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<ビュロ菊だより>No.51『FKA twigs日本公演ライヴレポート』
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<ビュロ菊だより>No.51『FKA twigs日本公演ライヴレポート』

2015-01-23 10:00
     

     

     ライブレポートなんて書くのは生まれて始めてなので、面白く成るかどうか解らないのですが、何となく「自分が書くべきだ」と思ったのでやってみます。最初に書きますが、会場には野田努、三田格両氏がいて、久しぶりに3人で話したのですが、お二人はインタビューを複数回されたようなので、併せてお読み頂けると3Dだと思われます。またこれは、テキストコンテンツとして試運転なので、有料/無料共に同じ文字数と写真数で同時に掲載させて頂きます。有料世界の方は、試供品であると解釈して下さると幸いです。

     

     

     

     また、以下、FKA twigsについての説明は一切しません。今年が実質的デビューのブライテストホープなので、検索すると読み切れないほどの紹介文と、見きれないほどの動画が出て来ます。お若い人にとって、そのPVは人生が変わる様な経験にさえ成り売る可能性を秘めています。

     

     

     

     

     

    <2015/1/22FKA twigs日本初公演@恵比寿リキッドルーム>

     

     

     

     

     

     動画サイトに上がっているパリ公演、フィラデルフィア公演等々に次いで、現在「チケット発売ゲートが開くなり即完」アーティストの1人であるFKA twigsの日本公演に、rinbjö、 小田朋美(DCPRG)、よしださら(ものんくる)と一緒に行って来ました。

     

     

     

     チケットはワタシが予約したのですが、やや遅れをとったので900番台でした。つまり、観客のダンスは見込めません。ギッチギチです。

     

     

     

     そして、ワタシが知る限り、ですが、モデルと女優と女性の音楽家とダンサーが、これほど多くリキッドルームに来た夜は、リキッドの創立以来始めてだと思います。以下は推測ですが、FKA twigsSNSか何かを通じて投げかけているメッセージなのかどうか、モデル&女優のアクネとMSMG(どちらも服のブランドです)率がとても高く(これは推測ではなく事実)、ワタシは「なるほど、なるほど。そういう感じか」と思いながら、フロア後部壁面にあるバーカウンター前に陣取りましたが、ステージはまったく見えませんでした(後述しますが、後半、だんだんと見えて来ましたが)。入場してからはずっと、ケルト的なエレクトロのドローンが流れ、ステージ中央には祭壇の様にメイクアップされたマイクスタンドが置かれ、ぐっと落とした照明の中、鈍く光っています。

     

     

     その代わり、PA卓(隣にはライティング卓)がガッツリ丸見えなので、ライブに於いて、どれほどが同期で、どれほどが生演奏なのか、ヴォーカルをリアルタイムでどう操作/加工しているか、等々が「良いのか?そんなに見せてしまって」というほどだったので、多くの発見がありましたが、これは料理店の調理場などのバックヤードの話しですので、書くのは最小限にとどめます。

     

     

     

     現代は動画サイトの時代ですから、「まだ観ぬ驚異の新人の来日初公演」という夢想が限りなく小さく成り、要するに、日本でデビューでもしない限り、ライブアクトの予習が出来てしまうのが良い事なのか悪い事なのか、先ずワタシが確認したのは、ウエアリングです。

     

     

     

     FKA twigsは、「出す/覆う」に関して、ダンサーでもあり(しかも、御存知の通り、クラシックバレエ上がりです)、比較的ザックリしています。各国で、スイッチングの様に変えていますが、日本公演では、大雑把に言って「肩、背中、脇は出し、デコルテから下は覆う」というパターンで、細かく書いているときりがないので手短かに言うと、デコルテから下はハイモードが作った、ヘソの出ていないベリーダンサーの衣装、みたいな感じです。「お、日本ではコレね」とワタシは思い、とはいえものすげー背伸びしして一瞬確認しただけで、ライブが始まりました。

