閉じる
閉じる
×
いま、テレビで地震の報道を見ながらこの記事を書いています。
熊本は震度7か。被害が少なければいいのですが……。
さて、ぼくが心配していてもどうしようもないので、記事を書きます。
前の記事の付記というかおまけ。
長々と書いたわけですが、まあ、ほんとうは世代の問題じゃないんだよね。それはわかっている。
そもそも孫の手さんは年齢的には新世代側だし、ある年を境に人間の価値観がくるっと変わるなんてこともあるわけがない。
事態はあらゆる意味でグラデーションになっていて、単純ではない。
前の記事でいったのはそこをあえて世代論で捉えるならそういうことになるという話でしかない。
新世代、旧世代といったけれど、A集団、B集団でもいいわけです。
ただ、いい訳するようだけれど、こういうことは不完全でもとにかく何か書いて残さないと、思考のきっかけが掴めないんですよね。
書き記しておけばそこからペトロニウスさんとかLDさんたちが何か考えてくれるだろうし、批判的検証をしていくことで新しい何かが見えて来るかもしれない。
とにかく書くことだと思うのです。
このブログはぼくの思考の軌跡をそのままに展開しているものなので、ある時点でははっきりした結論が出ていない記事も多いと思います。
それでも、ずっと追いかけているとだんだん考えが固まって行ってひとつの理屈になっていくのがわかると思うのですね。
それには年単位の時間が必要かもしれないわけですが、付き合っていただけるとぼくとしては助かります。
この話で重要なのは
この記事は有料です。記事を購読すると、続きをお読みいただけます。
入会して購読
この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。
コメント
コメントを書く
大事件が起きてもゆるい作品が減らないのは、それだけ現実を忘れたいと願う人が多いということなのかもしれませんね。
海燕(著者)
そういう側面はあるかもしれませんね。