<7月某日 アレクサンダー・マックイーンでスーツと靴を揃える。伊勢丹メンズ館のマックイーンのバイヤーは私の事を知っていて、特にラジオが好きで、最近だと「ノンストップ・ビートルズ」が最高だった。と言った>
 

 「マイルスのカプセル怪獣」こと、「となりでサックスを吹く男達」がいるが、その中でも私が最も愛するのはデイブ・リーブマンに他ならない。このあいだ、「なんとかサックス」みたいなサックス・マガジン(意外といっぱいあるのだコレが)の特集記事で「マイルスの隣の男」みたいな感じで、歴代のサックス奏者のうちで、あなたは誰が一番好きですか?理由は?ベストプレイは?みたいな、結構突っ込んだアンケートの仕事があったので「自分の母体になっているのはウエイン・ショーターだけれども、他人事だと思って眺めるとしたら(全部他人事だ・笑)、圧倒的にデイブ・リーブマン」と解答した。
 

 あれこそホワイト・ドーベルマンであろう。一番マイルスが吹かない(吹けない)時期に、マイルスの、何だか意味の分からないソロが終わると、猛然とサウンドに噛み付いて、吠えまくり、引きずり回した。マイルスが「豹を連れて歩いた黒人たち(今更、誰とは言わないが)」に強く憧れた事を、最も鮮やかにトレースしている。ウエイン・ショーターは「物凄く頭の良い(主人より良いかもしれない程の)忠犬」という感じではないだろうか。私は野良犬の友人だが、野良犬を最高位に置くほど不良ぶりたい訳ではない。マイルスが連れた野良犬の代表は言うまでもない、ジャッキー・マクリーンである。
 

 とまれ、今回は「伝説の<ライブアンダーザスカイ・マイルスコルトレーントリビュート>の2トップ(2ソプラノ)試合」が、一般的には「圧倒的にリーブマンの勝利」と看做されがちだが(私もそう思っているが)、今改めて、特に音源だけで聴くと、ショーターは既に現在のカルテットのスタイルを取っており、少なくとも先鋭性に於いては、無用なほど高かった、つまり「速すぎたが故の、観客からの圏外」という立ち位置を、我が身に比そうなどという、身の程も恥も知らぬ不細工な行為をするつもりではない。
 

 マルチリード奏者とまでは言わないが、ソプラノを筆頭にテナー、日本ではついぞ披露しないが、アルトやバスクラも吹かいではないデイヴ・リーブマンは、「楽器の持ち替えに」ついて、私の世界認識の一角を形成するほどの強烈な金言を残している(そもそもリーブマンは大変なカマシ屋でフカシ屋であり、でないと金言など引き出せる訳が無い*「M/D」参照)。
 

 「持ち替えた奏者が思っているほどの差を、客は感じていない」
 

 凄い。ユダヤ人にしか言えない言葉だこれは。
 

 私はペペトルメントアスカラールでのみサックスを持ち替えるが「おお、いまアルトになった」「やっぱテナーはいいなあ」とか観客は思っていないだろう。ただ、私自身も思っていないので、考えようによっては、私は小林信彦が自称した様に日系のユダヤ人なのかもしれない。
 

 日系ユダヤ人にとって、「ルックスを、能動的に変えて行く」事は、宗教上の規律だ。私は6歳、15歳、18歳、飛んで30歳、飛んでイスタンブール、飛んで39歳、50歳の時に、能動的に自らのルックスを一変させた。マイルスの様に、女(母や妻)の影響ではないのが我ながらかわいげの無い所だと思うが、必要性があって思い立ち、さっき「一変」と書いたが、ある日一度にしたのではない。徐々に確実に行うのである。
 

 ちょっと前に心的予兆があり、「禿げたデブになろう」という心の声を聞いてしまった、と書いたら(書かなければ良かった)、物凄い数のメールが届いて、「禿げは構わないからデブはいかん」と言われた。「何故デイブ・リーブマンの話しから?」と思っていた方で、デイブ・リーブマンについて熟知している方であれば、流れの自然さはご理解頂ける筈だ。
 

 最近はファンメールも数名の決まった方(私のメールボックスの中で日記を連載している様な方など)からしか来ないし、驚いたのは「こんなに沢山、<ビュロ菊だより>を読んでる方がいる」という事である。ここ数年で、飛び抜けて多かったので、腰を抜かしていたら、次に多かったのがすぐつぎに来た。内容は「ズッカのPコートください」(笑)。余りに驚いたので、「肥りたい」という欲望は無理矢理封印する事にした。そのツケとして、痩せたままルックスを変えて行かねばならない。自分でも何をしでかすか解らない。