     

     

     

     先ずは強烈な後光が射します。結果的には現在の彼女のレパートリーのほとんどが演奏されましたが、最初の20分は、照明が100%の(誇張無し。ガチで)「後光」で、つまり、ステージ上に立つ人々は(バンドは3人、1人がギターを持つだけで、後は全員スティックを使うパッドのみ)シルエットしか見えない。という演出でした。

     

     

     

     彼女のイメージを参照するにつけ、この方針は、少なくともコンセプトとしては全く間違っていない訳ですが、クラブでのライブアクト、という事を考えるに、かなり大胆。というか、セクシーなヴォーカルのクラブミュージックを楽しもうぜ、というノリよりも、モダンアートのパフォーマンスのようで、パリなんかでこういう事したらかなりウケるだろうけれども、日本ではどうなんだろうか?と思いながら見ていた所、やはりフロアは「心酔している彼女のカリスマとキュートに触れて絶叫したいんだけど、なんだか厳かなムードだから、取りあえず黙っとくか」という、冠婚葬祭とか神社でお祓いでもされているバイブスでした。

     

     

     

     歌は、ラジオでも言いましたが、一番似ているのは宇多田ヒカルさんです(ほとんどの批評家はこの事を指摘しないと思います)。ものすごく上手く、切なく、大人可愛く、ブレッシーかつテクニカル。アーベインですがシャーマニックです。

     

     

     

     最初はリップシンクかと思うほどでしたが、違いましたし(前述のPA卓にて確認)、ワタシがけっこう驚いたのは、音盤では結構多量な、本人声のレイヤーやコーラスのパート(まあ、R&B平均から見たら、数だけであれば普通なんですが、さりとて)を、1曲を除いて一切使わず、つまりマイク一本の、本人のヴォーカルだけで押し通した事です。

     

     

     

     トランシーな女性歌手をディーヴァだのシャーマンだの言うのは手垢にまみれた感もありますが、逆に言えば「臆せず堂々とシャーマニックである。と言って笑われないのは現在FKA twigsだけ」という現在の状況を完全に自覚しているとも言えます。

     

     

     

     とはいえ、「シルエットしかみえない歌手が、ほとんど能に近いミニマルでスロウなボディムーヴと、凄まじい歌唱力を聴かせ、どの曲もリタルダンド(だんだんゆっくりになること)してスローランディングして終わる、ことが神事の様に繰り返される」というガチンコの滑り出しは(因に「エレクトロなのに如所にテンポダウンする」というのは彼女のプロデュースワークの中のブランディングの一つです)、彼女を愛するトゥイッガー(女優/モデル/音楽マニアそうなクラバー、に次いで多かったのが、メイクとヘアをそっくりにする、所謂「なりきりさん」でした)にも、新し物好きのクラバーにもいまいち乗り切れなかったようで、アプローズは小さいだけで、深くはないように見えました。

     

     

     

     とはいえこれは私感ですから「深く感動しすぎて動けなかった」人もいたと思います。しかし、「R&BHIPHOP用の、ではないガチのエレクトロ(音色的にはダブステップ~JUKUを継承)と、グラミー水準の、ブラックミュージックとしての歌唱力と、エコ感覚とギャラクティック&ミュータント感」が渾然一体となった彼女の音楽性、そのミクスチュアぶりが、なんでも「○○系」として、系統ずけの安心感によるコンテンツ商売という、不況時にぴったりの商法によって飼いならされた感受性/身体性に対して、打破の希望を与えるとともに、困惑(それは、どちらかというと、コンセプチュアルな困惑ではなく、身体性の、というのが正しいと思うのですが)も与えるという、ある意味の豊かさの結果、を見せつけたと思います。

     

     

     

