<タトゥーに併せた、大人の服、を模索しておこう。風よりも、パリよりも早く>
勿論、Tシャツとデニムに合わせてしまえば、事はそれで仕舞いだ。しかし、「山本美憂のファミリー練習風景を見るにつけ」以上の好例が見つからないのだが、あれではダメだ。あれでは軍服を着て軍歌を歌っている様な物だ(山本ファミリーの方ね)。
パジャマを着て軍歌を歌うより、スーツを着て軍歌を歌うよりかは幾分マシだとはいえ、時代は本当に変わりつつある。前回紹介した「誰が音楽をタダにした?(原題の逐語訳は「如何にして音楽は無料に成ったか」)」を、あまりの面白さから何度も読むにつけ、「とにかく何かをしなければ。音楽以外でも」と、20年ぶりぐらいで居ても立ってもいられなくなった私であった(因に、前回の<もういきなり面白い。まあ、書き手に怒りがありすぎて、読後感は悪いが。「ゼロ円ファン」どころではない。最近は、予見として言った言葉が現実化するのが早く成りすぎて、単に「普通の現状を入ってる人」になりがちで、我ながら面白い>というコメントは、私のミスで、実際は別の本に着いて書かれた物で、写真が入れ違っている。この本への感想は稿を改める)。
XXL(紙)を過去1年分ぐらいペラペラめくってみても、コレだという写真が無い、「こっち」で探してもダメなのである。シャネルの広告が「メインモデルの後ろから、男の手がクラッチしている。その掌には和彫りがガッツリ」だった事は兆候を示している。不器用なので余りしないのだが、「ハイファッション 刺青」
で画像検索してみたら、やはり毒々しい物か、凶暴な物が多い。私が模索したいのはヒッチコックのそれの様に、エドワード・ホッパーやノーマン・ロックウエルの世界の真ん中に、凶器を平然と乗せる事で、まあシンプルヘッドで考えればアイヴィーみたいなモンや、フェミニンなニット等に合わせれば良いのだが、事は1対1ではない。
鏡の前で、手持ちのアイテムを次々合わせては一喜一憂する。それを延々と続ける事、つまり所謂「ファッションショー」は、ジャズ界だとマイルスが、その気になれば一晩中やっていたらしいが、この日は3時間ぐらい時間が出来たので、手持ちのアイテムでいろいろやってみたが、収穫は無くもなかった。まあ、ファレルが「IN MY MIND」でトライした事なのだが、洒落者の彼は、「黒人の肌にはビジューは似合うが、タトゥーが似合わない」というテーゼを熟知しており、後頭部のカラー(襟)上にちょっとあしらわれているだけなのだが(当時)。
写真は「カーディガン/メゾン・マルタン・マルジェラ ポロ/D&G 写ってないがパンツ/UNITED TOKYO」で、持ってるアイテム併せているだけなのだが、薄手でパステルカラーのカーディガンを二の腕までまくり上げるのはタトゥーと合う。一枚は浴室の前で、一枚はTBSのスタジオの中で(そもそも、まだ完成してないんですけどね)。
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