ちょっと思い立ち、AIの助力を得て「コンピューターとコンピューターSFの年表」を作ってみました。

 人工知能ものや仮想現実ものが混ざっているのですが、現実世界のコンピューターの開発とSF小説/映画の重要作品を網羅的に集めてあります。コンピューターSFを愛読してきた者としては「なるほど」という感じ。


1818年 メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』
1822年 チャールズ・バベッジが階差機関を提案
1837年頃 チャールズ・バベッジが解析機関を構想
1843年 エイダ・ラブレスが解析機関について詳細な注釈を発表。「最初のコンピューター・プログラム」
1872年 サミュエル・バトラー『エレホン』
1920年 カレル・チャペック『R.U.R.』
1936年 アラン・チューリング「計算可能数について」
1945年 ジョン・フォン・ノイマン『EDVACに関する報告書第一草稿』
1948年 クロード・シャノン「通信の数学的理論」
1950年 アラン・チューリング「計算する機械と知性」
1950年 アイザック・アシモフ『われはロボット』
1952年 手塚治虫『鉄腕アトム』
1956年 ダートマス会議
1964年 ダニエル・F・ガロイ『シミュラクロン3』
1968年 スタンリー・キューブリック/アーサー・C・クラーク『2001年宇宙の旅』
1968年 フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』
1969年 ARPANETで最初のメッセージ通信
1975年 ジョン・ブラナー『衝撃波を乗り切れ』
1977年 ジョージ・ルーカス『スター・ウォーズ』
1979年 CompuServeが個人ユーザー向けに電子メールなどを提供
1981年 ヴァーナー・ヴィンジ『マイクロチップの魔術師』
1982年 リドリー・スコット監督『ブレードランナー』(原作:フィリップ・K・ディック)
1982年 ウィリアム・ギブスン「クローム襲撃」
1982年 スティーヴン・リズバーガー監督『トロン』
1984年 ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』(サイバーパンクブーム)
1984年 ジェームズ・キャメロン監督『ターミネーター』
1985年 グレッグ・ベア『ブラッド・ミュージック』
1986年 日本でPC-VAN開始、パソコン通信が一般ユーザーへ
1986年 永野護『ファイブスター物語』
1988年 ブルース・スターリング『ネットの中の島々』
1988年 いとうせいこう『ノーライフキング』
1989年 ティム・バーナーズ=リーがWorld Wide Webを考案
1989年 士郎正宗『攻殻機動隊』(原作)
1989年 岡嶋二人『クラインの壺』
1989年 鴨下信一監督/佐々木守脚本『空と海をこえて』 
1992年 ニール・スティーヴンスン『スノウ・クラッシュ』(メタヴァース概念の成立)
1993年  日本の商用インターネット開始
1994年 高畑京一郎『クリス・クロス』 
1994年 グレッグ・イーガン『順列都市』(仮想現実SFの極北)
1995年 Windows 95発売
1995年 栗本薫『仮面舞踏会』(パソコン通信小説の傑作) 
1995年 押井守監督『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(原作:士郎正宗)
1996年 森博嗣『すべてがFになる』
1998年 中村隆太郎監督/小中千昭脚本/安倍吉俊キャラクター原案『serial experiments lain』
1999年 ラナ&リリー・ウォシャウスキー監督『マトリックス』
2001年 押井守監督『アヴァロン』
2002年 真下耕一監督『.hack//SIGN』
2002年 CLAMP『ちょびっツ』
2003年 山本弘『神は沈黙せず』 
2007年 iPhone発売
2007年 磯光雄 原作・脚本・監督『電脳コイル』(ARアニメの傑作) 
2008年 劉慈欣『三体』
2009年 川原礫『ソードアート・オンライン』(VRMMORPGもののジャンル化)
2009年 細田守監督『サマーウォーズ』 
2009年 神山健治 原作・脚本・監督『東のエデン』 
2011年 アーネスト・クライン『レディ・プレイヤー1』
2012年 長谷敏司『BEATLESS』
2016年 AlphaGoが李世乭に勝利
2021年 細田守 原作・脚本・監督『竜とそばかすの姫』
2022年 OpenAIがChatGPTを公開
2026年 山下清悟監督『超かぐや姫!』 

    ちょっと面白いなと思ったのは、コンピューターの歴史とSFの歴史がメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』とチャールズ・バベッジの「階差機関」「解析機関」の理論という形でかなり近い時期に始まっていること。

    もちろん、『フランケンシュタイン』は近代的な意味でのコンピューターSFなどではなく、いまとなってはむしろホラー小説として捉えられることが多い作品ではありますが、「人間が人間同様の知性ある存在を生み出してしまう」という発想はすでにここで見られるわけですね。