
『「エビデンスとの付き合い方」を鍛えようぜ!』の続きです!(#1,#2)
このシリーズでは、健康ニュースや論文紹介を鵜呑みにせず、研究を自分の生活に使うための読み方を学んでおります。
さて、健康情報を読んでいると、よく「運動している人ほど病気が少ない!」とか「赤ワインを飲む人ほど長生き!」とか「朝食を食べる子どもほど成績がいい!」みたいな話を見かけるわけです。
こういう話を見ると、つい私たちは「なるほど、運動すれば病気が減るんだな」や「赤ワインを飲めば長生きできるんだな」みたいに思っちゃうんですけども、「ここでいったん立ち止まろう!」ってのが今回のお話です。
それもそのはずで、「AとBに関係がある」と示されたとしても、それだけで「AがBの原因である」とは言えないですからね。これは、研究を見る際の"基本中の基本"と言える考え方なんで、ぜひ押さえておきたいところです。
アイスクリームが売れると、溺死も増える?
相関と因果の話でよく耳にするのが、「アイスクリームの売上と溺死」の例でしょう。めっちゃ定番の事例なんだけど、やはり例えとして優秀なんで、ここでも改めて述べておきます。
これがどういう話かと言いますと、
- ある地域でデータを取ったところ、アイスクリームの売上が増えるほど、溺死事故も増えるという関係が見られた!
- なので、これだけ見ると、「アイスクリームは溺死の原因なのだ!」と思ってしまうかもだが、もちろん、そんなわけはない。
みたいな例えであります。普通に考えれば、
- 暑い日が増えると、アイスクリームが売れる。
- 暑い日が増えると海やプールに行く人も増えるので、溺死事故も増えやすくなる。
って結論になるはずで、実際にはアイスクリームが溺死を引き起こしているのではなく、両方の背後に「気温」という別の要因があるわけっすね。
これが、いわゆる「交絡要因」ってやつです。交絡要因ってのは、
- AとBが関係しているように見えるけど、実は別のCが両方に影響している
という場合の「C」に当たる原因のことです。アイスクリームと溺死の関係で言えば、Cは気温っすね。このように、データ上は関係が見えていても、そこに因果があるとは限らないんですよ。
「運動する人は健康」だけでは、まだ足りない
こいつは健康の研究でめっちゃよく発生する現象で、たとえば、ある研究で「運動している人ほど健康状態がよかった」と報告されたとしましょう。この結果だけを見ると、「やっぱり運動は健康にいいんだなー」と言いたくなるわけです。
もちろん、これはかなり妥当な解釈で、運動が健康に役立つことは言うまでもなし。ただ、大事なのは、この1つの観察データだけからは、「運動で健康になった」とまでは言えないってところです。なぜなら、
- 運動している人は、運動以外の面でも健康的な生活をしている可能性がある!
からであります。たとえば、運動習慣がある人ってのは、
* 食事にも気をつかっている
* 睡眠時間が長い
* タバコを吸わない
* 収入や学歴が高い
* 健康診断を受けやすい
* 医療にアクセスしやすい
* そもそも体調がいいから運動できている
といった傾向がありそうじゃないですか。すると、運動のおかげで健康に見えた人は、実は運動のおかげではなく、食事、睡眠、医療などが影響しているのかもしれないわけです。つまり、「運動している人は健康である!」という話と、「運動したから健康になった!」という話の間には、けっこう大きな距離があるんですな。
原因と結果は、割と逆だったりする
もうひとつややこしいのが、「原因と結果が逆かもしれない」問題であります。
たとえば、ちょっと前に「よく歩く高齢者ほど認知機能が高い!」みたいなニュースが流れたことがありました。こういう見出しを読むと、つい反射的に「歩くことで脳が元気になったのかな?」と考えたくなるでしょう。
しかし、ちょっと考えれば、逆の可能性もあるはずでして、
- 認知機能が高い人ほど、外出したり、運動したり、日々の活動を続けやすいのかも?
って仮説も捨てきれないはずであります。
同じように、「友達が多い人ほど幸福度が高い」ってニュースが流れたことがありましたけど、
- それって友達が多いから幸せになったの?
それとも、
- もともと幸せな人ほど人付き合いがうまくいきやすいの?
というどちらが正しいのかは、すぐにはわからないでしょう。
これについては、どちらか一方だけが原因とは限らず、「友達が増えると幸福度が上がり、幸福度が上がるとさらに人付き合いが増える」みたいな双方向の関係もありえるから、さらに話がややこしくなったりもします。
なんせ現実ってのは複雑なんで、相関研究を読むときは、まず「これはどちらが原因で、どちらが結果なのか?」と考える必要があるんですよね。
原因っぽいものに近づくための3つの条件とは?
となると、相関研究を見て「原因」を判断するのは不可能なのかって気分になりますけども、もちろんそんなことはなし。ある程度であれば、因果に近づくことは可能であります。
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