃないですか。たとえば、私たちは、

 

  • 記憶力が高い
  • 計算が速い
  • IQが高い
  • 学歴が良い

 

といった要素を見て、「あの人は頭がいい」と判断するケースが多いんじゃないでしょうか。これは日常生活ではわりと自然な感覚で、学校教育やテストの仕組みも「個人の能力」を測るように設計されてますからね。試験中は基本的に一人で解答しなければならないし、他人と相談するのはNGなんで、このような環境に長くいると「知能とは個人の中にあるものだ」という前提が強化されちゃうわけです。

 

しかし、実は近年の認知科学や進化心理学では、「頭の良さは個人の能力」とは考えず、「知能は“関係的”なものだ!」ととらえているんですよ。これは、本当の知能ってのは「知識の量」「処理速度」「IQの高さ」といった単体スペックで判断できるものではなく、

 

  • 他者との相互作用
  • 情報のやり取り
  • 集団での問題解決

 

といった“つながり”の中で発揮されるものだ、という考え方であります。

 

たとえば、皆さんが日常でこなしている仕事や問題解決の多くは、本当に“自分ひとりの頭”だけで完結しているでしょうか?

 

  • 分からないことはGoogleで調べる
  • 同僚や友人に相談する
  • 本や記事から知識を借りる
  • 過去のデータやツールを使う

 

といった具合に、実際にはかなりの割合で“外部のリソース”に頼っているはずです。このような「知能」のあり方を、「知能は関係的」と言ってるわけですね。

 

この考え方は「拡張された認知(extended cognition)」と呼ばれまして、認知科学ではわりとメジャーな概念です。要するに、「考える」という行為は個人の頭の中だけで完結するものではなく、外部とのやり取りを含めた大きなプロセスなのだ!って話ですね。当然ながら、私たち一人ひとりの脳は数万年前とそこまで大きく変わっていないわけですが、それにもかかわらず文明が爆発的に発展したのは、私たちが「つながることで賢くなった」からだと考えられるわけです。

 

それもそのはずで、「人間の知能がどう進化したか?」ってのを考えてみると、どう考えても「他者と協力する」とか「情報を共有する」とか「社会の中で役割を持つ」といった能力のほうが優先順位が高かったのは間違いないんですよね。狩猟採集時代を考えてみると、いかに私たち個人の記憶力やIQが高かったとしても、

 

  • 誰かが獲物を見つけ
  • 誰かが罠を仕掛け
  • 誰かが解体し
  • 誰かが分配する

 

といった分業がなければ単独で生き延びるのはほぼ不可能だったはずでしょう。なので、人類が進化させた「賢さ」ってのは、“個人の能力”というよりも“集団の連携力”に近いものだったと言えるはずなんですよ。もちろん、個人の認知能力も大事なんだけど、それはあくまで全体の小さなパーツのひとつにすぎず、実際の知能はもっと広いシステムの中で発揮されるものなのだ、と。