     彼女は巷間「宇宙から来たR&B」「オルタナR&B(この呼称は彼女自身がインタビューでかなり強めにノーの意志を示していますが)」「ビョーク・ブラックスキン」等と言われており、例えばワタシはあくまで個人的にビョークを「素晴らしいのだろうが、基本的には嫌いだ」と思う1人ですが、もしFKA twigsに与えられたこのファックだが、ある意味しかたがないとも言える蔑称に対しては「ビョークなんかより1億倍良いよ」等と退行して吐き捨てるよりも、「誰もが彼女をビョークと比べていた時期があった事自体を完全に忘れる日が来るのを、ストップウォッチを見つめながら待っている」とすべきでしょう。その時は、彼女の音楽はミクスチュアやネクストだと認識されていないかも知れません。

     

     

     

     そんな中、動画サイト全盛の世にあって、オーディエンスの予習も余りされていない様に思えました。前半のクライマックスである「VIDEO GIRL」(ワタシがラジオでプレイした曲です)のイントロが流れ出しても歓声が上がらず(この曲に限らず、多く歓声が上がるのは、彼女が動いたとき)、彼女がコール&レスポンスのために、ヴァースのラストをフロアに投げた時に、声に出して歌ったオーディエンスが10人ぐらいだった事に、その事が端的に現れていました。とはいえこれは致し方ない。名誉だと考える事も出来ます。「聴いた事も無いのに興味を持たせ、クラブに足を運ばせる」ほどのタレント、というのは最近殆どいません。

     

     

     

     そうして、こうした一連のライト膠着をほぐしたのが、笑ってしまうほど唐突に始まったMCによるものだったのは、まあまあ、互いにとって良かったな。という感じです。声と喋りがパフォーマンスイメージと違うアーティストは多々いますし、「ギャップが素敵」という言葉自体も最近は口に出されなく成って久しいぐらい、「ギャップ」は「魅力」というフォルダの中に(我々が、知覚出来ないほどに)かっちり納まっています。

     

     

     

     それでも、バレリーナ上がりで、ダンスの先生でもあり、キャリアの初期にはコメディエンヌぎりぎりのコント(ビヨンセのパロディで、ロンドンの街中を踊りながら歩き回る。等々)をTVショーで演じ、何せバレエのレッスンができた以外は完全なワーカーズクラス出身である彼女の「まるでちっちゃい子供の様な普段のおしゃべり」は、微笑ましいというレヴェルを超えて、もうゲラゲラ笑ってしまうほどのギャップで、ギッチギチの中、ワタシの周囲からは「きゃー、なにあれカッワいいー」「ええー!!」「こういう感じ?!!可愛いー」と、まるでジャパンクールならぬ逆ジャパンクールというか。

     

     

     

     ただこの、ギャップをも超えた「逆転性」が、彼女の総てとも言える訳で、「音楽に宗教性が宿る事は知っていはいるが、触れた気にはなかなかなれない。しかし彼女からは、噎せ返るほどの宗教性を感じる。ある種の奇跡だろう。何教から見ても」などと思って聞き入っていると「日本にこれてとっても嬉しいわ。日本が大好きなの。みんな(カタコトで)ゲンキー?(恥ずかしがって)うふ」とか、チャイルドヴォイスではにかまれると、ワタシが彼女と同じぐらいに愛するアイジジワイ(イギー・アゼリアのこと)のビッチ一筋ぶりや、もう日本のオタクは逆に嫌かもしれないなと思うほどの、アリアナ(グランデ)の、「おチビちゃんで可愛くて、そして死ぬほど生意気」な腕の組みっぷりも、痛みを表現しているのだから仕方が無いが、痛いぞマイリー・サイルスの脱ぎっぷりも、もうアメリカで一番偉いのを超えて、最新PVがクレージーホース(パリの伝説的なキャバレー)になっちゃったよビヨンセも、「ブラックビョーク」の称号を一瞬手にしてから(いまでもつきあってる兵隊さんみたいにでっかい彼氏から)ボコられて普通のR&Bエロに邁進しているリアーナも、そして、ポピュラーミュージック界に於けるUKブラックの何もかもも含めて、まとめて吹き飛ばしてしまいかねない彼女のポテンシャルに、この「ちっちゃい子みたいなあどけなさ」がインクルードなのかアウトクルードなのか、ワタシは5,500円のチケットを6枚買ったので大3・3枚支払いましたが、この「間違いない可愛さ」が、そのうちいくら分なのか、まったく算出できません。

