『イン・ザ・メガチャーチ』と「物語相対主義」の表明
本屋大賞を受賞した話題の傑作小説『イン・ザ・メガチャーチ』には、以下のような記述が存在する。
結局誰だって、信じる物語を決めて生きているだけだ。それが世界平和だったり自己啓発だったり陰謀論だったりするだけで、皆各々のドラッグで自分の脳を溶かしながら死ぬまで生きるだけだ。どうせ全部ドラッグではあるんだから、正しいとかおかしいとか素晴らしいとか真っ当じゃないとか、そういう論争は無意味でしかない。
これはもちろん作中人物の述懐であって作者の意見ではないが、「物語相対主義」とでもいうべき非常に強い意見を示しているように思える。
すべての物語、フィクションは、世界平和であれ自己啓発であれ陰謀論であれ、どれもみな「ドラッグ」なのであって、だから「正しいとかおかしいとか素晴らしいとか真っ当じゃないとか、そういう論争」は意味がない――そうとうに極端ではあるが、一面でかなり説得力がある見解だ。
なぜか? それはぼくたちがインターネットで日夜くり返され、しかも決して結論が出ない「正しいとかおかしいとか素晴らしいとか真っ当じゃないとか、そういう論争」を見せつけられているからだろう。
ぼくたちは、あるいは少なくともぼくは、そういう「論争」に疲れている。うんざりしている。げんなりしている。もういいじゃないか、と思っている。
だからこそ、そういった「論争」のすべて「無意味でしかない」と切って捨てる意見にはある種の魅力を感じるのである。
『イン・ザ・メガチャーチ』を読んだ多くの人もそうだっただろうと思う。しかし、ほんとうにその種の「論争」はみな無意味なのだろうか? 世界平和も陰謀論も「ドラッグ」であるという一点において等価なのだろうか?
ぼくはここで非常に違和感を覚える。そんなはずはないと思うからだ。
以下、この点についてカレー沢薫さんの映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』に関する記事や『傷口と包帯』、『Fate/Zero』の言峰綺礼、サドとユイスマンスなどを参照しつつ語っていきたい。