あるVTuberの同時視聴動画をきっかけにアニメ『無職転生』の「気持ち悪さ」が話題になっている。


 思わずちょっと笑ってしまった。そう、このルーデウス(の前世)はクズだよね。書籍版ではここの描写は削除されていたかと思うけれど、まあろくでもない奴なのである。

 両親の死とともに家を追い出されて路頭に迷ったあげく死んでしまうのは必然だといえるだろう。そもそも作品のルーデウスやパウロが気持ち悪いというのは定期的に話題になる話で、まあ、ぼくもそう思う。

 少なくとも序盤のルーデウスはかなり気持ち悪い。「前世」のルーデウスははっきりとクズである。そして、それはまちがいなく意図的にそういうふうに造形されている。

 そのどうしようもなくマイナスのところから転生を遂げることによってある種の再生を果たしていくところが感動的であるわけなのだが、再生したからといってみにくい過去がなくなるわけでもない。ルーデウスの根っこのところにあるのがこの「クズとしての自分」であることはどうしたって変わらないのだ。

 しかし、もちろん、ルーデウスがクズであることは作品が駄作であることを意味しない。むしろ、ルーデウスの欠点は『無職転生』のストーリーを前へ前へと推し進めていく推進力として欠かせないものだ。

 もし、ルーデウスがふつうの人間だったら『無職転生』という作品はそもそも成り立たないだろう。それをして一般的な大衆性が欠けているということはできる。

 だが、いったいいつから大衆向け作品にそのような道徳性が要求されるようになったのだろう。何十年か前までは多くのエンターテインメントはもっとめちゃくちゃだったのである。

 それはまあ、令和のコンプラ意識を昭和の奔放さといっしょにするわけにもいかないことはたしかだが、その道徳性はかなり息苦しいことも事実ではないか。

 前世のルーデウスのような人物を受け入れろというわけではない。ただ、人間にはどうしたって受け容れられないような側面もあることそのものは受け容れなければならないのである。それは端的に事実だからだ。

 ぼくとしては「主人公がクズだけれど名作である」というより、「主人公がクズだからこそ名作である」といいたい。ルーデウスの弱さ、愚かさ、ダメ人間性はあきらかに『無職転生』の魅力の根幹を成している。あるいは「クズ」といった強いいい方は適切ではないかもしれないが――いやまあやっぱりクズだよなあ。ほんと、どうしようもない。

 そう、『無職転生』は数ある「異世界転生アニメ」のなかでもおそらく最も「ダメ」なところからスタートしている作品だ。学校でいじめにあってひきこもりになった主人公の境遇には同情するべきところもあるが、だからといってそのすべてを肯定するわけもいかない。

 しかし、その「キモさ」と作品の価値を短絡することはできないのだ。何しろ、あきらかに意図的に「キモく」描写されているのだから。

 「ルーデウスは気持ち悪くなんかない」と「否認」するのもどうかと思うし、逆に「気持ち悪いクズだからこの作品はダメだ」と「否定」するのもどうかと思う。問題は、その「キモさ」とか「クズさ」を通して作品が何を描こうとしているかである。そこまで話を進めることなく「キモいか、キモくないか」のレベルで議論していてもなんにもならない。

 それでは、じっさいのところ、『無職転生』はルーデウスの弱さを通して何を描こうとしているのか。それは結局、ある種の「寛容」だろうとぼくは考えている。

 寛容。いまとなっては陳腐な言葉である。ぼくたちは「リベラルな多様性」といった表現の欺瞞性をあまりに見慣れてしまった。ダイバーシティがどうこうという人ほど、現実には他人の多様さを許容できず「良い多様性」と「悪い多様性」をジャッジして裁いてしまうことは明白だ。

 だが、『無職転生』はそんな「裁きの時代」に底辺の視点から「優しさ」を描き出す。ルーデウスは根幹的なところでごく弱い人間なのだが、まさに弱いからこそどこか優しい。自分自身がダメだからこそ他人のダメさを一方的に裁かないのだ。

 ポリコレ的、あるいは反ポリコレ的な「裁き」に疲れてしまったぼくはその優しさが心地よい。

 そして、また、かれが放り出されるのはただ優しくあればそれで認められるという世界ではない。「前世」の日本ではまず見かけないような本物の極悪人や怪物がうろうろしているひどい場所なのである。

 その、ほんとうの意味で過酷で醜悪な現実をまえにそれでもルーデウスやパウロが必死に生きていくところはやはり感動的だと思う。まさに「主人公がクズだからこその名作」と呼ぶべきだろう。すごいよね。紛うかたなき名作である。

 以下、『ヤニねこ』や『十二国記』、『響け!ユーフォニアム』といった作品を軸に『無職転生』の特性についてさらに深堀りしていくので、気になる方は読んでみてください。

 さて、そういうわけで『無職転生』は弱く、愚かな主人公が少しずつ成長しつつも、あいかわらずダメなところはダメなままであることを描いているわけだが、対照的なのが『十二国記』だと思う。