     

     

     

     ただ、彼女が、厳かな口調で、古代宗教の託宣みたいなMCをしたとしたら、ワタシは「全額返せ」と思ったかもしれない。それは「俺ギャップ萌え~」とか「<可愛い>はもうコンテンツなんだよ~」とかいった半乾きのハナクソ(近親者の)みたいな話ではまったくなく、「やっとポピュラーミュージックが、何十年かぶりで真の宗教性を捉えたのに、それじゃ台無しだ」という意味に於いてであって、ワタシが彼女のどこにヴォーテしてヴェットしてポイントしているか、少々お解りに成ったかと思います。

     

     

     

     いずれにせよ、そこから先は「日本公演は大成功の内に終わった」とするに吝かでない一体感と高揚感がアクトを守護し、二度目のMCでの「またみんなと会いたいわ。っていうか会えるの。夏はフジに(ここでこの日三番目ぐらいの大歓声)出るから」という一言は、アンコール無し、トータルタイム70分という、軽い無慈悲に対して、誰1人として不満を抱かなかったという結論を導くに充分なチャームとして機能したと言えるでしょう(ワタシはまあ、大人ちゃんなので「そりゃそうだろスマッシュ=フジロックの主催の来日公演なんだから」とか思う訳ですが、とはいえフジはガイジン青田刈りの島流しという側面もあって、「タワーでマニアックな店員に1枚プッシュされ、フジロックに出て、結果、完全に日本では忘れられる」という「期待の新人」の死屍累々は、名前を書き連ねたいのを我慢しないといけないほどですが、彼女は恐らくそうなりません)。

     

     

     

     リキッドには「ステージを見えるモニター」が無いので(ディスではありませんよ)、「観客の後頭部と言う黒い塊の、隙間からチラ見を繰り返す」という、昔懐かしい効果が、まるで天の岩戸の神話のようで、超高速から超低速を瞬時に繰り返し、長時間の完全静止も含めた、完璧なボディコントロールと、それとは裏腹な、ある意味一本調子なのだけれど、祝詞とかエコーとか、神事に於けるヴォイスというのは、みんなそうでしょうよ、といった素晴らしい(しつこいようですが宇多田ヒカルさんに似た)歌声は、非常にシンプルに言って、ワタシを音楽家や批評家以前の状態に戻してしまうほどの感動を与えてくれました。レポートとして、退行を含まぬよう心掛けて書いたので、退行しか読解の筋道が無いネットジャンキー的な方々には「何が言いたいか解らない」と思われたかもしれませんが、ジャンキーに対しては、ひとこと「超良かったよ!(敢えて5年前語で)パネエヤバい」としておきます。

     

     

     

     ただ、とにかくこれはしょうがない事なんですが、あんなにギチギチではまったく踊れないし(ワタシは踊っていましたが)、それ以前に、彼女の音楽は「踊れるか踊れないかを聴く者に(構造的に)問う」という側面を持っているので(ポップミュージックとしてこれは規格外の話ですが)、そこは見守って行こうと思います。前述の通り、最初はフロア全員が背伸び(アナロジーではなくて、本当の)をしてステージを見つめすぎた結果、チビのワタシには天の岩戸状態だったステージビューも、MC以後フロアがほぐれてからは、すっきり見える様に成りました。誰もが背伸び(アナロジーではなくて、本当の)を止め、身体を揺すって動き出したからです。

     

     

     

