タイトルは勿論、「<ニューチャプター/いまジャズ>なんて聴かなくても良い―――大意―――と発言した村上春樹氏に、大西順子氏の新譜を聴かせる事で、無理矢理にでも耳に入れてやる」という音楽テロを暗示するものではない。あくまで私感だが、村上氏は、ジャズの中の「ノスタルジックな気分」をかなり重要視しているし、更に言えば「金にならない」という側面も、とてもうっすらだが(無意識に近いほど)、親近感の様なレヴェルで捉えていると思う。 

 

 両者とも、後者は特に「大西順子のおっかけ」という行動とはコンフリクトするが、まあ、そこはそれ村上春樹とて人類だ。「萌えた」のであろう。萌えてしまえばコンフリクトもノーベル文学賞候補もサイトウキネンも、グラミー賞獲得も、愛も死もない。萌えるだけだ。私は「TEA TIMES」のプロデューサーとして、一点だけ心掛けた。答えは言うまでもないと思う。「大西順子に萌えない事」。 

 

 コツを知りたい方は更に課金して下さればご教示差し上げるに吝かではない。<萌えという地雷を踊りながら避ける事が出来るスキル>は、とても重要である。私はこれを「イン・ベッド・ウイズ・マドンナ」という1991年の映画から学んだ。デヴィッド・フィンチャーの代役としてこの素晴らしいドキュメンタリー作品の監督を務めた、当時26歳だったアレック・ケッシアンは、「登用されて最初に思った事は?」という質問に対し「少なくとも映画が完成するまでは、マドンナと寝れない。という事」と答えた。