     我が事に引き寄せてはいけませんが、10年以上前、同じステージにDCPRGがオンして、始めて演奏した時には「キャッチ22」はおろか「サークル/ライン」「プレイメイトアットハノイ」ですら「踊れたもんじゃねえ(あんなもんに「踊らされる」のは菊地に折伏された信者だけだ)」といった、ワタシよりも遥かに頑迷なマジョリティ教の信者にイスラム扱いされたものです。そして踊り始めた人々は最初は肩と肩をぶつけ合ったり、足を踏み合ったり(我々はポリリズムを戯画的なまでに外装化した曲を演奏するので)していたのですが、経年とともにフロアはマイルドかつ弾性を増して行ったものです。

     

     

     

     楽曲/ビートの分析は、始めると長く成りますし、あちらさんの企業秘密でもありますので、最低限、ここでは調性に関して触れるのみにしますが、最初の「シルエット状態」の時は全曲マイナーキーのインサイド(調性が「濃い」状態)で、ステージ終盤に向かって、だんだんと濃淡が出て来て、ラストの曲では、無調ギリギリになって、和声を司る唯一の素材であるパッドが上昇ベンディングして(所謂、昇天の擬態)終わります(キーに関しては、ビョークとFKA twigsを比較したがる人々の壁となる点ですが、ここでは割愛します)。

     

     

     

     これは、エレクトロニカ全般の属性にインサイドであり、前述の「リタルダント(だんだんゆっくり)の導入」がエレクトロニカというより、DTM全般から見てアウトサイドですが、巷間言われる様に「みんなアルカ(天才ビートメーカー)のお陰」ではなく、彼女のコントロールが働いているとワタシは推測します(何故そう思うのか?といった話しは機会があったら稿を改めようと思いますが、機会はないと思われます)。シンプルな話「わたしの動きにあわせてみて」といって演奏させたら、すぐにああなる。でも、そのリーディングが出来る身体は、トゥワークが出来る身体とはまったく別の身体、バレエもヒップホップもモダンもマイムも出来て、尚かつ止揚できる、ダンサーとしても超越的なセンスとスキルを持った身体です。

     

     

     

     演奏後、先ずワタシに突っ込んできたのは(本当に、「顔から突っ込んで来る様に食って掛かって来た」のは)rinbjö でした。「あのう。ナルヨシさあん。あのう。歌と踊りははね、置いとくとしてしてえ。音は<戒厳令>のが凄いですよね!!!」と、予想通りの発言をしたので、ワタシは苦笑しながら「そうです、そうです。でも、あれはあれで凄いんです。ウチラも全く負けてないですけど」と言いました。rinbjö  はムチャクチャ嬉しそうな顔で「ですよねえ?ですよねえ?」と連呼しました。ワタシは「いやあ、だから、あの子に負けないカリスマをrinbjö が発揮するんですよ」と言うと、rinbjö は少年野球で負けたチームのピッチャーみたいな顔をして「いやあ、それは、あのう、やりますよ!!」と言いました。小田さんは科学者の様な口調で「菊地さんあれはどれぐらいが演奏ですかね」と言ったので、「意外と殆どそうですよ」と言いました。サラ太郎は「すいませんあの、あたしいま、新年会抜け出してるんで戻りますー。まだやってるかな、、、」と言って風のようにいなく成りました。

     

     

     

     見て推測するものも有意義ですが、直接インタビューして得る物も同程度に有意義です。終演直後に野田努氏と三田格氏と一緒に、ライブの感想とインタビューの内容についていろいろ伺いましたが、横流しは出来ませんので書きません。ただ、インタビューの内容に、驚くべき物はひとつもありませんでした。何かの媒体に乗るでしょうから、冒頭の通りにして頂くと誰もが書いた甲斐があるという物です。

     

     

     

     この長文にサブタイトルを付けるとしたら「エロスの終了と再生」という事になるでしょう。前述の「14年デビュー組、並びにそのパイセン達(ジェシーJだのジェニファーロペスだのニッキーだのだけではなく、ブリちゃんやパリスとかまでも含む。因にこの2人はrinbjö と同い年ですが)」による仕事は、20世紀まで続いた、ポップミュージックに於けるエロという価値の総決算というか、あとはもうヤルだけ(実際のセックスを)、という臨界を、臨界と感じさせないまでの「アメリカ力(りょく)」の行使だったと言えるでしょう。

     

     

     

     直接的に書くならば、こういうことです。アイジジワイとセックスしたいと思ったとします。次に、したとします。それは、とてもハードなセックスで、一晩掛けてオトコは数十CCを放出させられ(女性は何を絞られるのか解りかねますが、搾り取られる事だけは間違いないでしょう)、場合によっては愛や依存さえ生まれるかもしれない、暴力と背中合わせのファイトです。

     

     

     

     しかしそれは、想像以上のことが起こらない、驚いたとしても、その驚きはコントロールされている、ハリウッド式のセックスなのです。異質なので名前は出しませんでしたが、ベイブの名前の欄にカイリーミノーグやテイラースイフトが代入されても、計算結果はほぼ同じでしょう。

     

     

     

     「ブリティッシュインベンション」という北欧神話みたいな物はまだ生きていて、今の所の最大の波がFKA twigsである事は間違いありません。エレクトロなのに、だんだんゆっくりになる。とてもセクシーでキュートで、グロテスクだったりさえするんだけれども、ポップなんだけれども、アートにしか見えないんだけれども、正気か狂気かかなりグラつくんだけれども、こういった総てでさえ、どれも既に見た事があることです。

     

     

     

     FKA twigsとセックスしたいと思うだろうか?(男女性、ゲイレズビアン問わず)もし寝たいと思ったとして、そして寝たとしたら、一体どんなことが起こるんだろう?彼女の恋人は、なんてことはない、ユース向けのテレビドラマの、イケメン俳優です。言うまでもありませんが、念のため書きますが、ワタシが言っているのは、実際に彼女(たち)がどういうセックスをしているか?という話しではありません。サウンドやライブアクトが、我々にどんな想像力を駆動させるか?という話しです。

     

     

     

     コンテンポラリーダンスが含有していたけれども、ほとんどの大衆が摂取出来なかったエロティシズムを、FKA twigsは抽出してみせました。ブラックスキンなのに、音楽にはアフロ的構造がほとんど入っていません。東南アジアの宗教音楽、日本の歌舞伎のアテ(舞台袖で、蒲鉾板みたいなのを二枚もって、見栄切りに併せてタンタンタンと叩く奴ありますね。アレの事です)等の要素が、お洒落でエキゾチックな調度品という階級を超えて導入されていますが、これはワールドミュージョックを実際に聴いた結果の、つまり民族学的な採集とかでは恐らくありません。断片化され、分子単位に還元された記憶と、目の前にあるコンピューターとの産物でしょう。

     

     

     

     こうした、伝統と非伝統、ハイスキルとノースキルの混在が、東南アジアの料理の様に混在している事、それは、ポテンツを去勢してインポテンツに導くエロスの荒野から(ワタシ個人は、アイジジワイやアリアナでーーー「まだギリギリ」というべきでしょうーー大いに勃ちますが、これは「やがて勃たなくなる」という予見に満ち満ちています。詳述はしませんが、加齢によるものではありません)、インポテンツをポテンツに蘇生させるエロの再生感がFKA twigsの音楽には溢れています(英語が得意な方なら、先ずは歌詞に注目してみて下さい)。

     

     

     

     と、これは「エロ」という、地上的な、地上の駆動力ですらある観点から見たレポートです。多くの批評家はFKA twigsを「宇宙から来た」と言い、アルカを「未来の音」と言います。非常に便利で、間違ってさえいない観点ですが、ワタシは使いません。

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